第3話 黄昏時の帰り道
「そういえば矢田くんって部活はやらないの?」
薄暗い田舎の通り、右手の奥には海が見える。そんな中、朝倉さんが思い出したように尋ねてきた。彼女の思っていることはなんとなく分かる。私達は互いのことをあまりにも知らない。
「中学の頃は卓球部に入ってたんですけどね。なんというか……そこに喜びを見いだせなかったんです」
特別弱いとか強いとか、そういった立場ではなかった。大会なら勝てることもあれば敗けることもある、そんな程度。
最初のうちは上達することも、競い合うことも楽しかったけれど、それが日常になったときからつまらなくなってしまった。贅沢だとは思いつつも、それを続けようとは思えなかった。
「ふーん。まぁ無理に続ける必要もないか」
「……朝倉さんはどうしてテニスをやってるんです?」
私はどうしてか、そんなことを聞きたくなった。聞かれたから聞き返したのか、それもあるだろう。けれどそれだけじゃない。彼女に聞けば、私に欠けているものを見つけられそうな気がしたのだ。
「私? 私はそうだな……勝てるからかな」
「え……?」
返ってきた答えはあまりにも単純明快、そしてどこまでも真っ直ぐなものだった。想像の斜め上を突かれ、私の脳は一瞬止まった。
「疲れるし、苦しいし、そんなに楽しいってわけじゃないけど、勝てるんだよね。まぁそんな理由だから、本当に楽しんでて強い人には勝てないんだろうけどさ」
彼女はへにゃっと笑って見せた。高嶺の花のような朝倉さんの軸はあまりにも俗なもので、それでいてどこか浮世離れもしていた。
「例えばその……部員との交流が楽しいとかは?」
「……嫌いじゃないよ。でもほら、しがらみとかもあったりするじゃん?」
薄暗い小さな道、そこに少しばかりの無音が響いた。しがらみか。私は当分、それを感じたことはなかった。人並みの生活をしていれば、そんなこともあるか。不意に口元が緩んでしまう。
「あ、そういえばさ、もうすぐ体育祭があるでしょ? 矢田くんは何の競技に出るの?」
朝倉さんの言葉が静寂を切り裂いた。体育祭……もうそんな時期だったか。年度始めは何かと流れが早い。もうじき桜も見えなくなる。
「まぁ……無難に大縄にでも出ようと思います。リズム感だけはあるので」
「じゃあ私は障害物リレーに出ようかな」
「今の流れで関係ないことってあるんですね」
じゃあとは何なのか、そんな疑問に笑ってしまう。不思議だった。ただの帰り道がこんなにも鮮やかなのは。
「だってさ、同じ種目じゃ応援できないでしょ?」
「別に応援するほどのものでもないでしょう」
口ではそんなことを言いながら、心の中はザワついていた。いや、心の底から応援するほどのものではないと、本当にそう思ってはいる。その上で、あるいはその裏で、その言葉がどうしようもなく頼もしかった。
「またまたそんなこと言っちゃって」
茶化すような、照れ隠しのような、そんな声に聞こえた。今までのやり取りで分かった。たぶん、朝倉さんは本当に応援してくれる。
「あ、矢田くんはこのまま真っ直ぐ行く感じ? 私は右に曲がるから、この辺でお別れかな」
「そうですね。ではまた明日。……応援、楽しみにしてます」
「……! そうだね、また明日」
どこまでも明るい存在が、夕方の薄暗闇に消えていった。けれど寂しくはない。ただ、私の世界に色がついた。そして最も濃く鮮やかな色が、今は視界の裏側に回っただけ。ただそれだけ。
「ただいま」
それから5分か10分か、私は自分の家のドアを開けた。いつもより少しだけ高くなっていた声に驚きつつも、平静を装って玄関に上がる。
「おかえりー。今日は遅かったね」
どこからか母さんの声が聞こえた。手を洗ってからリビングに向かうと、ソファの上で韓国のドラマを観ながらバナナを齧っている姿が見えた。
「美術の課題が終わらなかったんだよ」
「ふーん。……何か楽しいことでもあった?」
いやに察しがいい。とはいえ、隠すほどのことでもなければ詳細に話すようなことでもない。
「友達と帰ってきたんだよ。別に何かあったわけじゃない」
「友達……ねぇ。良かったじゃん」
どこか含みのある言い方が返ってきたけれど、私は“うん”とだけ返事をして自分の部屋に向かった。やけに重たいスクールバッグを下ろしてベッドに腰掛ける。無音無臭の部屋の中、記憶だけが頭の中で騒いでいた。




