第七章 貴女を想っていた(第三部)
シャルローナは、笑顔を浮かべたままのシンフォニーを見据えた。
「まず、お聞きしたいわ」
スッ、と息を吸うシャルローナ。
「どうしてなの。お兄様」
「懐かしい呼び方ですね、シャルル」
「よろしいでしょう? どうせここに居るのは私達だけよ」
“お兄様”
それは、シャルローナがシンフォニーと婚約する前、彼を呼ぶ際に使っていた呼び名である。
「お兄様。どうして?」
シャルローナは繰り返した。
「どうしてだと思いますか?」
シンフォニーは問い返す。
「私との婚約がそんなに嫌なら、嫌だとはっきり仰ればよかったでしょう。皇宮から逃げ出したりしなくても、私は婚約を解消して差し上げました」
シャルローナは、低い声音で答える。
まるで、湧き上がる怒りを理性で必死に押さえ込んでいるような声だった。
「そうですね。きっと貴女は、たやすく私との婚約など解消するでしょう」
「どういう意味ですか」
シンフォニーの表情から笑みが消える。
月夜の海のような紺色の瞳が、シャルローナを捉えた。
「貴女の“そういう”人は、他にいますから」
シャルローナは瞳を見開いて口をつぐんだ。
「私の元では、貴女は幸せになれない」
シンフォニーは続ける。
その言葉を聞いて、シャルローナは歪んだ笑みを浮かべた。
整いすぎた顔立ちでは、そんな表情さえも美しい。
「“幸せ”? 幸せになるための婚姻など、そもそも私達にはありえませんわ。お兄様だってご存知でしょう? 皇族として生まれてきた以上、仕方のない事です」
たとえ他に想い人が居ようとも、自分を殺し、心を殺し、国に尽くし皇帝に従うのが皇族の人間の宿命。
「これを覚えていらっしゃいますか?」
シャルローナが取り出したのは一通の手紙。
封の切られていないそれは、シンフォニーが姿を消す前にシャルローナに残した手紙だった。
「書いてある内容など、読まなくても分かります。これが私の望みだとお考えなら」
シャルローナは、シンフォニーの目の前で手紙を破り捨てる。
「お兄様は大変な勘違いをなさってますわ」
風がさらっていく紙片を目で追った後、シンフォニーはため息をついた。
「勘違いは貴女の方ですよ、シャルル」
「私が……? 教えていただきたいですわ。私が何を勘違いしていると?」
「何もかもですよ。皇宮を出て、ここに辿り着くまでに様々な事があったでしょう。皇帝の庇護の中では体験できない事もあったはずです。それでも貴女は気付かなかったんですか?」