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第4話 色の付いた世界

 窓の隙間を縫って、日光が私を叩き起こした。今日は寝坊もしていない。気持ちのいい朝だった。


「おはよう」


「はよー。弁当なら棚に置いてるから、持っていきな」


「ありがと」


 母さんに挨拶をしてから私は食パンを一切れ取った。イチゴのジャムを申し訳程度に塗り、それを齧る。寝起きには少しキツい酸味だった。


「行ってきます」


「おお、気をつけてね」


 いつもの玄関、いつもの道、いつもの漁港。校門にはいつも通りに風紀委員が立っており、廊下を歩けばいつものように扉の奥から騒がしい声が漏れている。ただ一つ、いつもと違うことがあるとすれば……。


「あ、おはよ、矢田くん」


「おはようございます」


 教室に入ると朝練を終えた朝倉さんから挨拶を貰った。当然、私も挨拶を返した。ただ少し、素っ気なかったのではと不安に思いながら荷物を片付ける。


 朝のホームルームが始まるまでの数分間、やることのない私は小説を開いた。なんてことのない物語。そんなものを読みながら時間を潰す。


「ホームルーム始めるぞー」


 物語に入り込んでいたのか、気づけば教室は静かになっていた。山場にも差し掛かっていない本を閉じ、視線だけを先生に向けた。


「今週から体育祭の練習が始まるから、種目決めを学級委員を中心に頼むぞ」


 先生がそう言うと、学級委員の2人が黒板の前に移動した。岸辺(きしべ)隆斗(りゅうと)金子(かねこ)美玲(みれい)という人だ。2人とも真面目で、話を纏めるのが上手なイメージがある。


「さて、まずは出場種目から決めていきましょう。選択種目は大縄跳び、借り人競走、障害物リレー、それから綱取り。出たい種目に自分の名前を書いてください。最低でも一種目はでること」


 黒板は4つに仕切られ、それぞれに種目名が書かれた。何をでようか、そんな話し声で教室は再び喧騒に包まれる。とはいえ私は種目を決めているし、話し声を掻き分けて黒板に向かった。


 恰好の悪い文字で“矢田”と書き、そのまま自分の席に戻った。そんな様子を面白がってか、朝倉さんが後ろを振り返って小さく笑っていた。


 彼女も黒板の前に立ち、昨日言った通りに障害物競走に名前を入れた。そしてただそれだけで、教室の男子達の方針はおおよそ定まったらしい。


◇◇◇


 4限目の体育の授業、私達はリレーの授業を受けていた。体操服に汗が滲む中、ただひたすらに苦行を強いられる。とはいえ嫌な気分というわけでもない。


 結露したペットボトルで首元を冷やしながら暑苦しい校庭に視線を流した。どうしても、私は彼らのテンションにはついていけない。


「どーした、合わない顔しちゃって」


「わっ……びっくりした」


 私の手元が寂しくなったかと思えば、すぐに後ろから朝倉さんの声が小さく届いた。みんな楽しんでる、そんな中でこんな表情をしていれば、それは確かに合わないだろうけど。


「盛り上がれないんですよ。楽しみたいとは思ってるんですけど」


「なるほどね。確かに君がはしゃいでるイメージはないや。まぁいいじゃない。楽しむのは義務じゃない」


 朝倉さんからペットボトルを取り返して短く話した。楽しみたいけど楽しめない。たぶん、どこまでも客観的なんだろうなと思う。


「それより朝倉さんは、僕と話してていいんですか? リレーなら練習も大事でしょう?」


「私友達いないからね。実は」


「そういうの本当にいない人には言わない方がいいですよ」


「あははっ! ごめんね!」


 軽快な笑い声のせいで責める気にもならない。もちろん不快に思ったわけでもないけれど。ただ日差しの中を動いていたために、私にはすでに笑う気力も残されてはいなかった。


「まぁ楽しそうで何よりですよ。何にしても、熱中症には気をつけてくださいね」


「そりゃもちろん。ま、私はスポーツマンだからね。矢田くんほど疲れやしないよ」


「ならいいんです」


 そんなことを言いながら走り去る彼女の背中を目で追った。白い体操服が目に眩しい。


「おーい、矢田ー! 練習再開するぞー!」


「あぁ、今行きます」


 遠く、大縄の集団に呼ばれ、私はペットボトルを置いて駆け寄った。少しだけ、心臓が弾んでいたのは、きっと疲れていたからだ。


◇◇◇


 それから1ヶ月程度だろうか。学校中は常に体育祭モードだった。特に1週間、2週間と経つたびにどこか浮ついたような雰囲気に包まれつつあった。


 朝倉さんは体調を崩したのか、何日か休んでいた日もあったが、学校にいるときはいつものように元気な様子だった。クラスの男達は彼女のいない日を憂うこともあったが、体育祭を目前にすればそれも関係なしの熱量を帯びていた。


 しかしやはり、私はどうしても現実の方に目を向けてしまう。疲れるだけじゃないか、それの何が楽しいのか、そんな考えが頭の中を通過していた。


 体育祭の前日の昼休み、私は図書室で1人、静かに1冊の本を開いた。どこかの騒ぎ声が、ここにはほとんど流れてこない。ただ、いつものごとく、そんな静寂を切り開く存在がやってきた。


「あ、いたいた! 何読んでるの?」


「別に、つまらないものですよ。暇だから読んでるだけ、って感じです」


「ふぅーん」


 どうしてこんなところに来たのか、そんなことを尋ねたく思いつつも、一旦は朝倉さんの質問に答えるだけにした。私の質問など無駄だと思っていたから。くだらないことに、彼女の時間を使わせたくなかった。


 けれど友人という関係にある私が、彼女に遠慮するのはどうなのかとも思う。自身のことをいやに卑下し、彼女のことを神聖視し過ぎるのは……。


「朝倉さんはどうしてここに? 正直、図書室なんて縁のないものかと思ってましたが……」


 失礼にはならないよう、私は言葉を探して質問をした。そんなことをどうしてこうも気にしてしまうのか、私の悪い癖だった。


「やだなぁ。君を探してたんだよ。本は好きなの?」


「……書くのが好きなんです。上手く書きたいから読んでるといいますか……」


「へー! じゃあ将来は作家になるの?」


「そんな世の中甘くはないですよ。趣味です。趣味」


 私の正面に座った彼女に動揺しつつも、何事もないかのように会話を続けた。しかしそんなことよりも、彼女は気になることを言っていた。


「僕を探していたというのは? 何か用があったのでは?」


「体育祭の後さ、白端(しらばた)神社で夏祭りがあるんだけど。一緒に行かない?」


「あぁ、祭りですか。…………え?」


 一瞬、私の耳が壊れているのか思った。あるいは脳が勘違いしたか。だが、朝倉さんのいつになく真面目な表情からそれが間違いではないこともすぐに分かった。


「嫌?」


「……いや、行きます。行かせてください」


「じゃあ決まりだね」


 そんなことを言って彼女はすぐに退室した。安堵したような、それでいてどこか嬉しそうで、儚い。そんな顔が脳裏に焼き付く。あるいはこれが、間違いだったら良かったのかもしれない。

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