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第6話

「音、出るかな?」

  さすがの彼女も少し戸惑い気味。そして、慣れた手つきで鍵盤の上に指を滑らせていく。多少はくぐもって聞こえるものの、とりあえず音を奏でることには支障はないようだ。

「ああ、良かった。パート別になると、ピアノが全部塞がっちゃうから。これから竹本くんがつかうために、ここもきちんとしないとね。ええと、竹本くんはピアノが……」

「ごめん、ぜんぜん駄目。ついでに楽譜も読めない」

  彼女の質問の続きがなんとなくわかったから、先回りをして返事をした。奏斗の返事に美音はとくに驚いた様子もなく平然としている。

「うん、そうだよね。合唱部の部員も、最初はみんなそんな感じ。大丈夫、慣れれば誰でも自分で音取りが出来るようになるから。それまでは私が全面的にバックアップさせてもらうね」

  なんかまた、全校の男子生徒を敵に回すような発言をされている。本当にいいのだろうか、ただの助っ人部員には破格の対応だ。

  そう思う奏斗の脳裏を、今朝佐々木に見せられた校内新聞の記事がさーっと通り過ぎた。

  美音は埃をかぶった椅子を軽く叩くと、そこに座る。

「歌い出しは女性パートから、そのあとに追いかけるみたいに同じ旋律を男声が追いかけるの。そのときはテノールが主旋律になるから、ソプラノの迫力に負けないように頑張らないとね。そのためにも男声の強化が必要だったの。山田先生はいざとなったらテノールとバスで斉唱にしてしまおうと仰っていたけど、理想を言えば歌に厚みを保たせるためにもパートに別れた方がいいに決まってるし」

「へ、へえ……そうなんだ」

  相変わらず、惹き付けられるような魅力的な声だ。ここまで理想的な美少女が存在していいものか――とか関係ないことを考えてしまうので、なかなか話題に集中することができない。

  正直、合唱のことなんてよくわからない。確かに今までの人生、音楽の授業やその関連のイベントで苦労した経験はないが、かといって本気で取り組んでいたかと言われれば首をかしげてしまう。

「とにかくは最初から音を追ってみよう。参考までに主旋律を右手で一緒に弾くね。音を抑えるけど、こっちにつられないように気をつけて」

  それからしばらくは、楽譜を目で追いながらピアノの音に合わせて歌うことに集中した。

  この合唱曲は流れるように続いていく曲調で、音が飛んだりする箇所も少なくどちらかというと歌いやすい。覚えるのもそれほど難しくはなさそうだ。

  しかし。

  曲が一番の後半に差し掛かったとき、急に「違和感」を覚えた。

  どうしてそんな風に感じたのかはわからない。でも、間違いなくモヤモヤっとしたものがあたりに漂い始めた気がしたのだ。

「……あれ?」

  それと同じ頃、美音も小さな声を上げて指を止める。

「どうしたの?」

  奏斗が訊ねると、彼女は不思議そうにこちらを向き直った。

「ここと、ここの音が出ないの。やっぱりきちんと調律していないから駄目なのかな」

「……本当だ」

  美音が指し示しているのは、真ん中よりもふた山くらい右にある鍵盤だ。

  楽譜もろくに読めない奏斗であるが、取り合えず「ふたつ並んだの黒鍵の左側が『ド』」ということくらいは知っている。

「うーん、まあいいか。音取りには関係のないキーだしね……」

  そう言いつつも彼女はまだ腑に落ちない様子。その後も何度か三つの鍵盤を交互に押し続けている。でもいくら試しても、ピアノの内部で何かが鈍くぶつかり合う音がごつごつと聞こえてくるのみ。

  しかし、次の瞬間。

  本当に信じられないことが起こった。

ピアノの目の前の箱のようになった部分、そこの上方から黒々とした煙がもわーっと立ち上ったのだ。

「……っ……!?」

  なんだなんだ、まさかあまりにピアノが古すぎてショートしてしまったとか?

  いや、これは電子機器ではないのだから、それはさすがにないだろう。でも、それならいったい……!?

「えーいっ、うるさい! いい加減にしろ、こんなにやかましくされたら静かに昼寝もできないじゃないか……!」

  黒い煙はいつの間にか天井近くで大きな固まりになる。

  そしてそれが一気に弾けるのと同時に、地の底を這うような異様なうなり声がした。

「ひっ、ひええええっ……! ヤバイっ、如月さんっ、逃げよう……!」

  いったい全体どうなっているのやら。でも、やはりここは逃げるが勝ちだろう。

  そう思った奏斗は呆然と固まっている美音を後ろから抱きかかえるようにしながら、入り口ドアに急いだ。あとから考えてもかなりの密着度だった気がするが、そのときは夢中だったので貴重な経験を堪能している余裕もない。

「えええっ、これってどうなっているんだ!?」

  だが、ドアノブはいくら回しても開かない。

  そんな馬鹿な、鍵なんてかけてないぞ。音楽室側にも鍵穴なんてなかったはずだし……まさかあまりの古さにドアが錆び付いてしまった? いやいや、そんな馬鹿な……!

「おいっ、そこの軟弱な若者! なにをそんなに慌てているのだ」

  先ほどのドスのきいた声が、再び聞こえてくる。やっぱり、幻影などではなかったんだ。だがどうして。ここは当たり前の高校校舎、音楽室の隅の小部屋ではないか。

「はっ、ははは、はい……」

  仕方なく、恐る恐る振り返る。そして、奏斗の目に映ったのは、あまりにも信じられない、とてもあり得ないと思われる光景であった。

  全身が黒ずくめ、しかもマントのようなものを背中に着けた男が宙に浮いている。歌舞伎役者も真っ青なくらい濃いめの顔立ちに、服装と同じ黒々とした髪を長く伸ばしていた。

  どう見ても普通じゃない。これは、二次元の世界でしかお目に掛かれないものではないか。

  ということは、これは音の狂いすぎているピアノが見せた白昼夢……っ!?

  試しに奏斗は、自分の頬をぎゅっとつねってみた。……ものすごく、痛い。

「なにをしている。だいたい、俺様を呼び出しておきながら、その態度はなんだ? せめて、わざわざのお出ましありがとうございます、くらい言えないのかっ!」

「……な、ななな……」

  如月美音の手前、できればあまり情けない姿をさらしたくはない。

  だが、そう思いつつも、心臓は跳ね上がり、自分の気持ちをコントロールすることも無理になっていた。

「ええと、よ、呼び出すなんて。俺たちはそのようなつもりじゃ……」

  そうだ、ただ合唱曲の音取りをしていただけではないか。こんな変なものに取り憑かれるいわれはない。

「お前らはそうじゃなかったかもしれないがな、結果として封印を解いてしまったんだから責任は取ってもらおう」

  まだ、わけのわからないことを言っている。もうどうでもいいからこのドアを開けたい。そう思って、思い切り体当たりをしたら、今度はあっけないほど簡単にドアが開いた。

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