第2話 努力する君と
テニス部のエース、地区大会ではいつも優勝していた。県大会でも優勝……とまではいかないものの、毎回それなりの結果は残していた。ウチのような小さな高校では、それだけで充分ヒーローに見える。
そして定期テストでも、彼女は学年の1位をキープしていた。誰もが嫌がり苦労する試験に、ただ一人優雅な姿勢で臨むのが常だった。
容姿も、能力も学力も、何もかもを持ち合わせているような、そんな人。それが朝倉春奈という人間だ。
「参っちゃうよね。アイドルだのなんだの、勝手に言っちゃってさ。恥ずかしいったらありゃしないよ」
美術室へと向かう途中、苦笑いしながら話す彼女がどこか寂しく見えた気がした。確かに、朝倉さんには誰も……少なくともこの学校では誰も勝てないステータスを持っている。けれど今、私の目の前にいるのは年相応の女の子だった。
「まぁ……いいじゃないですか。朝倉さんだって努力したんでしょ? それを羨んだり讃えようとする人は出てきますよ」
「それを正面から言われるとねぇ……」
彼女のことを持て囃そうとする人の気持ちも理解はできる。恵まれた容姿、恵まれた能力、そしてそれを維持するための努力。朝倉さんは努力できる人間なんだ。
私のような平凡な人間は、努力しようとする気力さえ湧かない。だからこそ、彼女のような存在がどこまでも明るく見える。
羨んでいるわけではない。嫉妬しているわけでもない。ただ見ていたいと、純粋にそう思っていた。
「あ……」
「ん?」
美術室の扉を開こうとしたとき、朝倉さんが何かを思い出したような小さな声を零した。私はドアにかけた手を咄嗟に止める。
「矢田くん、友達がいないって言ってたでしょ? 良かったら私と友達になろうよ。……嫌じゃなかったらさ」
瞬間、心臓を締め上げるような音がした。嬉しいような、怖いような。朝倉さんと友達に……嫌なわけがない。けれど、こんな私が仲良くなってもいいものか。
「ははっ……嬉しいな。こちらこそ、良かったら仲良くしてください」
こんな私に、取り柄のない私に、わざわざそんなことを言ってくれたんだ。断れるわけがない。彼女が差し伸べてくれた手を、取らないわけがない。
チャイムと同時に扉を開き、各々の席に向かった。このときはデッサンの授業だったが、全くと言っていいほどに手をつけられなかったことを覚えている。
あっという間に授業は終わり、昼休みになり、そして放課後になった。流れるように時間が過ぎるとはまさにこのことだった。
友達になろう、そんなことを言われたのはいつぶりだろうか。小学校の頃、初めてできた友人はその言葉が始まりだった気がする。でもいつからか、そんなことをわざわざ言葉にすることはなくなり、次第に友人と呼べる者はほとんどいなくなった。
鉛筆を握り、美術の時間に終わらなかった課題を見つめながら考えた。誰もいない、無音だけが聞こえる教室で、私の声だけが大きく響いていた。
朝倉さんとは仲良くしようと思う。せっかくああ言ってくれたのだし、無碍にはしたくなかった。
そしてそれと同時に、私は彼女とは釣り合ってないんじゃないか、とも思う。パッとしない、努力もしない、そんな人間と付き合っていては彼女の価値を下げてしまわないかと。
ふと窓の外に視線を落とした。サッカー部、野球部、陸上部……そしてテニス部。朝倉さんがラケットを振って試合をしているのが小さく見えた。
「楽しそうだな……」
不意に小さく零れる。朝倉さんと戦っていた女子は顔を歪ませながらも一生懸命に喰らい付く。テニスなど詳しくはないけれど、今この瞬間も彼女達が努力を積み重ねていることは理解できた。
たぶん、朝倉さんが私と友人になったとして、彼女の価値は変わらないだろう。それほどまでに尊い時間と経験を重ねている。その結論に至ったとき、私の気持ちは軽くなりながらもどこか寂しかった。
「先生ー。終わりました」
「あ、矢田さんね。わざわざ来てくれたの」
美術の先生に課題を渡したとき、西の空はすっかり紅に染まっていた。こんな時間になるとは思わなかった。思考が随分と邪魔をしていたらしい。
上履きを履き替え、昇降口を後にした。いつからか軽音学部の演奏の音がいなくなっていた。最終下校が近い。どの部活も終了の時間だ。
重量のあるスクールバッグを抱え、校門へと歩く。長いような短いような、そんな一本道。無駄に大きい校門を左に向かおうとしたとき、背後から爽やかな声が届いた。
「あれ、矢田くんじゃん。部活なんてやってたっけ?」
「美術の課題をやってたんですよ。ちょうど今終わったところで」
部活を終えた集団がぞろぞろと押し寄せてくる中、朝倉さんが寄ってきた。人数が多いためにさほど目立ちはしなかったが、少しばかりの視線が集まる。当然だろう。朝倉さんのような明るい人が、私というパッとしない人間に話しかけているのだから。
「矢田くんの家って白端駅の方?」
「ええ、まぁ電車には乗りませんが、方向としては」
「私と一緒だ! せっかくなら一緒に帰ろうよ。帰りも一人なんでしょ?」
朝倉さんは有無を言わさずに袖を引っ張った。不思議と不快感が全く湧かなかったのは、彼女の顔が夕日に照らされていたからかもしれない。




