第七章 貴女を想っていた(第四部)
心の底から哀れむようなシンフォニーの表情に、シャルローナの自尊心は傷つけられた。
「何に気付かなかったと? 私欲のために人を売り買いする人間の汚さにですか? それとも、己の責務を放り出して行方をくらます人間の迷惑さにですか?」
「これは耳が痛いですね。残念ながら違いますよ。貴女の生き方です」
「私の……生き方?」
理解しかねる、と言いたげなシャルローナの表情に、シンフォニーは苦笑した。
「どうして、一つの生き方しかないと決めてしまうんですか? シャルル。どうして他の道を見ようとしないんです」
「それが正しいからですわ」
「正しい。何をもって正しいと判断するんです?」
「誰もが納得しますわ。正しさとは、そういう物ではなくて? お兄様」
「その言い方は、まるで他人に認められない生き方は間違っていると言っているようですね」
「その通りですわ」
「では、私を追ってきた理由もそれですね」
「ええ。お兄様を在るべき場所に連れ戻すため」
正しい生き方に戻すため。
「お兄様。皇宮にお戻りになって」
ふ、と短く息を吐いて、シンフォニーはシャルローナから視線を逸らした。
その瞳が、わずかに切なげに揺れる。
「やはり貴女は、私を連れ戻すことはできませんでした」
口調こそ優しかったが、それは既に出てしまって動かせない結果の通告だった。
唇を強く噛んで、シャルローナは動揺を隠そうとした。
「……何故ですの?」
その声が震える。
「可能性はあったんですよ。他の誰でもない貴女にだけ、私を皇宮に連れ戻す可能性が、ついさっきまで。貴女はそれにも気付いていませんでしたが」
「気付かなかった気付かなかったと、お兄様は過ぎてしまった事ばかりを理由になさいますわ! そうやって、上手く諦めさせようとなさっておいでですか!」
口調を激しくしたシャルローナに、シンフォニーはゆっくり歩み寄った。
その鮮やかな赤い髪についた葉を取り去ると、真剣な表情でシャルローナを見下ろした。
「では、今お気付きなさい」
それは、小さい子供に物事を教えるような声音だった。
「ヒントをあげましょうか。私が皇宮を出た理由は、貴女が嫌いだった訳でも、貴女の他に思い入れのある女性が居たからでもありませんよ」
シャルローナは疑うような視線を返す。
「公務がお嫌でしたか?」
シンフォニーは珍しく、声を出して笑った。
「違いますよ。やらなければいけない事があったからです」
「皇太子としての責務を投げ出しても、ですか?」
「ええ」
シンフォニーは即答する。
何が彼をそう言わせるのか、シャルローナには分からなかった。
「分かりましたか? 私を連れ戻せるただ一つの方法」
「……いいえ」
力なくシャルローナは答える。
「仕方がありませんねぇ」
シンフォニーはシャルローナの頬に手を触れ、その耳元に唇を寄せた。
そして何事かを囁く。
その瞬間、シャルローナは雷に打たれたかのように身体をこわばらせ、シンフォニーを見上げた。
「だからこそ、私は皇宮を離れた。離れなければいけなかったんです。どうか覚えておいてくださいね、シャルル」
立ち去るシンフォニーの後姿を、シャルローナは覚めぬ驚きと困惑の表情で見送った。