2.-1 悩める雨の日々
隣人であり若い女優、宮鷹ユウとの突然のドライブの翌日からは、またいたって平凡な日常が続いた。
日曜日は趣味の自転車でツーリングしたり、整備したり。
彼女の顔をテレビ以外で見ることもなく、まるであの夜は夢だったような気がするほど、何事もなく時間が過ぎて行った。
変わったのは、僕の行動だ。
今まで、彼女をテレビでを見ても、目に入るだけで「見ている」わけではなかったが、今ではついじっと見てしまう。
おかげで、連続ドラマなんて久しぶりに見るようになってしまった。
そんな風に季節は進んで、少し重苦しい暑さの梅雨がやってきた。
通勤は電車なので、この季節は不快指数が非常に高い。
クールビズはうちの業界にはなかなかやってこないので、余計に暑苦しい。
こういう季節こそ、ひとりで快適に車通勤できたらいいのにと心底思う。
いっそ、会社の近くに駐車場を借り上げようか、なんて。
そんなことを考えながら、蒸し暑い電車に揺られていた。
その晩は、雨が激しくなっていた。
早くも台風が近づいているらしい。仕事を早めに切り上げて、駅へ足早に歩いた。
家に着くころには、傘が意味のないくらい跳ね返りの強い雨脚になっていた。
玄関へ急ぐと、目の端にピンクの傘が映った。
ガレージ脇の扉に、ピンクの傘。
まさか。
階段を降りていくと、隣人の宮鷹ユウ、姫が立っていた。
「姫、いつからそこにいるんです」
「ううう」
声にならないほど泣いている。
「ちょっと待っていてください。家に入って開けますから」
僕は慌てて玄関に戻って、濡れた靴下を脱ぎ捨てて家に入った。
そのまま地下へ降りてガレージの中から扉を開けて、姫を中へ入れた。
「濡れてるじゃないですか、風邪ひいたら大変ですよ」
ひたすら泣いてしゃくりあげている姫を小さな椅子に座らせて、今度は自分の部屋へ走った。
母親が何事かと声をかけてくる。
「ひどい雨で濡れたから、着替えてるんだ」
廊下から母親に声をかけて、濡れたスーツを脱いで、ジーンズと清潔なシャツに着替えた。
そしてバスタオルと適当なTシャツを手に、再びガレージへ戻る。
姫はまだ泣いていた。
「髪と体を拭いて、とりあえずこれ着てください。僕はあっちに行ってますから」
タオルとTシャツを渡し、ガレージの隅にあるミニキッチンでコーヒーを淹れた。
チラッと姫の方を見ると、タオルを手に静止したままだ。
「だめだこりゃ」
僕は熱いコーヒーが入ったカップを手に、姫の方へ戻った。
テーブルにコーヒーを置いて、ぼんやりした姫の手からタオルを取る。
「拭きますよ。痛かったら言ってくださいね」
僕はバスタオルを彼女の頭にバサッとのせて、いい加減に髪を拭いた。
彼女は黙ってされるままだった。
絡まってしまった髪をどうしたものかわからず、とりあえず水気だけは拭きとった。
濡れた服をどうしよう。
「自分で着替えてください」
「ドライブ行きたい」
小さな声で姫が言った。
「わかりましたから、先に着替えて」
「うん」
ようやく、姫はTシャツを手に取ったので、僕は背中を向けた。
「着替えました」
姫はTシャツに描かれた落書きのようなドナルドダックに少し表情を和らげた。
「穂積さんのイメージじゃないな、キャラクターものなんて」
「友達のアメリカ土産ですから」
「なるほど」
納得して、姫は熱いコーヒーをすすった。
「あったかくておいしい」
そう呟いてコーヒーを飲みながら、再び涙を流した。
これはしばらく泣きやみそうにない。
「じゃ、とりあえず車に乗りましょうか」
僕はエンジンをスタートし、ガレージのシャッターを開けた。
「台風が近づいているから、ひどい雨ですね」
「ちょうどいいよ、私のひどい顔も誰もわからないから」
僕は苦笑して、いつものようにゆっくりと車を出した。




