第9話 準々決勝
▽▽▽
ここのところ、朝倉さんは少しずつ楽しそうになっている気がする。切羽詰まったような雰囲気もないし、前のような自由気ままな感じだ。
もちろん抱えているものはあるだろうし、全てを乗り越えたわけじゃないと思う。でも肩の力は抜けたんだろう。
明日の大会も、あの調子ならそれなりの結果は残せるんじゃないかと思う。まぁ僕は高校テニスのレベルなんて分からないけど。
何にしても、彼女の調子はなかなか良いと思う。できればこのまま、この調子でいて欲しい。
△△△
「ふぅ……」
勉強机に顔を向けていたスタンド照明を切った。日記を取るようになってから2週間ほど、未だに慣れたものではない。
自分と向き合い、朝倉さんとも向き合う、そんな時間。読み返したときにちゃんと思い出せるように、自分の言葉で記す。
正直、楽しいものではないし面白いものでもない。が、避けられない。小説とかはたくさん読んだきたから、多少は読みやすい文章になってるだろうか。
「……」
日課を終えて瞼が重くなった。明日の朝は早い。だからこそ、夜更かしはすべきではないのだけれど……。
「あぁ……おかしいな……」
言い得ない緊張感を抱えてベッドに抱きついた。卓球をやっていた頃の、自分が出る大会のときはこんなことはなかった。どれだけ望んでも私の力が及ばないせいだろうか。
心配で仕方がない。考えても仕方がないのに、いらぬ思考が手を振ってやってくる。気が気ではない状態で、私は浅い夢に落ちた。
◇◇◇
土曜の朝の電車、ガタゴトと揺れる車内は静かで、どこか騒々しくもあった。私は吊革に掴まってスマートフォンを覗いた。朝倉さんからは到着したとの連絡以降は何も来ない。
普通の人からしたらなんてことのない地区大会。県大会でも全国大会でもない、規模も実力も小さな大会。けれど朝倉さんに限ってはそんな平凡なものでもない。
優勝候補は朝倉さんと、もう一人いるらしい。名前は忘れたけれど、いつも良い勝負をしているのだとか。
心の内を語るなら、今の彼女が優勝するのは難しいだろう、と思う。あるいは決勝に進むことすらもできないかもしれない。けれど、彼女に何としても優勝してほしいとは思わない私は薄情なのだろうか。
もちろん、勝てるのなら勝ってほしいし、勝つことを期待して応援に来ている。しかし、彼女には結果に囚われ過ぎずにやり切ってほしいという気持ちが大きい。負けたとしても、満足のいく試合を。
「暑いな……」
夏の日差しがコートと観客席の両方を突き刺す中、第一試合が幕を開けた。自動販売機で買った麦茶が汗をかいている。ここにいると選手よりも観客の熱量の方を強く感じてしまう。
ルールに疎い私にとって、試合は流れるように進んでいった。熱にやられて気が滅入りそうになりながら、やっと彼女の姿が現れた。
プロ選手のような雰囲気を醸し出しているユニフォーム姿、そしていつもは見ないような凛々しい表情。それでいてどこか天然そうな、いつも通りの目の輝き。
「がんばれッ!」
「ッ……!!」
私にとっては世紀の大声で、けれどきっと普通の人にはよくある声量で応援を届けた。聞こえたのか聞こえなかったのか、彼女の視線は一瞬だけ私を捉えたような気がした。
挨拶の後にその試合が始まった。そしてすぐに、素人の私でも彼女が強いことを知った。
今までの選手とは動きのキレが違うように思えた。軽やかなステップ、全身を使った腕のしなり、そして冷静に相手を観察する眼。彼女は激しい試合を自分の手のひらの上で転がしているような、そんな印象だった。
ラケットを振るたびに、球は思いもよらない軌道を見せた。失点がないわけではないけれど、それでも圧倒的有利で試合が進む。そしてあっという間にその試合は朝倉さんの勝利で終了した。
「すごいな……」
ふとそんな独り言が零れてしまう。けれど恥ずかしくもならなかった。どこか優雅な舞のような、そんな美しささえあった。
また1つ、2つと試合が進んだ。そして一人、朝倉さんとは違った力強さを持った選手が現れた。花井凛、朝倉さんに並ぶ優勝候補とのことだ。
力任せ……と言いたいところだが、繊細さも感じる。私の目ではそれを言語化できるほど分からないけれど、確かに他の選手とは威圧感が違った。
明らかに速く見える球が前に後ろに着地した。重たい音が緑色の地面から響いていた。試合が終わるたびに緊張が少しずつ積もっていった。手に握ったペットボトルが次第に温くなる。
「はっ……はっ……」
準々決勝、朝倉さんの調子は下がりつつあった。3セットマッチ、最初の1セットは取れたのだけれど、疲れが出てきたのだろうか。2セット目は相手選手に取られてしまった。
さほどキレのある相手というわけでもない。1試合前の彼女なら押されなかっただろう。確実に、パフォーマンスが落ちているのが見えていた。
「……頑張れッ! 朝倉さん!」
自分勝手だとは思う。ただ見てるだけの私が、彼女に勝ってほしいと思うのは。観客席からでも聞こえる上がった息、苦しそうな表情。
それでも負けないでほしいと思う。色んな選手が一生懸命にラケットを振る様子を見て、その熱に当てられて、私も影響されてしまったのかもしれない。
「あ……」
一瞬、彼女の脚がもつれてしまったのが見えた。長いラリーの後にコートの角に飛ばされた球に追いつかず、失点してしまった。
たった一点、されど一点。勝敗を決めるには十分な、大きく重い一点が加算される。
そうして朝倉さんのテニスは終了した。私はなんともやりきれない満足感に包まれていた。きっと彼女も同じだったろう。




