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第5話

 本校在校生男子、全ての憧れの的。そんな彼女を目の前にして、落ち着けと言われても無理な話だ。

  それに、佐々木が今朝持っていた怪しげな新聞部の号外とやらのことも、額のあたりにモヤモヤとまとわりついてくる。彼女はあんな風に噂されていることを知っているのだろうか。……いやいや、こんなデマに追いかけられるのはもう慣れっこなのかも知れない。

「どうしたの、竹本くん」

  不思議そうに見つめられて、ハッと我に返る。

  気づけばお茶のペットボトルを手にしたまま固まっていた。これでは、そのまんま怪しい男になってしまう。

「あ、いや……その、音楽室ってなんだか落ち着かないなと思って」

「そうなの? どうして」

  大きな黒い瞳は、光を集めたみたいにキラキラと輝いている。撮影用のライトを当てているわけでもないのに、これはどうしたことだろう。

「ええとっ、だって、ここって魔女の授業をするところだし。……そう思うとどうしても」

  こっちとしては、平然と昼食をとっている彼女の方が信じられない。

  そりゃ、見た目の異様さに比べたら、魔女の音楽の授業は「普通」だった。でも、それはあくまでも「魔女の授業にしては」という但し書きが必要である。

  たとえば、歌やリコーダー、その他楽器を皆の前で演奏する試験。その際には特別の緊張が強いられた。なんせ、審査をするのは「魔女」。あの意味ありげな微笑みにじーっと見据えられていたら、身体じゅうから変な汗がだらだら流れ出てしまう。あれでは、本来の力を出そうとしても絶対に無理だ。

  奏斗にとって、音楽は点稼ぎをするための貴重な教科であると言っても過言じゃない。だから、どうにかして実技試験では高評価を狙いたかった。そのためにはありとあらゆるプレッシャーをはねのけ、魔女に見られているという事実までを心から消し去らなくてはならない。

  が、そうするためには、「魔女」のインパクトがあまりにも大きすぎるのだ。

  そんな風に思い悩んでいたのは、なにも奏斗だけではない。もともと芸術選択といえば、他に比べれば少しはマシな成績を望めるだろうと踏んで決定するものだが、芸術の時間に音楽室に向かうその誰もの顔に「入学前にもっとしっかりとリサーチしていれば良かった」という後悔の色が濃く現れていた。 

「如月さんはそんな風に考えたりしないの?」

  いやいや、合唱部に入っているくらいだから、それなりに「魔女」に対する免疫が付いているのかもしれない。そう思うが、あまりにも平然としている彼女が不思議すぎて、ついつい訊ねてしまう。

  しかし、その答えは奏斗にとってはとても意外なものであった。

「え? 私、音楽の授業って受けてないから」

「へ?」

  驚きすぎて、考えるよりも間抜けな声が先に出てしまう。

「え、ええと……もしかして、特進クラスって芸術選択がないとか?」

  そうか、そういうパターンも考えられた。なにしろ、学業第一で我が校の進学率をガンガン上げるための最終兵器として頑張っている優等生たちである。芸術科目の代わりに英語や数学の授業が多くなっていても、なんら不思議はない。

  しかし、美音の答えは違った。

「違うよ、ウチのクラスもみんなと同じように芸術の時間はあるよ。でも、私は書道選択だったの」

「……そ、そうなんだ」

  なんだか意外な展開。こうして合唱部に入っているのなら、やはり授業中に「魔女」に目をつけられたのだとばかり思っていたのに。

「山田先生の音楽の授業、どんな感じかな? 先生、部活のときもあまり顔を出してくれないから、全然想像がつかないの」

  彼女はにこにこと微笑みを絶やすことなく、気がつくと弁当箱を空にしていた。一方の奏斗は、未だに菓子パンをひとかじりしたままの状態。これはヤバイと、慌てて残りを口に突っ込んだ。

「そ、そうなんだ。魔女、いや、山田先生は部活にはあまり出てこないんだ」

  その情報を耳にして、かなりホッとする。せっかく芸術選択の授業が終了したと思ったのに、また「魔女」と関わる羽目になるのは半端無く嬉しくない。

「うん、なにしろこのとおり、部員がそろうのもなかなかないしね。だから竹本くんもすぐにみんなに追いつけるよ、そのためにまずは音取りを完璧にしちゃおうね」

  ほー、それにしてもどの角度から見ても隙のないこの可愛らしさはどうだろう。髪の毛はさらさら、ふわっとした輪郭に桜色の頬。瞬きをするたびに、長いまつげが揺れる。こうやって、一部分ずつチェックしていくとなんとも作り物っぽい雰囲気に思えてくるが、目の前の彼女は間違いなく本物だ。

「あ、……うんっ」

  そこで、奏斗はようやくここに来た理由を思い出す。

  そうだった、自分は合唱部の一員となるためにわざわざやってきたのだ。きっかけはこの上なく不本意なものであったが、こうなったら後には引けない。だいたい、今逃げ出したら、あのいけ好かない生徒会長の思うつぼではないか。

「まずは楽譜を探さないと。突き当たり並んだ小部屋の真ん中が合唱部の部室になっているの」

  前にも話したかも知れないが、音楽室の入り口から見た突き当たりの壁には、等間隔に五つのドアがある。そのガラス窓には「1」から「5」までの紙がそれぞれ貼られていた。

  美音に案内されたのは、「3」と書かれたドアの向こうである。

「へえ、綺麗に片付いているんだね」

  さすがは女子が主体の部活。ドアを入って左の壁にはピアノが置かれ、その反対側の壁際には本棚がずらりと並んでいた。天井まであるその場所にはまさにぎゅうぎゅうといった感じで楽譜らしき物が詰め込まれている。それでもピアノの上や本棚のちょっとした空きスペースには造花や小さな人形などが並べられていた。

  彼女はちょっと背伸びをすると、慣れた手つきで楽譜を選び出す。

「合唱部の年間行事で一番のイベントは六月末に行う定期演奏会。でも、まず当座は来月半ばの新入生歓迎会ね。そこのステージで定演で歌う曲の中から何曲かを披露することになっているの」

  そう言いながら奏斗の前に差し出されたのは、「ぶどう摘み」というタイトルの楽譜だった。

「これはとてもメロディーラインが素敵な歌よ、でも男声がしっかりしないと話にならなくて……山田先生もとてもお困りだったみたい。それで、竹本くんに白羽の矢が立ったという訳なのね」

  もちろん、見たことも聞いたこともない曲だ。中学の頃には毎年クラス対抗の合唱コンクールがあったが、その中でも歌われたことはなかったと思う。

「じゃあ、二番がいいかな? あそこの部屋が一番狭いから」

  このまま部室で音取りをするのかと思ったが、そうではないらしい。奏斗たちがドアから出て行くと、ちょうど一年女子が数人音楽室に入ってきた。

「あ、先輩! こんにちは~!」

  口々にそう挨拶するところをみると、彼女たちも合唱部員なのだろうか。美音が笑顔で応える。

「こんにちは。ソプラノはそこのグランドピアノで、アルトは部室で。テノールは一番、バスは五番でそれぞれ音取りをしてね」

  さすがは先輩部員というところだろうか、てきぱきと指示をしている。それに対する後輩たちの反応もとても素直だ。昨日の拉致事件から察するに合唱部とは変わった奴らばかりかと思っていたが、少なくとも女子部員の方はまともなのだろうか。

  そう思いながら、美音が開けた「二番」のドアの向こうを覗く。

  しかしそこは……普段は誰も使ったことがないのではと思われるほど、埃だらけ。しかも段ボールがそこらじゅうに散乱している。

「わー、とにかく窓を開けようか。たまには掃除しないと駄目だね」

  美音がピアノのふたを開けると、元の色が分からないほど黄ばんだ鍵盤が現れた。

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