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第12話 君の悩み

 6限目の終了を告げるチャイムが鳴り、西日は窓ガラスを砕きそうなほどに強く差していた。テスト前ということもあり、大会が近い部活以外はみんなすぐに学校の門を出た。


「矢田、またな!」


「気をつけて帰れよ」


 古澤との別れの挨拶をしながら、私はわざとらしくゆっくりと荷物を片付けていた。そんな間にもクラスメイトは流れるように教室を出ていき、この古臭い部屋には私と朝倉さんのただ2人となった。


 どこまでも静寂な空間に、私と彼女。2人ともゆっくりと荷物をまとめていた。空気が少し緊張している。


「じゃあ勉強しよっか!」


「公民館とか図書館とかじゃないんだ」


「雰囲気があるじゃん」


 教室で勉強となると……むしろ雰囲気がないような気さえするが。とはいえ確かに、誰もいない教室というのは面白いものもある。


「さぁさ! 長居はできないんだから、ちゃちゃっとやっちゃお」


 朝倉さんは向かいに座り、そこに教科書とノートを広げた。気持ちの悪いほどに書き連ねられた英文を前に、言い得ない不快感が溢れ出す。


「矢田くんは勉強の方はどうなの?」


「平均よりはちょっとできるぐらいかな。極めて普通」


 苦手でもないが、得意でもない。いや、どちらかと言えば“まぁまぁ得意”、そんな程度だろうか。ただ今回は朝倉さんが勉強を見てくれるわけで、できる限りの努力はしたいと思う。


「あ、そうそう。せっかくだからおやつを持ってきたんだよ。食べていいよ」


「唐突な校則違反」


 彼女の鞄から飛び出したいくつものチョコ菓子が机のおよそ4分の1を占領した。俺らを食えと言わんばかりに個包装が緩んでこちらを覗いてくる。


「好きなの? チョコ」


「え、逆にチョコ好きじゃない人って存在するの?」


「それは人それぞれでしょ」


 外国製のカラフルなチョコレートを頬張りながら、学年1位とは思えない、学の無さそうな返事をする様子に思わず口が緩んでしまう。私もチョコとクッキーのお菓子を1つだけ口に運び、美味しい、と一言こぼした。


「私、テストって結構好きなんだよね」


「そりゃまた珍しいね」


「ほら、いつもより早く終わるじゃん? 別に大して難しくないならお得だよねって感じ」


「あぁ……」


 分からないこともない。が、それは頭の良い人の感覚だろう。嫌でも勉強せざるを得ない立場からすると、そんなことは絶対にない。


「そういえばさ、最近よく古澤くんが話しかけてくれるんだよね」


 ちょっとした沈黙の後、彼女は少し困ったような顔を見せた。ただ嫌悪というわけでもなさそうだ。


「嫌なら僕から言っておこうか?」


「嫌じゃないんだけどさ。どう対応したらいいのかなって。あの人はどっちかというと外側を見てるタイプだと思ってたから……」


 申し訳ないような、困惑したような、そんな感情が漏れていた。君がいいならいいじゃないか、そんなことを言いたくなる。


「まぁ人は変わるってことよ」


 視線は英文に落としながら、それとなくフォローをする。興味があるようなないような、少し距離を取った視点で。


「そういうものかな。嬉しいけど……ちょっとびっくりなんだよね」


「何かとさ、行動してみたら悩みも解消できるもんなんじゃない?」


「ん? 私って何かしたっけ?」


 そう言われてふと我に返った。そういえば古澤にアドバイスをしたのは私だったか。ただ元を辿ればそれは私ではない。


「朝倉さんが話してくれたんじゃないか」


「えぇ、それだけ?」


「もしかしたら、それだけじゃないのかもしれないけど」


 少なくとも“それだけ”と言えるようなことでもないだろうに。ただせっかく口の中が甘いんだ。余計なことは口にしない。


「ふぅ……さて、そろそろ帰ろっか。先生にバレたらなんて言われるか」


「勉強してるんだから大して言われないでしょ」


 そう言いつつ、慣れた手つきで荷物を片した。机の上に散らばったお菓子をまとめて朝倉さんに手渡す。


 気づけば空は赤くなり、日はすっかり傾いていた。体感では1時間も経っていないかと思っていたけれど、勉強に没頭していたのかあるいは、とにかく思ったよりもずっと長い時間が経っていた。


 校庭を走り回っているサッカー部を脇目に、私と彼女の影は肩を並べて歩いていた。大きな通りを抜け、潮風を受け、すぐ隣には廃れた漁港が現れる。


「私さ、こんなに夏休みが楽しみなのは初めてだよ」


 スクールバックを前に後ろに大きく揺らしながら、そんなことを言い始めた。私としては時間が経ってしまうのはどこか複雑だけれど、それを止めることはできない。


「うちの親……特に父さんはね、ちょっと厳しい人なんだ。親バカなくせに、どこか現実的って感じでさ」


 革靴がアスファルトを叩く音を旋律に、彼女はそのまま言葉を続けた。私はただ相槌(あいづち)を打ちながら、黙ってそれを聞く。


「前までは『なんだこのクソ親父は!』みたいに思ってたんだけどさ、なんか……ちょっと分かるようになったんだよね。最近は自由にやらせてくれることも多くなったしさ」


 彼女の話に割って入ることはしなかった。現実主義な父親が、今は彼女の意欲を最優先にしている。どうしても苦しい現実があるからだろうが……。


「将来のこととか、何も考えずに遊び尽くせるってなんか贅沢だなって……なんて」


 強がったような、そんな口調。けれど視線は波に揺らされていた。それがたまらなく辛かった。


「……何も、弱みを隠さなくたっていいじゃんか。悲しみを見せたっていいし、泣いたっていいよ。だからそんな……そんなことは言わないで」


「……いつまでもうじうじしてたら……めんどくさい女みたいじゃん」


「そんなことないよ。せめて僕の前では正直でいてほしいって思うよ」


 嘘だ。彼女の悲しむ顔も、泣き顔も見たくはない。できれば楽しそうに笑っている姿だけを見ていたい。けれどそれ以上に、本心を押し潰して苦しむ姿は見たくない。


「やっぱりちょっと……悲しいなぁ……」


「うん……うん。そうだよな」


 彼女の頭を抱き寄せて、崩れた顔を隠すように胸に埋めた。普段は静かな波音が少しだけうるさく聞こえたのは、たぶん彼女の声を聞かないでいようと思ったからだ。

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