第5話 あらざらむ
「ただいまのレース、1位は——」
定型分のような放送、焦りを煽るような音楽、そんな中、誰も彼もが異様なまでの盛り上がりを見せていた。周囲の熱を奪うまいと、私もその熱を演技していた。
「矢田! 大縄次だぞ!」
「あ、行きます行きます!」
口だけはやる気を見せた。態度だけは楽しんでみせた。しかしその実、どこまでも上の空だった。
昨日、朝倉さんの誘いを受けた。受けたわけだが、それがどうしてか、私には理解できなかった。友達だからと言えばそれまでではあるものの、そんなことがあるだろうか。
「58、59、60……」
縄の外側から回数を数える声が耳に入る。一つずつ、一つずつ、丁寧に、そして確実に積み重ねられた。頭の絡まりが、いつか足に回るのではと冷える。
「がんばれー!」
彼女の純粋な声援。それだけで一気に男達はやる気に満ちた。少しずつ、縄が土を叩く音が加速していく。汗が頬を伝うたびに、つまらない思考が潰されていった。
呼吸も切れ切れに、少しずつ視界が苦しくなる。けれど縄は止まらない。そしてそんな縄をしっかりと捉え、飛び越える。
ビビーッ
「はっ……はっ……」
ブザーが鳴り、競技が終了した。ルールとしては止まるまでは跳び続けていい、のだが、ブザーの音に安堵したのか、誰かが足を引っ掛けて私達の競技はここで終わった。
みんな、ドンマイだとかよくやっただとか励まし合っている。けれど、私にはその余裕はなかった。気分を無理やりに上げていたせいなのか、いつになく息が上がった。
「お疲れ!」
「ええ……お疲れ様です……」
退場門を潜り、クラスの応援席に戻っていく。そんな中、ふと朝倉さんから声をかけられた。人混みで、聞こえづらい薄い声で。
「ねぇねぇ、私のリレー見てた?」
「見てましたよ。応援、聞こえませんでした?」
「矢田くんの声小っちゃいから」
彼女はいつになく苦しそうな顔で走っていた。自らを追い込んでいるような、そんな顔で。それほどまでに一生懸命になれるのが、私にはどうしようもなく眩しく見えた。
「今日の5時、鳥居の下で。約束だからね?」
「忘れませんよ。心配しなくても」
こんなにも私を悩ませておいて、その約束を忘れるわけがない。はっきりと私の脳に刻まれているのだから。
それからの記憶ははっきりしていない。確か、3点だか5点だかの差で赤組、つまり私達のチームが勝利した。頑張ってくれた人達には申し訳ないが、このときの私はそれどころではなかった。
依然として、答えは出ていない。どこまでも素晴らしい彼女がどうして私達なんかを……。
考え過ぎなのだとは思う。大した理由などないと、そう思いたいけれど、いやに胸が騒つく。
「行ってきまーす」
「あれ、どこか行くん?」
「夏祭りだよ。白端の」
珍しいね、と訝しむ母さんを背に、私は再び家を出た。足が重いのは体育祭に疲れたからだ。心臓が痛いのも、体育祭があったからだ。足が速いのは……きっと、答えを求めているからだ。
「……あ」
激しい人混みの中、透き通った水色が目に映った。花柄の青い浴衣は夏祭りには少なくないだろうが、彼女が纏えば嵐の中に咲く一輪の花のようだ。
「お待たせ!」
「あ、来た来た。別に待ってないから気にしないで。私が先に着いちゃっただけだから」
控えめにそんなことを話すけれど、それが酷く儚く見えた。丁寧に編まれた髪、それを強調するための抑えめな髪飾り。言うまでもなく……。
「似合ってますよ」
私が考えなしにこの場に来ていたならば、こんな男らしいことは言えなかったと思う。だからこそ、彼女に惑わされたのは良かったのかもしれない。
「へへ、ほんと? なら頑張った甲斐があったよ。さ、ちょっと回ろ。花火まではまだ時間があるよ」
彼女に袖を引っ張られ、私は濃い香りのする祭りの中心へと連れられた。いつになく、彼女がはしゃいで見えた。そんな様子を見るとどうしても温かくなってしまう。
「私、いいところ知ってるんだ」
「へぇ。ぜひ案内してくださいよ」
ひと通り屋台を回り終え、花火が打ち上がるまでのこり10分程度のときだろうか。朝倉さんは高台に向かいながらそんなことを行った。
小さな山の山頂、そこに向かう神社特有の長い階段。それを少しだけ逸れた小道に踏み入った。人の影の見えない、灯りもほとんど見えない、いわゆる“穴場スポット”だった。お世辞にも見晴らしが良いとは言えないけれど、それがどこか落ち着いた。
「……ねぇ、矢田くんにとってさ、私って何?」
花火が打ち上がるのを待つ間、おあつらえ向きの岩に腰掛けたまま朝倉さんは不意にそんなことを尋ねてきた。あまりに大雑把だが、聞きたいことはなんとなく分かる。
「……友達ってところでしょうか。異性として好き、と言うと違うかもしれません。まぁ恋愛なんてしたことのない身ですから、なかなか難しいところですが……」
これは私の本音だった。昨日からずっと考えていたが、どうにも恋愛感情とは少し違う気がする。言葉にすれば冷めてるようだが、それとはまた違った尊さをも感じるような……。
「憧れ……みたいなものですかね。僕は朝倉さんのようにはなれないけど、だからこそ近くで見ていたい。あなたがどんな存在なのかを。……そういう感じです」
「そっか。……そっか、よかった」
どこか不器用な言葉が短く返ってきた。私も彼女も、自身の感情をうまく表現する言葉が見当たらなかったらしい。
1秒か2秒か、どうにも居心地の悪い無音が響いた。会話のない空間には慣れていたけれど、なぜか今の無音は恐ろしく感じた。話すことも思いつかないまま、私は慌てて口を開いた。
「あ、あの……」
「実は私ね、やめるんだ。部活」
突然、彼女の言葉が無音を遮った。




