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第1話 君と私の青い記憶

 私は海が嫌いだ。


 たくさんの子ども達があの波に飲まれてしまった。数えきれないほどの命が、あの青い怪物に奪われた。君も例外ではない。


 それまで積み上げてきたものを、何の脈絡もなく、そして無慈悲に連れ去ってしまった。ただ突然に、ただ残酷に。


 あの日私が、君のことを止めていれば……止めることができていたのならば……君はまだ私の隣に立っていてくれたはずなのに。


 最期の瞬間(とき)まで私の隣に……。いや、それは少し欲張りかもな。


 君の判断を褒めるつもりはない。むしろ責めたいくらいだ。それでも……それでも君のおかげで助かった命もある。それも事実だから、私は君のことを誇りにも思う。


 この花畑の奥に薄っすらと見える、どこまでも広く、大きな青い世界。私達の尊いはずの生命は、その大きさと比べれば小さな塵に過ぎない。


 昔のことだ。古い……青春のことだ。後悔するのも無駄なことではあるだろうが……それでも叶うことならば、もう少しだけ君との時間が欲しかった。


***


 ジリリリリ……


 耳元で目覚まし時計がうるさく響いた。頭を揺らされるような感覚に、私は強制的に意識を叩き起こされる。


 7時半、寝坊……と言うとまた違うか。ゆとりを持って登校したかったが、悲しむほどでもない。ゆっくりと身体を起こし、伸びをしながら階段を一つずつ降りた。


「優希ー! お弁当できてるからねー!」


「母さん……あまり大声出さないで」


「あ、起きてたの? 朝ごはんは好きにしなね」


「分かった」


 食品棚の食パンを一切れ取り出し、ジャムも何もつけずに頬張った。美味しくはない。が、朝食なんてものはこれぐらいでいい。


 荷物をまとめ、顔を洗い、堅苦しい制服に着替える。元気のない声で“行ってきます”とだけ伝え、重い扉の外へ出る。


 潮風に吹かれながら一歩、また一歩と歩みを進めた。視界の隅には廃れた漁港が映っていた。街のおじさん達がときどき釣りに来るような、そんなところだった。


「おはようございます」


「はよーざいます」


 高校の門では、風紀委員が挨拶運動をしていた。私は小さくやる気のない声で返す。


 学校は面白いものでもなかった。嫌悪するようなものでもない。山も谷もない、ただのつまらない日常が詰まった箱。もっとも、それは私が努力していないからだろうが。


 そんな平坦な日常を気に入ってはいる。できることなら何もない毎日を……けれど心のどこかで“面白い何か”が起こらないかとも期待している。


 2-3と記された教室の扉を開き、私は静かに自分の席へと向かった。周りからは騒がしい雑音が流れてくる。


 朝練がどうだったとか、放課後はどうするかとか、そんな声が四方八方から聞こえた。朝の教室はいつも騒がしいが、その騒がしさが羨ましい。


 そしてそんな声の中心にいたのが君、朝倉あさくら春奈はるなだった。一言で言うならば才色兼備の優等生。僕とは住む世界が違う、そんな存在。


「おーい。そろそろチャイム鳴るぞー」


 担任のだらけきった声によって教室は徐々に静けさを取り戻した。1人、また1人と机につく。私はそんな様子を頬杖をつきながら眺めていた。


 先生の声が右から左へと流れていく。時計が進むにつれて意識が取り出されるような、そんな感覚に襲われる。今は何の授業だったか。老いた教師の声が子守唄のように聞こえた。


「……ーい。おーい、矢田くん。……あ、起きた」


「ん……?」


 古い木の匂いがする教室には似つかない、どこまでも透明な声に起こされた。顔を持ち上げると、そこにいたのは私のことを覗き込んだ朝倉さんだった。そして教室には私と彼女を除いて誰もいない。


「朝倉さんじゃないですか。……おはようございます」


「うん、おはよう」


 私は平静を装って挨拶をした。授業中に眠ってしまったことに焦りを感じつつも、“完璧”な彼女の前ではその焦りを見せたくなかったのかもしれない。変に真面目な性格にうんざりしてしまう。


「次美術でさ、移動教室でしょ? 誰も起こしてくれなかったの?」


「まぁ……ほら。僕ってあまり話さないじゃないですか」


「ふーん。なんか可哀想だね」


 彼女は歯に衣着せない、どこまでも正直な人だった。それを悲しくも思わない私も大概だとは思うけれど。


「それにしても、わざわざ起こしてくれたんですか。ありがとうございます」


「んん? いや、筆箱を忘れちゃってね。取りに来たら矢田くんが寝てるからさ、声をかけただけだよ」


 そう言って朝倉さんは自分の席に筆箱を取りに行った。何にしても助かった。無断欠席なんてしようものなら評価が下がってしまう。成績にこだわっているわけでもなかったけれど、そんな理由で成績が落ちてしまうのは嬉しくない。


「あ、そうだ。せっかくだし一緒に行こうよ。矢田くんとはこうやって話すのも……初めてではないか」


「そうですね……。まぁ朝倉さんがいいなら、ぜひお話させてください」


「良かった! 断られたら嫌われてるんじゃって怖かったよ。ほら、矢田くんってどこか暗いからさ」


 だから嫌がられるんじゃないか、と朝倉さんは笑って話した。失礼な、と思いつつも、客観的に見れば否定することもできなかった。


 彼女はどこまでも真っ直ぐで、そして明るい存在だった。俗に言うならば“陽キャ”なのだろうが、そんな言葉では表現したくないほどに。


 教科書と筆記用具をまとめて、朝倉さんと肩を並べて教室を後にした。隣の教室からは休み時間特有のザワザワとした音が(こぼ)れていた。静かでうるさい、そんな時間だった。


 私の、いや、私と君の青春は、そんな偶然によって幕を開けたのだ。


 これは私が君と別れる前の……別れるまでの物語。

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― 新着の感想 ―
風景が目に浮かぶような描写、素晴らしいです。フォローさせていただきました!
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