25歳の継母は、18歳の義息子に「もう母上と呼ばなくていいですか」と尋ねられました―バラは一輪と言っていたはずなのですが
「ディー、ルアンをどうか……頼む……君と……」
私は、コナー様に縋り付いて泣き崩れた。
「もちろんですわ!何もご心配は要りません!
私が必ず立派に育てますわ!」
――私は、夫コナー・マクリル侯爵の葬儀ではもう泣かなかった。
前夫人との子、つまり私の義息子である十三歳のルアンの背中に手を置き、支えていた。
この子を誰よりも立派に、天国のコナー様に誇れるように育てることを固く心に誓いながら。
***
「ルー、どうして?」
私はため息をついた。
窓から見える空は、今にも雨が降り出しそうな黒い雲に覆われている。
「オドネル伯爵の御令嬢よ?十七歳で貴方の一つ下……
可愛らしくて、素敵な方じゃないの。
もういくつもお断りしているわ。そろそろ……」
「結構です、母上。」
その頑なな声に、私は頭を抱えてしまった。
私がこのマクリル家に後妻として嫁いできたのは、私が16歳、ルアンが9歳のときだった。
天使のように可愛らしくて、よくなついてくれて、
亡くなったコナー様とルアンと三人で幸せな日々を送っていた。
私には子供ができなかったから、
この子にはちゃんとした方と結婚してもらって、跡継ぎも……。
それがコナー様も望んでおられることだ。
もう一度説得しなくては……
「母上、具合がお悪いのですか?」
頭を抱えていた私の肩に、ルアンの両手がかかる。
「このままソファで横になってください。」
「……ありがとう。」
(具合が悪いのは貴方が原因よ。)
――そう思いながらも、壊れ物のように私の背中をそっと支えながら、
ソファに横たえてくれるのは嬉しい。
大きくなった手。
逞しくなった腕。
低くなった声。
こんなに大きくなったのに、私には相変わらず優しいルアン。
ソファに横たわった私のそばで片膝をつき、私の額にそっと手を当てる。
「熱はなさそうです、母上。」
私はフッとため息をついて、ルアンの頬に手を伸ばす。
ルアンは私の手をそっと両手で包んでくれる。
「ねえ、ルー。
貴方は騎士学校でも素晴らしい成績を修めて、
秋からは近衛隊に入隊することになっているわ。
最高のタイミングだと思うの。
今、身を固めれば、どれほど亡くなったコナー様が喜ぶか!
私も安心して北の領地の……」
「母上。」
急に鋭い声でルアンが遮った。
「今、何とおっしゃいましたか?」
「貴方が結婚したらね、実家のウォルシュ侯爵の領地に別邸があるの。
そこに行くことになって……」
私は少し慌てた。確かに、ルアンには隠して進めていた話だったのだ。
――小さなルアンが不安になって、学業に影響が出ては問題だと思っていたから……
「聞いていません。」
私の手を握るルアンの力が強くなる。
「機嫌を悪くしないで。心配させたくなかったの。
私には貴方を立派に育てる責任がある。だから、学業に専念してほしかったのよ。ね?」
窓を強い雨が叩き始めた。
私はルアンの手を優しくトントンしながら言った。
「今日の夕ご飯には、貴方の大好きなキッシュを用意させるわ。
バニラ・ムースも……
だから機嫌を直して、ね?」
「母上は……」
ルアンはマゼンダカラーの瞳で私を凝視した。
「このマクリル家から離れるおつもりなんですね?」
「ええ、そうよ。」
私は、きちんと座り直し、ルアンの美しい瞳を見つめ返した。
「もう貴方も十八歳。近衛隊という栄誉ある職につき、
これから結婚もする。
そこからは、このマクリル家は全て貴方が背負うべきよ。
――ルアン・マクリル侯爵として。」
ルアンはしばらく、息を止めたように、私をじっと見つめていた。
サァッと吹き付ける雨音が部屋に響く。
(それにしても、なんと美しく、立派に育ったのだろう。
こんな瞳で見つめられて、この子を愛さない女性なんかいないわ。)
「分かりました。」
「まあ!分かってくれたのね!では、オドネル伯爵の御令嬢と……」
「それはお断りします。」
「え!?……どうして……」
「分からないのですか?」
ルアンは私の手を離して勢いよく立ち上がり、扉から出ようとしたが、
パッと振り返った。
「もう母上と呼ばなくてもいいですか?ディアドラ嬢。」
「じ……嬢!?」
驚いて叫ぶ私に向かって、ゆっくりとルアンは戻って来る。
「貴女には夫もいない。そして、マクリル家から離れてウォルシュ家に戻る若い女性。
ディアドラ嬢でしょう、当然。」
「何をわけの分からないことを……!」
「わけがわからない?では、理由を説明しましょう。」
片肩のマントがふわりと浮き上がったかと思うと、
ルアンは片膝をついて私の手に口づけをした。
「ディアドラ嬢、貴女を愛しているからです。」
私は凍り付いた。
「じ、冗談を……」
引っ込めようとする手は、力強い男性の――大きくなったルアンの手に握られて動かない。
「冗談ではない。僕が冗談でこんなことを言う男だと思いますか?」
熱っぽいマゼンダカラーの瞳が私を捕らえる。
私はようやくルアンの手を振り払って、部屋の片隅に走った。
「出て行きなさい、ルアン!
婚約の話は私の方で進めます!こんな馬鹿なことを……」
「馬鹿なこと?
――僕にとって、僕の人生で一番苦しいことなのに?」
ルアンは唇を噛みしめてうつむく。
「――そうですよね……貴女はいつもそうだ。」
ルアンは私の部屋に飾られたものにゆっくりと歩いていく。
「この賞状も、
このトロフィーも、
貴女が押し花にしてくれたこの花も……全部……
貴女が僕を見てくれることなんかないのに……」
「私は、誰よりも貴方を見ていたわ!」
ルアンは静かに私を見た。
「ええ、わかっています。
貴女は父上の遺言を真面目に……」
そう言うと、小さなコナー様の肖像画を手に取った。
「真面目過ぎるほど……」
遠くで雷が鳴る。
ルアンは肖像画を手にしたまま、私に歩み寄る。
「何を……」
私は掠れた声で呼びかけ、身を守るように両手を胸の前で握り合わせる。
もうルアンを見ることはできなかった。
――と、グッと何か固いものが押し付けられる。
チラリと見ると、コナー様の肖像画だ。
反射的にそれを受け取る。
が、ルアンは肖像画から手を離さない。
「父上の肖像画を持ったまま、話を聞いてください。」
私はコナー様の絵に目を落とす。
「なるべく早く、ウォルシュの別邸にお移りください。」
サーという雨の音が耳元で鳴る。
私は、自分の顔が氷のように冷えていくことを感じた。
「私に、出て行けと言うのね?」
急にルアンは吹き出した。
「母上がご自分でおっしゃったんでしょう?
――違った、ディ、ディアドラ嬢が、そうおっしゃった、から……」
ルアンは真っ青な私をチラリと見ると、急に慌てた顔になった。
「関係を新しくできる可能性が少しでもあるなら……そうしたいと思っただけです!」
叱られて言い訳するときのルアンの口調だ。
私はようやく氷の湖から抜け出した気がした。
「どういうこと……?」
ルアンはため息をついた。
「僕は愛を告白してしまいました。
この屋敷でこれまで同様に過ごすことは難しい……そう思いませんか?」
私は頷いた。
「しばらく、ウォルシュの別邸でお過ごしいただくのはどうかと……そして……」
肖像画を握る私の手に、ルアンの指がそっと触れる。
「僕は一週間に一度、決まった時間に貴女に会いに行きます。
貴女が望むものを持って……」
私はよく分からないまま、促すようにルアンを見る。
ルアンは少し微笑んだ。
「例えば、庭のバラの蕾を一輪……
チョコチップスコーン……
お茶の葉……
僕の手紙……」
「手紙?貴方の?」
「例えば、ですよ……!近衛隊でこんなことがあったとか……」
「まあ、会いに来るなら話せばいいでしょう?」
「そう、そうですけど、例えば、です……」
しどろもどろになったルアンは、私たちを繋ぐ肖像画を持ち直し、
また私の手にそっと触れる。
その顔は熟れた林檎よりも赤く火照っている。
二人で持っているコナー様の肖像画から熱が伝わってくるようだ。
(こんな想いを隠して暮らしていたの?
――継母の私への……)
私はマクリル家を支え、ルアンに引き継ぐために必死だった。
ルアンの結婚のことも闇雲に進めていた。
この子が傷ついていることも知らずに……
自分が間違っていたとは思わない。でも……
「わかったわ。私は明日にでもウォルシュの別邸に移るわ。」
「明日!?」
「今日がいい?」
「違います!」
ルアンは飛び上がって、コナー様の肖像画から手を離した。
私は、窓の枠に肖像画をそっと置いた。雨は随分弱まっている。
「早い方がいいわ。荷物なんて後からどうとでもなるもの。それに……」
私はルアンの整った顔にそっと触れた。
「一週間に一度、来てくれるんでしょう?」
「ああ、もう!」
ルアンは私を抱き締める。
「からかっているんですか?僕は、本気で貴女との関係を新しくしたいのに!」
私はルアンの腕の中で呆れた声を上げる。
「まあ、貴方は騎士学校を首席で卒業したのに……残念だわ。」
ルアンは驚いて、腕の中の私を覗き込む。
「私との関係を新しくできる可能性に賭けて、
私にウォルシュの別邸に行くように勧めたわけでしょう?
早ければ早いほど、その可能性は高まるわ。
可能性がないとわかれば、次の人生に……」
「ああ!もう!……わかりました!貴女って人は!」
ルアンは腕を解いて、今度は私の手を両手で握った。
「ではそうしましょう。
貴女との関係を新しくできる可能性を高めるために、
僕は、僕のすべきことを全力で尽くします。
――貴女は必ず、僕の腕の中に来てくれる!」
「必ず……?」
ルアンは笑いながら扉に走っていき、振り返った。
「必ず、です!」
***
別邸の周りの白樺の森は赤や黄に彩られ、
落ち葉の絨毯に午後の木漏れ日が差し込んでいる。
馬のいななきに耳を澄ますと、
すぐに黒髪を風になびかせたルアンの姿が近付いてくる。
大きく窓を開けると、冷たい空気が流れ込んでくる。
膝に大量のバラの蕾を抱えている。
「まあ!一輪と言ったのに!」
ルアンは白馬から飛び降りて、ずっしりしたバラの蕾の束を窓越しに私に渡す。
「愛しています、ディー。受け取ってください。」
私は呆気に取られて、花束を持ったままルアンを見る。
その瞬間、ルアンは窓から飛び離れて、白樺の森に走って行く。
「受け取りましたね!?僕の愛を!ほら!」
「ルー!!こら!戻ってらっしゃい!お仕置きですよ!ルー!!!」
「ハッハッハッ!!」
私はチラリとコナー様の肖像画に目をやると、思わず呟いた。
「どう思われます?ルアンを……ルアンと私を……」
私は、フッと息を吐くと、木漏れ日に照らされたルアンの姿を、
――未来を、
希望を、
可能性を手放さない、そのしなやかな姿を……ただ、見つめていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ディアドラとルアンの、「関係を新しくできる可能性」を楽しんでいただけたら嬉しいです。
完結済長編も公開しています。
『神鼠の大王は猫を愛せない―僕を食べようとする猫の少女に恋をした』
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