第6話 死んでしまえば塵もクソもありやしない
「え……?」
一瞬、彼女の言葉が理解できなかった。単語を一つずつ噛み砕き、整理する。言っていることはおかしなことでもない。引っ掛かることであっても、恐れるようなものではない。なのに妙に苦しい。
「あんまり……身体が良くないんだ。長くないって」
朝倉さんは息を詰まらせながら、少しずつ紡いだ。背後に開く大きな花が心臓を揺らす。本来ならばうるさいはずの音が、輝かしいはずの光が、今は背景にすらならない。
いつになくうるさい心音に遮られそうになったが、朝倉さんは確かに“長くない”と言った。あまりに突然だったけれど、聞き間違いではない。
彼女の視線が分からない。何を見ているのか、どうしても私と視線が合わなかった。あるいは私が視線を合わせていないのか……分からない。
「……それは……僕以外には誰に? どうして僕に……?」
本当はそんなこと以上に聞きたいことはあった。どうして今なのか、どんな経緯なのか……けれど私にそんなことを聞く度胸はなかった。彼女の潤んだ瞳を見るだけで、息もできぬほどに苦しかったから。
「親だけだよ、知ってるのは。矢田くんに話したのは……なんだろうな」
少し視線を泳がせて、今度は私の目を見つめた。彼女から発せられる全ての音が、視線が、鋭利な刃物のように私を突き刺した。
「恥ずかしいけど……みんなさ、私のことを高嶺の花みたいに見てるんだよ。容姿とか、結果とか……ステータスしか見てないの。でも君は違うじゃん」
瞬間、私はどうしようもなく心が痛かった。私には彼女の苦労が分からない。分からないけれど、目に見えないほど遠いものでもなかった。
「なんていうのかな。そりゃ、君だって……というか誰だって、ステータスは目に映ってるだろうけどさ。君だけは私の努力を認めてくれたから」
「そんなの……!」
「君だけは私に目を眩ませなかった。“私”のことを見てくれてたんだ。たぶん君は……君だけは本当の意味で私の友達でいてくれるって思えたんだ。私って実は友達いないからさ……」
私はそんな大層な人間じゃない。私だって、最初に見ていたのは、知っていたのは外側だけだ。けれど彼女の言葉を否定することはできなかった。そんなことは彼女だって分かっていたから。
何でも持っていると思っていた人は、実際には何も持っていなかった。完璧だと思っていた彼女は、実際には誰もが持っているようなものを与えられなかった。
そして、私は自身のことを何も持っていない人間だと思っていたのに、目の前の彼女よりもよっぽど多くを持っていた。
どうしようもない怒りに包まれた。私は愚かな人間だ。特別な彼女は、私のようなありきたりな人間になりたかったというのに。私のような“普通”が欲しかったのに……。
「だったら……」
なんとか生き延びる方法を探そう、そう続けようとした口を急いで塞いだ。そんなもの、彼女は既に探したはずだ。何回も、希望を探したはずだ。それを私が今さら提案するなど、そんな残酷なことはない。
「だったら! 最期の最期まで、色んなことをしましょうよ! 何回も祭りに来て、何回も花火を見て……何回も、何回も……。僕がどこまでもついていくから! 思い出作りなんて綺麗事かもしれないけど……それでもせめてあなたの思い出を未来まで紡ぐから! だから……」
だから最期まで頑張ろう、その言葉もまた出なかった。未来ある私がどんなことを言おうと、それは救済にも呪いにもなり得る。
塵も積もればなんとやらとは言うが、死んだしまえば塵もクソもありやしない。彼女には未来がないのだから、私が無責任に綺麗事を並べることはできなかった。
「未来に紡ぐなんて……できるの?」
朝倉さんは意地悪そうに言葉を返した。日記に残すのか、ビデオに撮るのか……何にしても、私はそんなマメなことをするような人間ではない。ただそれは、“普通なら”の話だ。
「分からない……。できないかもしれない。でもやるよ! だってそうでもしないと君は……!」
ただ死を待つだけじゃないか。お節介かもしれないが、そんなことにはさせたくなかった。絶望の中、せめて少しでも希望を持って欲しいと……。これは私のエゴだけど、もし……もしも彼女が希望を持ってくれたのなら……。
「……死ぬのは怖いよ。死にたくないし、いつまでも生きていたい。でも避けられないこともある」
朝倉さんの言葉が再び震えた。けれどどこか真っ直ぐで、どこか嬉しそうな声色だった。
私は彼女に同情すべきではない。私が共感できるほどの恐怖ではないのだから、私は寄り添うことしか許されない。
「それでも、矢田くんが生きててくれるなら、私は安心だ」
彼女は弱々しく、けれどしっかりとした声でそう言った。瞼を湿らせつつも、いつものような明るさが帰ってきた。
気づけば花火は終わっていた。心臓は揺らされていない。響く音もない。今度こそ、どこまでも透き通った本当の静寂がやってきた。
私は朝倉さんの心配などできない。彼女は私よりもずっと強く、ずっと弱いのだから。だからこそ、私は彼女にいつまでもついて行きたいと、支えていきたいと思った。彼女が病に殺されるそのときまで。




