9. 甘酸っぱいキャンディ
現れたポルシェは自分の車だということは分っていたが、俄かに信じられずに僕は車の後部に回り、ナンバーを確かめた。
それからそっと助手席の窓から中を覗く。
左側の運転席に、帽子とサングラス、ストールでぐるぐる巻きの、おそらく姫であろう女性が横向きに眠っているように見えた。
僕は助手席の窓を軽くノックして、小さめの声を出した。
「姫、穂積です。聞こえますか?」
窓をノックする音に姫はピクリと反応したが、それ以上動かない。
僕は思いついてケータイを取り出した。
しっかり登録している姫の番号を呼び出す。
少しすると車の中で姫がケータイを手に取った。
「もしもし、姫ですか?穂積です。」
「あ、もしかして・・・。」
「今、車の横にいます。」
僕はもう一度、窓をノックした。
姫がそっと体を起こしてサングラス越しに僕の姿を確認する。
「鍵、開けてください。」
僕は助手席のドアを開けると素早く乗り込んだ。
手荷物を後部座席に置いて、ふと考える。
はじめに、何と言おうか。
今まで通り、さらりと、何気なく「ただいま帰りました。」というか。
それとも、この車をどうやってここまで持ってきたのか問うか。
ぐるぐる巻きで顔の見えない姫がゆっくりとサングラスを外した。
その瞬間、僕は頭で考えていたことなどどこかにすっとばしていた。
僕は、思いきり、姫を抱きしめていた。
姫の体温を感じると、胸に、ヒリヒリするような、苦しいような感覚が広がる。
胸の中に、苦い思い出の詰まったキャンディがひとつある。
そして、甘酸っぱい想いのキャンディもひとつ。
僕は今、甘酸っぱいキャンディの包み紙を開こうとしている。
いつもそれをほろ苦い思いが止めてきた。
だけどもう、今は止められない。
独りでいることが気楽だと、自分にはそれが似合っているのだと信じていた。
信じることで、自分を誤魔化していた。
しかし、姫の存在がそれを露わにした。
僕の中で孤独に耐えられない思いが、気持ちが、溢れ出す。
僕の最後の甘酸っぱいキャンディを、どうか姫が食べてくれますように。
僕は少し体を離して、姫の顔を見た。
彼女も僕を見上げる。表情は柔らかく微笑んでいる。
その瞳は少し潤んでいるように見えた。
僕は、そっと、そっと甘酸っぱいキャンディの包み紙を、胸の中で開く。
「姫・・・」
彼女の腕がそっと僕の背中に回される。
僕はキャンディをその唇にそっと含ませるように、唇を重ねた。




