5.-1 現実逃避
会議の翌日、僕は部長に呼び出された。
「穂積、昨日は本当に驚いたぞ。ほんとに、驚いて私もあの瞬間はどうにもできなかったよ。」
部長は頭を掻いてため息をついた。
「いつも冷静なお前のことだから、よっぽどのことがあったんだと思うが、完全に役員に目を付けられたぞ。フォローしきれないかもしれない。」
僕は頷いた。
「わかってます。僕のことは気にしないでください。でも部長と他のみんなに迷惑かけてしまったのが心配で。部署に影響がなければいいんですが。」
「その辺は俺が何とかする。でもお前は本当にアジアの客先に派遣になるかもしれないぞ。」
「むしろ、その方がいいです。頭冷やしたいんで。」
部長は再びため息をついた。
「先月みんなで考えた戦略、お前がいると力強いんだが俺たちでなんとかやるしかないな。」
僕は頭を下げた。
「あれはきっと成功すると思います。腰が重かった若手がだいぶ乗り気になっていたやつですから。みんなをよろしくお願いします、部長。」
「穂積も客先であまり苦労しないことを祈ってるよ。」
「そう簡単じゃないのはわかってます。」
部長と僕は顔を合わせて苦笑した。
「じゃあ、お前が専属で出張することを上に決定として報告するから。」
「はい。お願いします。」
数日後、来月から最低で半年のアジア出張が決定した。
正直、僕はほっとした。
とにかく、日本から、家から、宮鷹ユウの見えるところから逃げ出したかった。
普通の相手なら、もっと気持ちを表に出していこうとするだろう。僕だっていいかげん、何も言えない自分に嫌気がさしている。
だけど、よりによってなんだって女優なんか好きになってしまったんだ。いくら隣人で、その人の素顔を少しばかり知っているからって。いい大人が一回りも違う女優に惚れるか?ありえないだろう。
相手にこの気持ちが伝わらないうちに、早く冷めるように、一刻も早く鷹宮ユウの姿が見えないところへ逃げ出したい。
その願いがすぐに叶って、僕の気持ちは少しだけ軽くなった。
「さて、まずは母さんがうるさそうだな。」
昨日の電話のことも含めて、僕が逃げ出すように海外へ行くことを咎めるだろう。
夕食の後、ソファーに横になってテレビを見ている母親に声をかけた。
「そのテレビ、重要?」
「ユウちゃんが出てるわよ。」
僕は無言でテレビの電源を切った。
「何するのよ!そのドラマは楽しみにしてるのよ!」
「じゃあ録画するから。」
慌てて僕はもう一度テレビの電源を入れて、録画設定をした。
「何なのよ、改まって話って。」
「来月から、最低で半年、客先の工場に派遣になったんだ。」
「半年?!」
母親は驚いて起き上がった。
「なんでそんな急なの。」
「前から話は出ていたんだけど、人選が進まなくて。俺は独身だし、それにこないだ会社で失態したから、ちょっと向こうで頭冷やそうかと思って志願したんだ。」
「いったい何やらかしたのよ。やめてちょうだいよ警察沙汰は。」
「そりゃ大げさだよ。会議中に関係ないこと考えて、しかもそれをうっかり口に出した。」
「なにそれ、何を考えていたの?まさかお隣さんが関係あるの?」
「いや、直接関係があるわけじゃなくて、ただ週刊誌を見て動揺しすぎて・・・」
母親は信じられないという表情で言葉を失って僕を見た。
「もう十分凹んでるから、それについては何も言わないでほしいんだけど。」
「冗談じゃない!そんなくだらないことで大切な仕事失敗して、しかもお隣さんほっといて海外に逃げる気なの?」
「隣をほっとくって、そもそも何の関係もないから。」
「じゃあなんでそれが理由で大失態するのよ。」
「だから、それは僕の勝手な気持ちであって、お隣さんは知らないことだから。」
ついついこぼれる僕の本音に、母親はさらに呆れた顔をした。
「まさか本気なの、あんな若いお隣さんに。」
「だから、きっと今僕はどうかしてるんだよ。海外に行って頭冷やしてくるから。」
「いい年のあなたの心配はするつもりないけれど、さすがに週刊誌に取り上げられるようなことはしないでほしいわ。」
「わかってるよ。」
母親は、どうだか。というような顔を向ける。
「最低で半年っていうと、もっと長くなるかもしれないの?」
「あぁ、出張って言ってもホテル暮らしで客先の工場に通うんだ。納入した機械のラインを作ってくる。そう簡単にはいかないと思う。」
「あんた、現場なんてできるの?」
「今は営業っぽいけど、もともと技術やだし、そういう仕事していたからね。あとは英語できるやつってことで。」
母親はカレンダーをめくった。
「半年っていうと、年明けだね。正月は帰ってこれるの?」
「そんな先のことまだわからないよ。」
僕は苦笑した。
「半年も車置いといたら、あのポンコツは動かなくなるんじゃないの?」
母親はポルシェのことをそういった。
「ポンコツって。まぁ確かにそれはかなり心配なところだけど。」
「ま、今までうるさかったから静かでいいわ。あんたが出入りするのは夜中ばっかりだから。」
「・・・・。」
「あ、そんなことより。すぐに海外に行くんだったら、これいけないわね?」
「何?」
母親が白い封筒を差し出した。
「今日、お隣の奥様から預かったのよ。お嬢さんの舞台ですって。」
僕は封筒の中身を取り出して、固まった。
今まさに宮鷹ユウがもがいて頑張っている舞台のチケットだ。
日付は千秋楽のようだ。
「黙って海外には行けないか。」
母親が僕の様子を見て、お茶を淹れながら静かに言った。
「お隣の奥様も特に説明されずにこれを預かったみたいなの。お互い、首をかしげてるのよ。あなたは海外に行っちゃうけど、私はお隣同士おつきあいがあるんだから、ユウちゃんとどういう関係なのか聞いてもいいわよね。」
僕は口を開きかけて、確かめるように母親に言った。
「絶対に他言無用だからね。相手に迷惑かかるから。」




