第十一章 むかしがたり(第二部)
シンフォニーは机に両肘を立てて胸の前で指を組むと、憂いを帯びた表情で話を続けた。
「リグネイ帝国第54代皇帝、ルクレティウス・ヴィア・グリーシュ。強欲で野心家の人間でした。ルクレティウスの帝位継承権は十七位。このままでは皇帝になれないと悟った彼は、伯父、自分の父や兄弟さえ手にかけ、最終的に玉座を奪い取った。皇帝として即位してからも彼の欲はなくなる事はなく、周辺にあった小さな国々をもリグネイに呑み込ませ、あっという間にリグネイを世界の覇を争うほどの大強国にした。そういう意味では、彼は皇帝の器があったのかもしれません。けれど、彼は決して名君ではなかった」
誰もが、シンフォニーの口から次々に出てくる言葉を信じられずに聞いていた。
そうなのだとすぐに納得するには、スケールが大きすぎるのだ。
「ある時、彼は小国に攻め込んだ。緑の美しいその国は、リグネイの前にたやすく倒れました。そこで彼は、ある美しい娘を見初めたんです。それが、アナスタシア。ルクレティウスは、彼女の見ている前で婚約者だった男を斬り殺し、嘆く彼女を無理矢理自分の妃にした。……最低な男です」
「違う……」
そのつぶやきは、シャルローナの方から聞こえた。
よく見ると、シャルローナはわずかに汗ばみ、小さく震えている。
「シャルル?」
スウィングの声に、シャルローナは我に返るように大きな瞬きをした。
「な……なんですの?」
「大丈夫?」
「私、何か……?」
「おいおい、熱でもあるんじゃねーの?」とクィーゼル。
「い、いいえ、平気よ。続けて、シンフォニー様」
マリアは静かに席を立ち、小屋へと消えていった。
「ルクレティウスには既に沢山の妃が居たんですが、アナスタシアは彼の一番の寵妃になりました。しばらくして、彼女は皇子を産みました。しかし産後の肥立ちが悪く、そのまま死の床に伏してしまった。ルクレティウスはアナスタシアを救うために、帝国中の医者を集めた。彼にとって、アナスタシアは無二の存在になっていたんです。彼女を回復させるためなら見境なく何だってした。禁忌を破ることさえも」
エルレアは何かに気付いたように小さく息を飲んだ。
———全ては、天が私達一族に下された罰。
それはハーモニアの言葉だ。
「……グリーシュの“罪”」
シンフォニーは、静かに言葉を発したエルレアを見て頷いた。
その紺色の瞳はランプの光を映して、不思議な輝きを帯びている。
「それが私の過去です。今度は私から質問をしましょう。君はどうして、私の左腕の模様を知っていたんですか?」
ニリウスは、シンフォニーの視線をまっすぐに受けながら答えた。
「言えねえ」
“狩人”と“贄”の話は、グリーシュの最重要機密だ。
ニリウスがそれを軽々しく口にしない理由は、エルレアにはすぐに分かった。
するとシンフォニーは、ニリウスの考えを読んだように言った。
「“狩人”と“贄”の儀式は、グリーシュ家が必死になって隠し通そうとしている事。それをソルフェージュ家の私に話すのは気が引ける。おおかた、そういう所ですか」
「!!」
「その反応を見ると、やはり知っているようですね。言ったでしょう、私はリグネイ帝国皇帝の記憶を持っています。皇帝ルクレティウスは、罪を犯し罪人の印を身体に刻まれた。それがこの左腕の模様です。儀式を内密にするようにしたのは、前世の私。むしろ、部外者であるはずの君が“狩人”や“贄”を知っている事の方がおかしいんです。君は、グリーシュの使用人ですか?」
「ああ」とニリウス。
「グリーシュ家はこんな若い使用人にまで秘密をばらすようになったんですか? きちんと信用が置けるかも分からないでしょう」
シンフォニーは、諌めるような視線でエルレアとセレンを見た。
「さっき……『エルレア』と言ってましたね。それじゃあ、貴女が次の“狩人”ですか?」