10. とまどい
僕は久しぶりに愛車を運転して、そのハンドリングの気持ちよさを改めて実感していた。
助手席では相変わらずストールぐるぐる巻きにサングラスの姫が、運転免許証を見せびらかしながら、ポルシェを空港まで運転してくることがどれだけ大変だったかを語っている。
きっとハラハラし通しで寿命が縮んだのは、一緒について走ったマネージャだったに違いないが。
「そういえば。」
姫が話を変えた。
「私とのことは忘れるつもりじゃなかったの?」
少しからかうような口調で言う。
僕はちょっと考えてから答えた。
「そうですね、“隣のいい人”はやめるつもりでいましたよ。」
「あ、開き直ってる感じ。」
「隣の友人にしてもらおうかと。」
「キスしておいて、友達?」
「・・・きっとそれも無理ですね、僕はもう諦めたんです。」
「?」
「隣のいい人や友人でいるなんて、僕には出来そうにありません。何と言っても今回の出張の原因は、週刊誌の記事を見てバカみたいに嫉妬してしまった為ですから。」
「え?あの舞台の時の?」
僕は視線だけ軽く姫に投げかけて苦笑した。
「その時に分ったんです、好きなんだと。でも、あり得ないと、非常識だと押さえ込みました。半年も連絡取らなければ、一時のことは忘れると。」
二人を乗せたポルシェは、半年以上放置されていたとは思えないほど軽快な走りで、冬晴れの首都高を走っている。
「でも、会いたくてたまらなかった。結局、姫は僕にとって一番大切な人になってしまいました。」
この先、何もしないままで後悔はもうできない。
「だから、姫を忘れることも、自分を誤魔化すことも、いい人でいることも諦めたんです。」
この気持ちも、さっきのキスも誤魔化さない。
僕は少し姿勢を正して、ハンドルを握り直した。
「僕は・・・姫に、宮鷹ユウに本気で惚れています。」
笑っていた姫は、僕の言葉を聞いた後、うつむいていた。
そのまま二人が黙っている間に車は高速を抜けた。
一般道を緩やかに走る。
信号で停まると、うつむいて考えている様子の姫の髪に、僕はそっと触れた。
「受け入れられないなら、気にせずそう言ってください。その方が助かります。」
姫は首を横に振った。
もしも穂積さんが私のことを想ってくれていたら、私はきっと嬉しい。
悩んで迷って、酔っぱらって、泣いて、まともなところをほとんど見ていないのに、家族にもあまり見せないような部分ばかり見せているのに、それでも私のことを想ってくれるなら。
私の本当に大切な人。
「姫に、宮鷹ユウに本気で惚れています。」
好き、とか、愛してる、じゃない。
穂積さんらしい、真剣な言葉。
言葉で本気を伝えられた瞬間、私は胸がギュっと痛んだ。
嬉しいだけじゃない、何か苦しい。
この苦しさはきっと、嬉しさと同時に、失うかもしれない、失ったらどうしよう、傷つけたらどうしようという不安だ。
嬉しい、私も、そう答えたい。
でも、この不安な気持ちも知ってもらいたい。
そうしたら、彼はどう答えるのだろう。
「私・・・実は自分の気持ちがはっきりわからないまま、空港へ行きました。ただ、早く会いたいという思いがあったので。でも、穂積さんの気持ちを聞いて、今の私は凄く嬉しく思っています。だから、とても・・・」
「不安なんです。」
小さな声で言った。
「私は、穂積さんのおかげで頑張ろうって思えて、ようやく仕事が楽しくなってきたんです。」
穂積さんは黙って聞いている。
「だけど、私の仕事の世界は難しくてわかりにくくて、世間を混乱させたりもするところだから・・・・迷惑をかけてしまうのが怖いんです。」
だから、傷つけてしまうのも、傷つくのも、失うのも、怖い。
それでも、今の仕事をやっていこうと思っている私を、どう受け止めてくれるんだろう。
受け止めてはくれないのかな。




