第20話 らしくない
私は今、人生で最も大きな課題に向き合っている。夏休みも終わり、暑さだけは衰えを知らない中、どうしてこんなことになってしまったのか。それが分からないからこそ、期末試験よりもよっぽど難しい状態になっている。
「んん……」
「なぁ、矢田。お前、朝倉さんとケンカでもしたのか?」
「……それがなぁ……」
それというのも、今日はずっと朝倉さんの機嫌が悪そうなのだ。どこか頬が膨れていて、態度も少しばかり尖っているように感じる。この前会ったときは普通だったのに、なぜか今日は少し、私と彼女の距離が悪い。
古澤の声がやや遠く感じるけれど、素直に記憶を辿ってみる。ただやはり、思い当たる節はない。そもそも、そんな節があるのなら、私は一拍も置かずに謝罪をしているはずだ。だから私の思い至らぬところで何かしてしまっていたのか、あるいは……。
「いや、帰りにちゃんと聞いてみよう。僕としても今の距離感は嫌だしね」
「おう、そうしろそうしろ。俺だって朝倉さんの機嫌が悪いと話しかけづらいんだからよ」
「……そうだな」
そうは言っても、人間関係の薄かった私にとって、縺れた関係を修復することはややハードルが高い。たとえ相手が、親しくなった朝倉であっても。
が、ここで引けるほど私は図太い人間でもない。ただでさえ長い古文の授業がさらに長く感じるけれど、それは胸の秒針が異常な速さを奏でたからだろう。
「……朝倉さん」
「わっ……ど、どした……?」
私の少し上擦った声と、彼女のオドオドとした声。それだけで私と彼女の心境は近しいのだと、安心できたのは言うまでもないだろう。
「帰ろう。で、ちゃんと話をさせてくれ」
「う……うん」
我ながら少しキザな態度かなと、そう思わずにはいられないが、それを気にするのは優先度が極めて低い。少なくとも、今のこの状況ならば。
教室の雑音を抜ければ、あるのはただ、街の騒音で。私達を認知する者がいなければ、会話に意識を傾けられることもない。
「ねぇ、僕なにか……怒られるようなことしたかな。そうならそうと言ってほしい。謝るし……直すからさ」
「いや……矢田くんが悪いんじゃなくて……」
歯切れが悪いのはつまり、私に大きな落ち度があったというわけではないのだろう。それはそうと、思うところがあったわけだ。
「怒るようなことじゃないんだけど……どうしても忘れることもできなくって……。でもこんなつまらないことだと私、絶対めんどくさい女だって思われるから……」
「らしくないなぁ。わがままでもなんでも、顔色一つ変えずに話すのが君だろ」
彼女の顔を覗き込まないのは、あくまで強制はしたくなかったからだ。私としてはそう否定的に思うことはないし……仮に面倒くさいと思っても、それはそれで彼女の良さだとは思うのだけれど。コンプレックスというものは、何も他人によるものでもない。
「昨日ね……私の誕生日だったの……」
「うん……うん?」
朝倉さんの誕生日だって? 初耳……というか、勝手に冬ごろのイメージだった。いや、それより、そんなことなら私に言ってくれれば良かったのに。
「その反応……やっぱり知らなかったんだね。私、てっきり話したつもりだったからさ、何かあるんじゃないかなぁ、なんて思って……」
「……ほぉ」
「ご、ごめんね。私の勘違いが原因だったわけだし、そもそも誕生日を祝うも祝わないも自由なのに……でも私としてもさ、勝手に寂しい気持ちにもなってて……」
それは分かる。私だって彼女の誕生日だと知っていたら、何かしらの形で祝っていただろうし祝いたかった。誕生日とは生の祝いだからなおのこと。
「……ふふっ、はははっ!」
「ちょ、笑うことないじゃん!」
「いや、ごめんごめん。僕が悪かったよ、誕生日はちゃんと把握しておくべきだった」
おかしさと申し訳なさに、私は笑みを零さずにはいられなかった。私も彼女も思い悩んでいたけれど、その実、どちらも大した失態はしていなかったんだ。
「当日祝えなかったのは残念だけど、今からでも遅くないよ。クレープでも奢ってあげるから、どうか機嫌を直して」
「……一日遅れのお祝いってこと?」
「アメリカはまだ昨日の深夜だよ。つまりギリギリセーフ」
「ふふっ……何その理論」
機嫌を良くしてくれたのか、やっと彼女の顔が柔らかくなった。気持ち膨れていた頬もすっかり落ち着き、やっと、元の距離感に戻れた気がする。
「マスカットのクレープが出てるんだって。ちょっと高いけど……」
「構わないよ。謝罪の意も込めて……だからそれで許してくれ」
「……そうだね。許してしんぜよう」
うん、すっかり元の調子に戻ってくれたらしい。打算というわけではないが、多少の値で許してくれるというのなら安いものだ。もっとも、彼女としても私に非があったとは思っていなさそうだが、今日は尊大なくらいがちょうどいい。
「そうとなればエスコートでもしましょうか、お姫様」
「らしくないじゃん。でもそういう雰囲気、結構好きだよ、私」
この気恥ずかしさは、夜になれば後悔することになるだろう。それでも今は……今だけは、それくらいの空気感が心地良いくらいだろう。




