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MyGround―不完全な生命の詩  作者: 螺結
第一部 高貴なる故郷よ
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第10話 内なる反響

劇場の最奥に位置する調律室。そこは「標本73」を次の儀式へと最適化するための、冷たい石造りの牢獄であった。


外側から見れば、紅蓮の踊り手は虚ろな瞳で椅子に座り、術師たちの命令に従って微動だにしない「完璧な人形」を演じている。しかし、その内側の閉ざされた精神世界では、沸騰するような意志の火花が散っていた。


「……ようやく、奴らの監視に綻びが見えたわ」


カリーナの意識が、暗闇の中で呟く。彼女の目の前には、肉体を縛る「シャドウシルク」が神経系にまで根を張る様子が、おぞましい赤黒い血管のように投影されていた。


「――ふん。この程度の稚拙な術式に、これほど長く繋がれているとはな。『人間』としての執着が、この肉体の本来の出力を濁らせているのではないか?」


闇の向こうから、冷笑を孕んだ声が響く。


そこに立つのは、カリーナと同じ顔を持ちながら、瞳に混沌とした紅い炎を宿した人格——「紅蓮」。過酷な人体実験の苦痛が生み出した、生存本能の結晶にして、世界の「バグ」を直感的に操るもう一人の彼女だった。


カリーナの意識が人形の肉体を密かにジャックし、懐に隠し持っていた小さな瓶を取り出した。ガイウスが「彼女」のために心血を注いで改良した、特別なペタル・ワインだ。


「……飲むわよ」


人形が唇をわずかに動かし、深紅の液体を一口含んだ。


その瞬間、高濃度のエネルギーが血管……否、泥に侵された疑似神経を駆け巡る。ガイウスの愛と復讐心が込められたそのワインは、単なる栄養剤ではない。それは、一時的に「ホリントの目覚め」を強制発動させ、肉体のリミッターを外すための触媒だった。


「――くっ……あ、ああああ!」


精神世界で、カリーナが衝撃に身を悶える。急激な魔力の上昇が、人形の回路に過大な負荷をかける。


「――案ずるな。この程度の負荷、『タウストリー(理の織り糸)』ですべて変換してやる。その震える手で『鏡』を掲げていろ」


紅蓮が不敵に笑い、カリーナの背中を支えるように意識を重ねる。二人の意識が完全にシンクロし、ワインのエネルギーを暴走させることなく、一つの「指向性を持った奔流」へと変えていく。


次に彼女が取り出したのは、古びた銀の縁取りがなされた「エコー・グラス(反響の鏡)」だった。


カリーナは、ワインによって生成された膨大なエネルギーを、この鏡へと注ぎ込んだ。


エコー・グラスが不気味な青白い光を放ち、鏡面には宗派が彼女を縛っている「追跡術式」の層が、レイヤー化された情報として映し出された。


「――見ろ、この醜悪。奴らは貴様の脈動一つ、呼吸一つを、この糸の反響で監視している。だが、反響とはすなわち、偽りの音を混ぜ込めるということだ」


紅蓮の指示に従い、カリーナは鏡の中に映る術式の「追跡の層」に対し、ワインのエネルギーを共鳴させた。


エコー・グラスの能力によって、追跡術式が発する探査波が180度反転し、自分自身へと跳ね返っていく。


「今よ……! 『偽りの安定』を、上書きする!」


カリーナは「紅蓮の幻想」の力を使い、鏡の中に「正常に機能し、大人しく座っている標本」という偽の情報を構築した。


ワインの強力なエネルギーを背景にしたその偽情報は、本物の彼女の微細な動きや逃走への兆しを完全に覆い隠す、「完璧なダミーデータ」として術式の深部へと送り込まれた。

熱が引き、静寂が戻った。


人形の瞳からは光が消え、元の無機質な硝子玉へと戻る。しかし、その内側では、カリーナと紅蓮が勝利の確信を共有していた。


「――やったわ。これで、誰にも気づかれずに動ける」


「――フン、ようやくスタートラインに立ったに過ぎん。ガイウスのワインがなければ、私の真理もこの泥に呑まれていたかもしれんな」


紅蓮は尊大に腕を組みながらも、どこか満足げな気配を見せた。


彼女はカリーナに向け、この肉体が抱える「混沌」の正体を見据えるような眼差しを送る。


「――いいか、これからの戦いは、単なる逃走ではない。この不完全な世界というシステムそのものを、私たちの『意志』でハックし、塗り替える儀式だ。その甘美な人間性が、いつまでこの混沌に耐えられるか……見ものだな」


「ええ。どこまでも見守っていて。お父様やガイウス様と一緒に、この物語を終わらせる。……本当の『死』という、自由を勝ち取るために」


紅蓮の踊り手は、ゆっくりと立ち上がった。

足元には、役目を終えて灰となったシャドウシルクの残骸が散っている。


彼女は無表情な仮面を被り直し、宗派が命じる「儀式の段取り」を続けるために歩き出した。


だが、その足取りはもう傀儡のものではない。


宗派の心臓部で、彼らが「最高傑作」と呼ぶ人形が、自らの意思で反逆の舞を踊り始めたことに気づく者は、まだ誰もいなかった。

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