第11話 薔薇
「薔薇ワイン」の地下室。冷えたワインのボトルが結露し、滴る雫が古い地図を濡らしていた。ガイウスはその深紅の液体を、乾いた喉に流し込む。
「まだ、父上の仇を討つことに囚われているのか?」
ジオンの問いは鋭かった。だが、今のガイウスの瞳に宿っているのは、かつての盲目的な憎悪ではない。
「……父は、宗派から逃がすために自ら泥を被り、死を選んだ。かつては、その犠牲に応えるために奴らを滅ぼすことだけを考えていた」
ガイウスは空になったグラスを見つめ、静かに、だが重く続けた。
「だが、今は違う。真の復讐は、宗派という組織を壊すことじゃない。父を孤独な裏切り者に仕立て上げ、愛する者を人形に変えた、この世界の『泥』……そして『完璧な救済』という名の独善的な鎖を断ち切ることだ」
彼は、父を死に追いやった過去の呪縛を、今この瞬間に振り払った。復讐は、世界を正すための「使命」へと昇華されたのだ。
その時、地下室の片隅に置かれた、古い貴族の隠密通信機がカチリと音を立てた。
届いたのは、脱出に成功し、身を隠しているギィ・パロモからの魔導通信だった。
『……ガイウス、聞こえるか。娘は……カリーナは、まだそこにいる。彼女の中に宿るもう一人の人格「紅蓮」が、自らの意思で宗派の監視網を内側から食い破った。彼女は今、自ら敵の心臓部へ戻り、内側からの反撃を試みようとしている』
ギィの声は震えていたが、そこには娘への確固たる信頼があった。
「聞いたか、ジオン。彼女たちは、自ら戦う道を選んだ」
「……ええ。ならば、僕らもそれに応える『舞台』を用意しなければならないね」
ジオンはすぐに奇兵隊の特権通信網を起動し、国境を越えた先にある人物へ極秘の要請を送った。
「信頼できるのは、隣国『岩顔料の国』の高等契誓騎士だ。彼らは独自の倫理観を持っている。『原石を磨けども、過ぎては塵になってしまう』……それが彼らの信条だ」
ジオンの言葉に、ガイウスは目を見開く。
「過ぎたる磨きは、本質を壊す……か。宗派の『完璧な治療』とは真逆の思想だな」
「その通りさ。彼らなら、不完全なまま生きる『標本73』の価値を理解し、泥のバグを研究する間、彼女たちを全力で守ってくれるだろう。彼女たちの自由と世界の治療を優先する……僕が選んだ『使者』だよ」
ガイウスの顔に、ようやく安堵の笑みが浮かぶ。
復讐のために磨いてきた剣を、今度は「不完全な美」を守るために振るう。
彼女たちの逃走経路と、国際的な保護者の確保。それは、世界を覆う霧を晴らすための、最初の一歩となった。




