第22話 君と私
「はぁ、はぁ。ちょっと待って……ちょっと……タンマ……」
「はは……うん。私もちょっと休憩……」
お化け屋敷というのはあんなに怖いところなのか。どこも真っ暗で右も左も分かりやしない。壁だと思ったところから人……もといお化けが出てくるし……。
朝倉さんをビビらせる余裕もなかった。文化祭のお化け屋敷ならさほど怖くないのに……やっぱり本場は……。
「そういえばさ、文化祭ももうすぐだね。ウチがやんのは喫茶店だっけ」
ベンチの背もたれに頭を預けつつ、視線は彼女に貸した。息が上がって見えるのは病気の進行ゆえか……いや、今はただ怖いだけか。
「怖かったね。大丈夫だよ、もうここはお昼だから」
「うん……うん……」
これは……。屋敷の中で彼女を驚かせなくて良かったと、心から安堵したことは言うまでもない。そんなことをした暁にはしばらく口を聞いてもらえなかったろう。
「ちょっと落ち着いたら昼ごはんでも食べに行こっか。怖かったね」
「…………」
小動物のように震える朝倉さんの背中を撫でながら、できる限りの柔らかい声をかけ続けた。自分より怖がってる人がいると、不思議と落ち着きを得てしまう、なんて現象が今まさに、この場に起きていた。不思議だな。つい数分前までは私も恐怖に震えていたのに。
「アイス……食べる」
「ははっ、アイスか」
甘いものの方が喉を通るもんね、と、私とは思えないほどの柔らかい声がまた再び。彼女の可愛らしい声に当てられたのか、あるいはこれ以上、彼女に怖い思いをしてほしくなかったのか。
彼女の手を引く力を考えると、答えは瞭然だった。もっとはっきり言うのなら、私は彼女の好物のチョコレートアイスを奢ったのだ。
「時間が早いね。もうあんま……時間なさそうだよ」
「そっか……そうだね」
一つのアトラクションに乗るためにも、一時間以上は待たされる。その時間も悪くはないが、早く流れてしまうのは惜しい。アイスを舐めながら次はその次はと考えていると、あっという間に閉園時間だ。
「ま、いいんじゃない? それだけ楽しめてるなら僕も嬉しい」
「……私もそう思う」
頭は結構冷めてきたかな。それとも温まってきたのか。少なくとも、あの恐怖はだいぶ薄れてきたみたいだ。ただ正直意外だった。彼女はもっと恐怖すらも楽しんで、飄々とした態度を見せるイメージだったから。
こんな弱みを見せてくれるのは、私のことを信頼してくれてるからか……なんて言うのは自意識過剰か。
「いまさらだけど、ちょっと回ろう。のんびり」
「うん、そうしよ」
お土産を見たり、メリーゴーランドのようなものに乗ったり、ティーカップに乗ってみたり。しばらくは穏やかな時間を過ごした。もしかしたら、無理させてしまったかな、という不安がよぎった。いつも元気な朝倉さんが、ここまで弱ってしまって……。
「ね、ねぇ、朝倉さん……」
「次はアレ乗ろ! 矢田くん!」
「あぁ、いい……よ……」
彼女が指差したもの、それはこの遊園地で一番怖いと言われているジェットコースターだった。言ってもいない前言を撤回させてもらう。彼女は弱ってたのではない。ただの充電期間だったのだ。
「楽しい人生だったよ……朝倉さん……」
「あっはは! またそんなこと言っちゃって!」
最初に乗ったものよりもより厳重なベルトと安全バーが装着された。安全、そう、安全なのだ。よって、連れて行かれる者が拒絶できる理由もここにはない。デスマウンテンとかいう名前だったが、それは名前でしかなかった。
乗ってしまえば後の祭りだ。無駄に上昇し、降下し、横にも縦にも回転した。360度ですらない。アレは720度だ。いや、もっとかもしれない。乗り物が回転するなと、それは常識だろう。
「はっ……はっ……。もう……無理です……」
思わず敬語になってしまうほどには、私の精神は限界だった。夕方まで公園で走り回った子どものような気分だ。満たされてはいるが、これ以上欲しいとは思わない。……子どもは欲しがるか。
「ははっ、いや、私ももう疲れちゃったよ。でも最後……観覧車だけ、乗ろ?」
「いいよ、それなら」
疲れた私が即答するほどに、それは救いだった。乗ってしまえば終わりのジェットコースターとは違う。観覧車は、乗ってしまえば、そこはもう私達の空間だ。つまり恐怖と刺激に晒されることはない。
「次の方ー、おふたりですね。ごゆっくりどうぞー」
促されるままに、小さな赤い箱に入った。綺麗だな、と、不意に零れる。窓の向こうには太陽が今まさに沈もうとしており、一日が終わりに向けて歩き始めていた。
「私、観覧車が好きなんだ。ずっと穏やかで……。昔は高いから怖かったんだけどね」
「ふーん、朝倉さんってもっと刺激大好き人間かと思ってたよ」
「ははっ! 間違っちゃないけどね! いっぱい刺激をもらって、その後の穏やかな時間が好きなんだ」
……今日一日で、私は彼女の理解が深まったような気がする。何が怖くて、何が怖くなくて……あるいは怖くても許せるのか。それを一つずつ知っていくごとに、不思議と私の感性も近づくような、そんな錯覚をした。
「ねぇ、矢田くん」
「ん? どうかした?」
「私ね、———」
今日という日は非常に楽しかった。本当に……本当に充実していた。また学校が始まるのかと思うとどこか憂鬱で、どこか楽しみだった。矛盾した本心が、ここには確かに存在している。
申し訳ないが、最後の言葉はここには記さないでおこうと思う。こんなことを残すことはできない。どんな顔をして、書けばいいのか、私には分からないから。




