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CANDY  作者: MIZUKI
7/22

4.-1胸の奥のキャンディ

悩める日々が始まってしまった。


こんな気持ちはしっかりと包んで心の奥底に閉じ込めておいたのに。

もう苦しくて面倒でややこしい気持ちに振り回されるのはやめようと決めていたのに。

いいかげん、そんなこと必要にない年齢にもなっているんだ。


色んなことを考えて必死に押し返し閉じ込めようとしても、気が付いてしまった思い。

胸の奥の方がざわつく、かさかさと包み紙をほどいて出てこようとする。

ひとつはほろ苦い、もう一つは多分、甘酸っぱいキャンディのような思い。


気が付かせたのは、姫だ。

自分でも呆れて何も言えない。



午後の統括営業会議の最中だった。

僕の耳に部長の声は届いていなかった。

ただ資料に目を落とし、席に座っているだけだった。

僕には何の関係もない。ただその言葉だけが頭の中を巡っていた。

関係ないんだ。何も。


「穂積くん、東部の資料を出して」

「穂積くん?」

「――――僕には関係ない!」


気がつくと叫んでいた。

はっとして顔を上げると、広い会議室は凍りついたようになっていた。

慌てて立ち上がる。

「申し訳ありません!ちょっと、別のことを考えてしまっていて」

頭を下げた。


「穂積くん、この大事な時期の会議に何を考えていたんだね」

僕は口をつぐんだ。

「そういう人はこの会議に必要ない。退席しなさい」

役員に言われ、僕はもう一度深く頭を下げて、資料を部長に渡して会議室を出た。

まるで自分ではないような失態をしてしまった。

こんなに動揺したことは初めてだ。

冷や汗をかいている。


席に戻ると、後輩が驚いて近づいてきた。

「穂積さん、会議どうしたんですか」

「あぁ、追い出された」

「え?!」

「今日はなんか頭が混乱してて、ちょっと集中できないんだ」

「どうしたんですか、穂積さんそんなこと今までなかったじゃないですか」

僕は苦笑した。

理由なんか言えたものか。駅で見た週刊誌のスクープに動揺してるなんて。


「最近、中国の長期出張の話が出てたよな」

僕は後輩の顔を見ず、机の上を片づけながら話した。

「え?あ、はい」

「もし部長がその話をしてきたら、僕が行く気があるみたいだと言ってくれないか。多分、今日話があるはずなんだ」

「先輩が?俺に話がきてたんですよ」

「お前、嫌なんだろ?彼女置いていくのが。どうせ僕は身軽だし、今日のヘマした分で飛ばされると思えばいいさ」

後輩は驚いて返事をしなかった。

「悪いけど、今日は早退するから。」

僕は逃げるように席を立った。


仕事の人、学生、主婦、なんだかわからない人、様々な人たちが乗っている午後の電車。

普段と違う不思議な空間の中で、僕は自分にずっと問いかけていた。

電車の中吊り広告に姫のスキャンダルが並んでいる。


鷹宮ユウの舞台相手とのスキャンダルに、なぜこんなに動揺するのか。

これまで一度も、こんなに何かに自分の気持ちが抑えられなくなったことなんてなかった。いつも必ず、冷静な自分がいた。

この動揺はどういう感情なのか。


記事を見たとき、拒否したい気持ちがあった。

それは自分の知るユウのイメージを壊したくないからか。

それとも、俳優の高橋が気に入らないのか。

高橋が気に入らないとはどういうことなのか。

それは僕が彼女に、姫に好意を持っているから。

自分の脳裏に浮かんだ言葉に、慌てて首を振った。


僕はただの隣人で、たまたま何度か話をしただけで、いつものいい人をやってるだけだ。

一般人ならともかく、姫に対していつも通りのいい人でいられないなんて。

今までは好意を持っている相手にもうまく感情が出せずにいい人であり続けていたのに、よりによって姫にこんな感情になってはならない。


僕は重い足取りで家に向かって歩いた。

姫の家の前でふと立ち止まる。二階の窓を見上げた。

確か、防犯用にカメラをつけているとか。

もし部屋にいるなら、僕の姿が見えているのだろうか。

「何考えてるんだ」

僕は自分の感情に疲れて、自宅の玄関に向かった。

「穂積さん!」

玄関を開けたときに、声が聞こえた。

足を一歩戻して隣を見ると、薄く開けた窓から姫が顔を出していた。

「あの、ガレージにいってもいいですか」

僕はまともに姫の顔を見ることができなかった。

「今日は、だめです」

小さく答えて、僕は家に入った。

彼女の辛そうな様子に気づく余裕はなかった。



一時間ほどして、母親が呼びに来た。

「お隣のお嬢さんから電話なんだけど」

そうきたか。

僕は慌てて階下へ降りた。

「確か、女優さんよね?どうしてあんたに電話を」

母親の声は無視して電話に出る。どうせ聞き耳を立てているんだ。


「・・・もしもし?」

緊張して声が上ずる。

「電話なんかして、すみません。お母さん大丈夫ですか?」

「そりゃ驚いてますよ」

「ですよね。あの、穂積さんご存じかもしれませんが」

僕は黙っていた。


「あの日、これ以上ないくらい悩みに悩んだ舞台稽古のとき、演出家の人が笑っていたんです。それで落ち込んでいたら、相手役の高橋さんに誘われて」

「なんでそんなことを僕に話すんです」

僕はつい苛立って言った。

「私、今日の練習にどういう顔していけばいいのか、このまま舞台に立っていいのかわからなくて」

「相手役の人に気に入られたんだから何も問題ないんでしょ」

「気に入られたなんて違います、怒らせてしまったんです」

「知りませんよ。そんな二人の関係のことまで僕に相談するんですか」

「あのスクープはやらせなんです。ホテルの部屋の鍵を渡されたところを撮られたけれど、私怖くてトイレに逃げ込んで、マネージャに助けてもらったんです」

「僕に言い訳する必要はないでしょう」

「だから、そうじゃなくて、どうしていつもみたいに話を聞いてくれないんですか」

姫は泣き声になっていた。

僕も苦しくてたまらなかった。

どうして急にこんな気持ちになってしまったんだろう。


「高橋さんは多分、私を降板させたくてあの写真を用意したんです」

僕は答えようがなかった。そんな芸能界の裏事情になんの助言ができるのか。

「だけど、穂積さんが言ってくれたように、この舞台に出られるチャンスを逃したくないんです」

黙っている僕に、姫は話し続けた。

「でももしかしたら、このまま私が舞台に立つことは、みんなに迷惑がかかるんじゃないかと思って。きっと雑誌のことでほかの役者さんにも取材が入ったりして」

姫は一呼吸置いて、言った。

「だから、次のチャンスを頑張ろうかと思って」


「――――多分、次はありませんよ」

僕は姫の言葉に、ふと目が覚めたように反応して答えた。

「今日、僕はなんでこんな時間に帰宅したと思いますか?社内でひどい失敗をしてしまったからです。みっともないくらいです。多分、姫のようにすぐに次のチャンスがやってきて、挽回できることはないでしょう。だから姫、そう簡単に次があると思ってはいけません」

僕は、自分のみっともない姿を思い出し、冷静になった。

「ひどく悩んだ稽古の時に、演出家が笑っていたといいましたね」

「はい。人の苦しい顔を見て喜んでいるような」

「僕が思うには、それはいい線いっているということだと思いますよ」

「そんなことはないと思いますけど」

「そもそも、その方が大いに悩めって言ったんでしょう。だったら今日も大いに迷って悩んでいる感情を思い切り出してみてください」

姫は考えているようだった。

「そうしたら多分、そのうち霧が晴れますよ」

「そうでしょうか」

「大失態した僕が言うのもなんですが、大丈夫だと思います」

「穂積さんに言われると、なんだか自信が持ててきます。頑張ってみます」


僕は、また胸が苦しくなった。

それは、どういう意味ですか。意味なんてないですよね。

こんな風に考えてしまう自分に苛立つ。

「穂積さんも、挽回のチャンスが来ることを祈ってますね」

僕は思わず苦笑した。

「僕は姫と違って逃げるかもしれません。」

「え?」

「姫もしっかり強くなってくださいね」

僕はそっと受話器を置いた。


傍らで聞いていた母親が不安げに息子に声をかけた。

「あなたたちは、どういう関係なの」

「隣のいい人」

母親はため息をついた。

「大変だね、なんだか」

「芸能人って悩みが多そうだよ」

僕がいうと、母親は首を振った。

「あなたのことよ」

僕は言葉もなく、さっさと居間へ戻っていく母親の背中を見送った。


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