第8話 二つの教えの対立
帝都の片隅に佇む「薔薇ワイン」の店。その地下室は、芳醇な発酵の香りと、カビの生えた古い紙の匂いが混じり合う、奇妙な静寂に包まれていた。
机の上には、先ほど回収部隊から奪った不気味な輝きを放つ術具と、ガイウスが長年、復讐のためにかき集めてきた膨大な古文書が乱雑に広げられている。
揺れる蝋燭の炎が、壁に二人の兄弟の影を長く落としていた。
「……宗派の連中、動きが妙だとは思っていたがな」
ガイウスは、奪った術具の複雑な紋様を指でなぞりながら、低い声で言った。
「奴らの行動は、破壊や略奪を目的とした軍隊のそれじゃない。あまりにも形式化され、緻密で……まるで、壊れた機械を修復しようとする職人のような病的な執着を感じる。彼らが本当に望んでいるのは、『標本73』——彼女の持つ、あの異常なまでの再生能力そのものだ」
ガイウスは、かつて父が命懸けで隠し通していた一冊の古い日誌を手に取った。それは、この国が「邪悪な宗派」に怯えるよりも遥か昔、「原石暦」と呼ばれた時代の終わり頃の記録だった。
そこには、現在の教団の前身である「調査班」と呼ばれた科学者たちの狂気が記されていた。
「……ここに書いてある。当時、彼らが提唱したのは『ホリントの目覚め』。後天的に人間を超越した存在へと進化させる『救済』のプロセスだ」
ガイウスの指が、ある一節で止まる。
「彼らは進化のためのエネルギーを、世界に遍在する『大地の泥』から得ようとした。だが……」
ジオンがその先を引き継ぎ、震える声で読み上げた。
「……『調査班』の独断によるシステム干渉は、高等システムの深刻なバグを誘発した。結果、天からは雨ではなく『泥』が降り注ぎ、王国は永久に霧のベールに包まれることとなった。そして、システム近傍にいた研究者たちは……完全な死を奪われ、腐敗もせず、消滅もできない『不完全な生命』へと変質してしまった……」
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
「泥」とは、単なる汚れではない。それは世界の管理システムから溢れ出した「エラーデータの澱」であり、人々の魂を汚染し、生命の循環を狂わせる呪い。
そして、「紅蓮の踊り手」がどれほど傷ついても再生し、死を拒絶するその不気味な体質こそ、この「世界のバグ」を最も色濃く受け継いだルーツだったのだ。
「俺を追っていたのは、単なる処刑のためじゃない」
ガイウスは、父の筆跡をなぞりながら呟いた。
「父は……この泥のバグを修正し、世界を正常に戻す方法を知っていた。あるいは、それを可能にする鍵を持っていたんだ。だから奴らは、父を亡き者にし、その息子である俺を、そして娘を標本として求めた……」
そして、ジオンは文書の最後に記された、最も残酷な歴史的背景にたどり着く。
「……ここに、『永続する尼僧の教え』教団の介入についても記されている。彼女たちは、調査班の暴走を知り、バグを封じ込めるために、その土地ごと調査班を焼き払った。過激な『殺菌』によって解決を図ったんだ」
ジオンは日誌を閉じ、兄を真っ直ぐに見据えた。
「つまり、僕たちが『邪悪な宗派』と呼んでいた連中は、尼僧教団の冷酷な切り捨てに抗い、今もなお自分たちの『バグ』を治し、元の人間としての死を得ようとしている生存者の末裔……。そして、その治療手段として、最も効率的だと彼らが結論づけたのが、人形(踊り手)を触媒にした大規模な犠牲儀式だった、というわけだ」
ガイウスの復讐心は、行き場を失いかけていた。
今まで戦ってきた相手は、単なる悪魔ではなかった。それは、救済という名の、狂った手段を選ばざるを得なかった絶望の集団。
だが、その「治療」のために、罪のないカリーナが人形に変えられ、ギィの人生が狂わされた事実は変わらない。
「……どちらの救済が、正しいというのか」
ジオンの問いは、地下室の冷たい空気に溶けていった。




