第4話 裏切り者の血
ガイウスの離反と「紅蓮の踊り手」の奪還は、宗派にとって単なる不祥事ではなかった。それは、彼らが長年積み上げてきた「教え」の結晶を盗み出されたに等しい冒涜だった。宗派の枢密院は直ちに動き出した。彼らはガイウスが単なる私怨で動いているのではないこと、これがかつての貴族としての誇りと、家族を奪われたことへの緻密な復讐計画の序曲であることを冷徹に見抜いていた。
逃走するギィと踊り手の背後には、目に見えない網が絞り込まれるように張り巡らされていた。彼女の衣服、その深紅の布地に深く編み込まれた「シャドウシルク」の糸。
それは闇の中で、彼女の微かな鼓動、体温の揺らぎ、そして逃走による荒い呼吸さえも振動として感知し、追跡者の持つ羅針盤へとリアルタイムで位置情報を送り続けていた。逃げれば逃げるほど、その糸は彼女の肉体を締め付け、追跡者たちを「獲物」へと正確に導く。
「……はぁ、はぁ……あともう少しだ、頑張れ……!」
ギィの懸命な励ましも、夜の冷気に白く消える。帝都の最果て、古びたレンガ造りの建物がひしめくエリアの行き止まり。高さ数メートルはあろうかという堅牢な石壁が、二人の行く手を無情に遮った。振り返れば、今まで歩いてきた路地は深い霧のような闇に包まれ、そこからカツン、カツンと、統制のとれた不気味な足音が近づいてくる。
闇を割って現れたのは、異形の集団だった。宗派が誇る「回収部隊」。彼らが纏う灰色の法衣には、血のようにどす黒い紋章が刻まれている。彼らは殺し屋ではない。「生きた標本」を傷つけることなく持ち帰るための、捕縛と麻痺の術を極めた、いわば「魂の調律師」たちであった。
彼らの中心に立つ、顔の半分を銀の仮面で覆った術師が、感情を排した声で宣告した。
「標本73号。迷い子の時間は終わりだ。自ら宗派の『教え』の元へ戻れ。お前の機能は、まだ完成には程遠い」
ギィは踊り手を自分の背後に隠し、震える手で錆びたナイフを構えた。
「ふざけるな……! 娘を返せ! この子は私の娘だ、あんたらの実験道具じゃない!」
父親の悲痛な叫び。しかし、術師の仮面の奥にある瞳は、憐れみすら浮かべなかった。ただ、ゴミを見るような冷徹な光が宿っている。
「ガイウス・フェルディナンの共犯者よ。無知とは、救いようのない罪だな」
術師は一歩、また一歩と間合いを詰める。彼の手のひらで、青白い魔力がパチパチと音を立てて渦巻いている。
「貴様が探している『娘』は、どこにもいない。……いや、正確に言えば、既にその人形の『内部』に組み込まれているのだ。筋肉の繊維、神経の束、そして記憶の残滓。我々が救い上げ、永久の命を与えたのは、一人の少女ではない。彼女という素材を用いた『教え』そのものだ。貴様が握りしめているその手は、既に娘の死肉で編まれた皮に過ぎん」
「な……何を、言っている……?」
ギィの膝から崩れ落ちそうになる。背後にいる「紅蓮の踊り手」は、相変わらず無機質な美しさを湛えたまま、虚空を見つめている。彼女の瞳の奥で、ほんの一瞬、消え入りそうな光が明滅したように見えたが、それはシャドウシルクが放つ冷たい燐光にすぐさま飲み込まれていった。
「我らが救うべきは、取るに足らない個人の魂ではなく、完成された美と教えだ。さあ、そのガラクタをこちらへ渡せ。さもなくば、お前もまた『素材』の一部に加えてやろう」




