表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

聖女様は私の婚約者を奪えると思っているようです

作者: セト

 王国魔導師団の心臓部は、今日も静謐な熱気に包まれていた。

 磨き上げられたマホガニーの巨大な執務机の上には、この国中の魔力消費報告、資材発注書、そして来月執り行われる国家儀式に関する膨大な資料が、崩れることのない絶妙なバランスで山のように積んである。

 私、フィナ・シュタインは、羽ペンを走らせながら、その紙の山をまた一段低くした。

 筆頭事務官。

 それが私の肩書きである。

 魔力を持たず剣も握れない私だけれど、この荒くれ者と天才たちがひしめく魔導師団の中枢にいられるのは、ひとえにこの書類処理能力と、完璧な根回しのおかげだ。

 コツコツ、と硬質なブーツの音が響き、執務室の重厚な扉が開かれる。


「フィナ。北部の魔獣討伐遠征費の最終決裁はまだか?」


 入ってきたのはこの部屋の主であり、王国最強の魔導師と謳われる男――魔導師団長アレクセイ・ウォン・ランハイム公爵だ。

 銀糸のようなプラチナブロンドに、凍てつく湖面のようなアイスブルーの瞳。

 彫刻のように整いすぎたその美貌は、彼が『氷の魔導師』と呼ばれる所以でもある。

 常に冷徹で、無駄を一切許さない仕事の鬼だ。

 でも私は知っている。

 彼がいま、ほんのわずかに眉間を緩めていることを。


「こちらに。すでに財務省の承認印も取り付けてあります」


 私が差し出した書類に、彼は流れるような動作でサインをする。

 そして、ふぅと息を吐いた。


「……完璧だな。俺の見立てだと、君が逃げたらこの組織は三日で瓦解する。一生ここにいてくれ」

「団長閣下の素晴らしい統率力があってこそですよ」

「口が上手いな。それと、二人きりの時は名前で呼んでくれと言っているだろう」


 アレクセイは少し拗ねたように口をとがらせ、私のデスクの端に腰掛けた。

 そう、私たちは婚約している。

 地味な事務官と、公爵家の美しき当主。

 かなり不釣り合いだとは思う。

 実際にそういう声も多かった。

 それが悔しくて私は誰にも負けないように数年間がんばり続けたら、周りも認めてくれるようになった。


「アレクセイって、意外と甘えん坊だものね」

「君の前だけだぞ。俺が本当の自分でいられるのは」


 真剣な眼差しで力説するアレクセイ。

 普通に可愛い。

 私たちの間には、誰にも立ち入れない信頼と、静かな愛がある。

 私はそう信じているし、彼もそうだと嬉しい。

 ただ最近……この二人だけの空間に、妙な異物が混入するようになったのが少し辛い。


「あ~ん、アレクセイ様ぁ! やっぱりここにいらしたんですね!」


 甘ったるい声と共に、ノックもなしに扉が開いた。

 現れたのは、ふわふわとしたピンクブロンドの髪を揺らす小柄な少女だった。

 マリア・ロンクス。

 先月配属されたばかりの、稀少な『聖女』の力を持つ治癒魔導師だ。


「マリア、ここは団長執務室だ。入室許可を出した覚えはない」


 アレクセイの声が絶対零度まで下がる。

 しかし、マリアには通じない。

 彼女は蝶々のようにひらひらとアレクセイに駆け寄ると、上目遣いで彼を見上げた。


「だってぇ、アレクセイ様がお疲れだと思って! 私の癒やしの力が必要ではありませんか!」


 彼女の周囲には、常に無駄な微弱魔力が放出されており、キラキラとした光のエフェクトが舞っている。

 彼女はわざとやっている。

 魔力効率の観点から言えば最悪の燃費だが、若い騎士たちはこれを『天使のようだ!』と持て囃していた。


「お前の癒やしなど必要ない。下がれ」

「もう、照れなくても良いんです! あ、フィナさんもいたんですね……。相変わらず地味な事務作業ばっかりで大変ですね。私みたいに、パッとみんなを癒やしてあげられたらいいのに」


 マリアは私の方を見て、タチの悪い憐憫の笑みを向けた。

 私は表情筋を一切動かさず、羽ペンをインク壺に戻した。


「聖女様。先日の演習で貴女が提出された魔力消費報告書ですが、桁が三つ違っていました。修正しておきましたので、後ほど確認印をお願いします」


 マリアの顔が引きつる。

 その目、この間ゴキブリを見ていた目と同じね。 仕方ない。

 彼女が最も嫌う現実の話だから。

 

「えー、そんな細かいこと、あとでいいじゃないですかぁ。それよりアレクセイ様、今度のお休みにぃ――」


 私は小さく溜息をついた。

 彼女は自分がこの世界のヒロインだと信じて疑わない。

 アレクセイは運命の相手で、私はお邪魔虫のモブなのだ。

 そういう脚本が、彼女の頭の中にはあるらしい。

 本当に困ったものね。 



 その日の夕暮れ。私は資料室へ続く渡り廊下を歩いていた。

 王宮の裏手にあたるこの場所は人通りが少なく、手入れされた植え込みの陰が死角を作っている。

 そこで、話し声が聞こえてくる。


「……だから、何度も言わせるな」


 アレクセイ?

 普段の冷徹さとは違う、心底うんざりした響きが含まれている。

 これは演技とかじゃなく、心底嫌なときの声だ。

 私は反射的に足を止め、太い石柱の陰に身を隠す。


「どうしてですか、アレクセイ様!? 私たち、運命の相手に間違いないんです。初めて会った時、ビビッときたでしょう!?」


 相手はマリアね……。

 切羽詰まった、しかし陶酔したような熱っぽい話し方だ。


「ビビッときた記憶など欠片もない。それに、俺には心に決めた婚約者がいる」

「そんなの知ってます! フィナさんですよね? でも、あんな地味な事務の人、アレクセイ様には釣り合いません!」


 私のことを言われているのに、不思議と怒りは湧かなかった。

 あまりにも見えている世界が違いすぎて、同じ言語を話す別の生き物を見ているような感覚だ。


「彼女を侮辱することは許さん。フィナは誰よりも賢く、美しく、私にとってなくてはならない存在だ。君ごときが足元にも及ぶ相手ではない」


 アレクセイの声に明確な怒気が混じった。

 これで引き下がるかと思ったが、マリアの次の言葉は、私の想像を遥かに超えていた。


「……そうですよね。アレクセイ様がお優しいから。だから幼馴染の情を捨てきれないんですよね?」


 彼女の思い込みはすごい。

 重症ではないだろうか。


「だったら私――二番目でもいいんです!」

「……は?」


 氷の魔導師があんな声を上げたのを久しぶりに聞いた。


「フィナさんをすぐに捨てろなんて言いません。可哀想ですし。だから、私を側室にしてください。真実の愛は私と育んで、形だけ彼女を正妻にするのはどうでしょう? 私、耐えられます!」


 私は恐怖すら覚えた。

 この聖女には、拒絶の言葉が自分への試練や愛の障害としてしか変換されないのだ。


「……君は正気なのか」

「はい! だって私たち、運命なんです! アレクセイ様だって、もうすぐ気づきます!」


 アレクセイは深い溜息をつくと、それ以上何も言わずに踵を返した。

 去りゆく彼の背中に、マリアは「待ってくださぁい! まだお話が!」としがみつこうとして、結界魔法で弾かれていた。

 それでも諦めずに胸を寄せながら抱きつこうとして、今度は風魔法で吹っ飛ばされていく。

 私は石柱の陰で、冷たくなった指先を組み合わせた。


 ――あぁ、あの人間違いなく病気だ。言葉が通じない。

 彼女は、痛い目を見るまで……いや、見てもなお、自分が悲劇のヒロインだと信じ続けるだろう。

 私の大切な日常を、愛する人を、これ以上土足で踏み荒らされるわけにはいかない。

 私は静かに決意した。


  ◇ ◆ ◇


 翌日、来月行われる国家儀式『星辰の浄化』に関する最終調整会議が開かれた。

 円卓には魔導師団の幹部がずらりと並び、上座にはアレクセイ、その隣に私が控えている。

 そして、なぜか末席にはマリアも座っていた。本当になぜ?

 普通に帰ってほしい。


「今回の儀式は、王都の地下に溜まった澱を浄化する重要なものだ。中心となる魔力制御は、極めて繊細な操作が要求される」


 アレクセイが説明する。

 本来、この制御役は魔力持ちの幹部が担当し、私がその魔力供給ルートの計算と、万が一の際のバックアップ体制を裏で全て構築する予定だった。

 その時、マリアが勢いよく手を挙げて出しゃばる。


「はいはい! 私がやりま~す! 浄化といえば聖女の私でしょう?」


 会議室がざわめいた。

 確かに彼女の魔力量は多いが、制御技術は未熟だ。

 幹部の一人が難色を示す。


「しかし聖女殿、今回の儀式は複雑な術式の連結が必要で……」

「大丈夫です! 私の『癒やしの光』があれば、どんな術式だってパワーアップしますから! ねえ、アレクセイ様。重要な儀式で団長様の隣に立つのは、やっぱり華のある私の方がふさわしいですよね?」


 マリアは挑戦的な視線を私に向けた。

 彼女の中ではこれがヒロインとしての見せ場であり、私への勝利宣言なのだろう。

 アレクセイが不愉快そうに眉をひそめ、口を開きかけた。

 私は、その前に一歩進み出た。

 そしてマリアに向かってにっこりと微笑んだ。


「素晴らしい熱意ですね、聖女様」

「え?」


 私の行動が意外すぎなのか、アレクセイが固まった。


「団長。私も今回は聖女様に重要な役割をお任せするべきだと思います。彼女の言う通り、聖女の浄化力は貴重ですから」


 会議室が水を打ったように静まる。

 アレクセイが訝しげに私を見つめる。

 私は彼と視線を合わせず、言葉を続けた。


「つきましては、今回の儀式魔力制御の全権と、それに付随する事前準備、関係各所への根回し、資材調達の最終確認、そして当日の術式管理の一切を聖女マリア様にお任せしたく存じます」

「え……えっ? ぜ、全部?」


 さすがのマリアも、予想外の展開に目を白黒させた。

 いやそれだけ出しゃばるのだから、そのくらいはやってもらわないと。


「はい。まさか、おいしいところだけ摘み食いするおつもりではないですよね? 団長を支える『運命の相手』ならば、それくらい造作もないことでしょう?」


 私の挑発に、マリアの虚栄心が刺激されたらしい。


「も、もちろんよ! 事務員さんにできることが私にできないはずないもの!」

「結構。では決まりですね」


 私は素早く懐から一枚の書類を取り出し、アレクセイの前に差し出した。


「では団長。私はこれにて、長期休暇に入らせていただきます」

「休……暇?」

「私がいては、聖女様が実力を発揮しづらいでしょうから。引継書は一切作成しておりません。聖女様の実力を信じておりますので。それでは」


 私は完璧な礼を執ると、呆気にとられる会議室の面々を残し、颯爽と退室した。

 背後で、アレクセイが小さく吹き出す気配がした。

 ああ、彼はきっと私の意図を正確に理解してくれただろう。



 王都から半日ほど馬車を走らせると、小高い丘の上に建つ別荘がある。

 私が必死で働いて購入したもので、最もお気に入りの場所だ。

 テラスからは美しい湖と、遠くに王都の街並みが見下ろせる。


「……はぁ。最高」


 私は最高級の茶葉で淹れた紅茶を楽しみながら、優雅に足を組んだ。

 膝の上には、読みたかった難解な魔術書の原書。

 テーブルには、焼きたてのスコーン。

 この数年、仕事に忙殺されて忘れていた何もしない贅沢を、私は骨の髄まで堪能していた。

 バサバサッ――

 風が巻き起こり、テラスに一人の男が転移してきた。


「君だけズルいぞ、フィナ」


 アレクセイだ。眉間に深いシワを刻み、ひどく疲れた顔をしている。

 そんな顔も美しいのだから、美男は存在自体がずるい。


「あら、お疲れ様です。アレクセイ様。クッキー、召し上がります?」

「二人きりだぞ、様はいらない。でもクッキーはもらう」

 

 彼はリスのようにポリとクッキーをかじる。

 目が虚ろだ。


「……地獄だ。王都は地獄だ」


 彼はクッキーを一気に口に放り込むと、この世の終わりかの如くうなだれた。


「聖女のやつ――資材発注書の書き方すら知らなかった。予算の概念がない。魔力計算式を見せたら『数字がいっぱいで頭が痛い』と泣き出した。なのに、周囲の騎士たちは『聖女様をいじめるな』と俺に抗議してくる。あそこには変なやつしかいない……」

「まあ、それは大変。でも、アレクセイ様ならなんとかできるでしょう?」

「俺が手を出せば、君の計画が台無しになるだろう。だから一切手伝っていない。ただ、冷ややかに見守っているだけだ」


 彼は吹っ切れたかのように綺麗な笑みを浮かべる。


「彼女はいま、必死に『癒やしの光』で誤魔化そうとしているが、事務作業は光では片付かないからな」

「あぁ~ん、誰かぁ助けてくださいぃ~! とでも言えば、男性陣がなんとかしてくれるのでは?」

「やつらが束になっても、君一人の仕事に及ばない。だってあの聖女を崇拝するやつらだぞ?」


 私たちは顔を見合わせ、クスリと笑った。

 性格が悪いと言われればそれまでだが、私たちはただ彼女が望んだ主役の座を譲っただけなのだ。

 ヒロインになりたいというのであれば、困難を乗り越える必要がある。

 聖女様がその器なのかどうか。

 私はそれを見守らせてもらいましょう。


  ◇ ◆ ◇


 儀式の日がやってきた。

 王都の中央広場に設けられた巨大な祭壇は、異様な熱気と緊張感に包まれていた。

 国王陛下をはじめとする王族、高位貴族たちが最前列で見守る中、国家儀式『星辰の浄化』が今まさに始まろうとしていた。


 祭壇の中央、複雑怪奇な幾何学模様を描く巨大な魔法陣の上に立っているのは、聖女マリアだ。

 彼女は今日のために新調した純白に金の刺繍が施された豪奢な儀礼服に身を包んでいる。

 性的アピールも兼ねているのか、胸元は谷間が覗けるくらい開かれていた。

 彼女の顔には緊張よりも、これから自分が浴びるであろう称賛への期待と高揚感が張り付いている。

(見ていてね、アレクセイ様? 私がこの国を救って、名実ともにあなたの隣に立ってみせるわ!)


 マリアはちらりと、祭壇の脇に控える騎士団長アレクセイの方を見る。

 彼は儀礼用の白銀の鎧を纏い、氷像のように微動だにせず、冷たい瞳で祭壇を見つめる。

 その表情からは一切の感情が読み取れない。

 いつも通りといえば、そうだ。

 マリアは大きく息を吸い込み、両手を天に掲げた。


「ああ、天上の光よ! 穢れし大地を癒やしたまえ!」


 彼女の身体から、眩いばかりの黄金の魔力が放出される。

 それは視覚的には非常に美しい。

 キラキラとした光の粒子が舞い上がり、貴族たちからは「素晴らしい……」という感嘆の声が漏れる。

 だが、魔導師団長のアレクセイだけは、眉間にかすかな皺を寄せる。


 (……雑だ)

 彼は冷徹に分析していた。 

 マリアの魔力放出量は確かに多い。

 だが、それはホースの口を全開にして水を撒き散らしているようなものだ。

 本来この儀式は、地下の魔力脈の詰まりを繊細な魔力操作で解きほぐし、少しずつ浄化の光を浸透させていく必要がある。

 休暇前にフィナが徹夜で計算していたのは、その浸透圧と流出量の完璧なバランスシートだった。

 ところが、マリアはその計算書を「難しくて読めなぁ~い」と破り捨てたのだ。


 異変は、儀式開始からわずか数分後に始まった。

 ズズズ……と、地底から低い唸り声のような地鳴りが響き始める。

 マリアが放出した大量の『癒やしの光』が、地下の澱と反発し、行き場を失って渦を巻き始めたのだ。


「ふえ……? なになに?」


 マリアが戸惑いの声を漏らす。

 彼女の足元の魔法陣が本来の青白い光ではなく、禍々しい赤黒い色に明滅し始めた。

 これまでは、フィナが裏で完璧なバックアップ体制を敷き、マリアが適当に放出した魔力を、見えないところで適切なルートに誘導していた。

 だからこそ、マリアは自分の力で成功したと勘違いできていたのだ。

 だが今日、その安全装置はない。

 自らいらないと言ったせいで。

 

「きゃあ!? なんでなんで!? 魔力が、入っていかない……!?」


 マリアは焦りまくる。

 注ぎ込んだ魔力が、壁に跳ね返されるように逆流してくる感覚を覚えたからだ。

 彼女は短絡的に考える。

 ――足りないのなら、もっと注げばいいのでは?


「お願い、私のようにもっと輝いて! いっけええええええええ――――」


 ――――ドォォォォォォン!!


 彼女が限界まで魔力を放出した瞬間、祭壇の中央がド派手に爆ぜた。

 制御を失った魔力の奔流が地下に溜まっていた数十年分の穢れを巻き込み、黒い噴水となって地上に噴き上がったのだ。


「ぎゃあああああっ!」


 マリアは魔力の衝撃波で吹き飛ばされ、無様に地面を転がった。

 純白のドレスが泥と煤で汚れる。


「へ、陛下をお守りしろ!」


 近衛騎士たちが慌てて叫ぶ。

 噴き上がった黒い汚泥はあろうことか、貴賓席にいる国王たちに向かって降り注ごうとしていたのだ。

 誰もが最悪の事態を覚悟したとき、空気が凍りついた。

 パキィ──

 硬質な音が響き渡り、国王たちの頭上に巨大な氷のドームが出現した。

 降り注いだ汚泥は全てその氷壁に阻まれ、バチバチと音を立てて凍りつき、砕け散っていく。


 アレクセイだ。

 彼は祭壇の脇から一歩も動かず、ただ片手をかざしただけで、国難級の災害を封じ込めていた。

 その表情は先ほどまでと変わらず、温度は感じられない。

 いや、微かに怒りの感情が口元に反映しているだろうか。


 やがて、噴出が収まった。

 広場は惨憺たる有様だ。

 美しい祭壇は半壊し、周囲は汚い泥まみれ。

 煤けた臭いが充満しており、えずく者も多い。

 混沌の中、アレクセイの氷のドームが光の粒子となって霧散する。

 国王は無事だったものの、その顔は怒りで真っ赤になっていた。

 アレクセイはゆっくりと、腰を抜かしているマリアの方へ歩み寄った。


「ひっ、アレクセイ様……。ち、違うの、これは、なにかおかしくて。魔法陣が、壊れてて……」


 煤で顔を真っ黒にしたマリアが震えながら言い訳を口にする。

 アレクセイは彼女を見下ろした。

 そのアイスブルーの瞳には、侮蔑すら浮かんでいなかった。

 ただ、その辺に転がる小石を見るような無関心な目だ。


「……フィナを差し置いてお前が運命の相手だと。笑わせるのもいい加減にしろ」


 彼が低く呟いた言葉は、マリアの耳には届かなかった。


「拘束しろ」


 アレクセイの短い命令で、部下の騎士たちがマリアの腕を掴んだ。


「やだ、離して! 私は聖女よ! アレクセイ様、裏切るの!? 私たち運命なのに!?」


 泣きわめくマリアの声が、破壊された広場に虚しく響き渡る。

 でもアレクセイはもう彼女を見ていなかった。

 彼は懐から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。


「やれやれ……。これでは定時に帰れそうにないな。フィナが待っているというのに」


 氷の魔導師は憂鬱そうに小さな溜息をつき、膨大な事後処理の指揮を執り始めた。



 数日後、マリアは仮の査問会にかけられた。

 彼女は泣き叫び、髪を振り乱し、声が枯れるまで喚き続ける。


「私が失敗したのは、フィナさんが仕事をサボったせいです! 私は嵌められたの! 人気者の私はいつも嫉妬されちゃうから……!」


 その言葉はかつて彼女を「天使だ」「神の使いだ」と持て囃した者たちの前に、むなしく散った。

 なぜなら、証拠が完璧すぎたからだ。

 休暇届には団長であるアレクセイの決裁印がある。

 会議の議事録には聖女自らが全権を要求し、幹部たちの前で大見得を切った記録が残る。

 さらに、彼女が計算書を破り捨てた場面を見た者までいた。

 そして、決定打は国王の一言だった。


「責任を他者に押し付ける者が、聖女とはな」


 その低い声が会場に落ちた瞬間、空気が完璧に変わった。

 騎士たちの目から、あの盲目的な熱がすっと消えていくのが見て取れた。

 最初に離れたのは、彼女を守る盾だと思っていた若い騎士たちだった。


「でも確かに、あの日も浮かれてたな……」

「聖女様って、いつも『難しいのやだ』って……」

「俺たち、なにを見てたんだ?」


 小さな呟きが徐々に広がっていく。

 彼女の言葉は誰にも届かず、誰も彼女の涙を尊いものとして扱わない。

 マリアは、そこで初めて理解する。

 この世界は舞台ではない。

 自分はヒロインではなく、ただの一人の平凡な人間なのだと。


「やだやだっ……私は、選ばれた……っ」


 気づくのが遅かった。

 もう誰も味方をしてくれない。

 かつて信じてくれた者たちは、自分が騙された被害者になりたがっている。


 結局、彼女の聖女という称号は剥奪された。

 そして判決は、淡々と下る。


「魔力枯渇罪ならびに国家儀式妨害。北方魔晶石鉱山への強制労働を命ずる」


 あの日、彼女が夢見た称賛の光はもう二度と降り注がない。

 彼女の名は救国の聖女ではなく、王都を汚泥で染めた愚者として語られるだろう。

 そうしてマリアは誰にも惜しまれないまま、王都から消えていった。


  ◇ ◆ ◇


 事件から一週間後。

 私が久しぶりに出勤した魔導師団本部は、まさに台風が過ぎ去った後のような惨状だった。

 窓ガラスは割れ、壁には煤がついている。

 騎士たちは全員、この世の終わりのような顔で瓦礫の撤去作業をしていた。

 なんだか雰囲気が怖い……。

 私は埃を払いつつ、団長執務室へと向かった。

 扉を開けると、そこだけはいつも通り完璧に整えられていた。

 アレクセイが執務机に向かい、恐ろしい速度で事後処理の書類を捌いている。


「おはようございます、団長」

「遅いぞ、フィナ。君がいない間に私の寿命は十年縮んだ。それはつまり君と一緒にいられる時間が十年少なくなった……」


 彼は悲しそうな表情を浮かべて私を見る。

 数秒、私のことを眺めると心底ホッとしたように息を吐いた。

 その顔には、隠しきれない疲労の色が滲んでいる。


「それで、儀式の結果は?」

「見ての通り大失敗だ。国王陛下も参列されていたが、危うく汚泥を被るところだった。私が結界で防いだがな」


 アレクセイは淡々と報告する。


「マリアは魔力制御を暴走させ、王都の浄化どころか、逆に地下の澱を活性化させた。被害総額は国家予算の一割に達するだろう」

「それは……派手にやりましたね。彼女は?」

「査問会にかけられた。彼女は泣き叫んで、責任を君に押しつけようとした」


 予想通りの反応だ。

 私は肩をすくめる。

 アレクセイは続ける。


「無論、君が提出した休暇届には私の決裁印がある。そして、会議の議事録には『聖女マリアが全権を要求し、それを了承した』という記録が完璧に残っている」


 アレクセイは冷酷な笑みを浮かべる。


「彼女は魔力枯渇罪で、北の果てにある魔晶石鉱山への強制労働が決まった。二度と王都の土を踏むことはないだろう」


 それが、彼女の運命の結末だった。

 悲劇のヒロインといえば、そうだろう。

 救いはあるかわからないけれど。

 

「……ヒロインも大変ですね」


 私はそれだけ答えると、いつもの自分の席に着いた。

 机の上には、休暇中に溜まった書類が山脈のようにそびえ立っている。


「さあ、仕事に戻りましょうか、アレクセイ」


 私は羽ペンを手に取り、インク壺に浸した。

 異物は排除された。

 私たちの完璧で静謐な日常がまた始まるのだ。

 アレクセイが立ち上がり、私の隣に来て、そっと肩に手を置いた。

 忙しいので無反応でいると、彼は私の額にキスをして、無理やりに自分に注目させる。


「……フィナ。頼むから、機嫌をなおしてくれ」

「ふふ。善処します。ですが、貴方がまた変な虫を寄せ付けたら、今度は長期休暇に入ります」


 私は彼を見上げ、微笑んだ。

 アレクセイは心底困ったように、けれど愛おしそうに私を見つめ返した。


「言葉にするまでもないけれど、俺の隣は最初から、そしてこれからも君だけの場所だ」


 その言葉に私は深く頷いた。


「ええ、知っていますとも。だって私たちは、誰よりもお互いを理解し合う、最強の共犯者ですから」

「いや、そうじゃない。共犯者とかじゃなくもっとこう運命的なやつで……」

「ふふ、よくわかりません」

 

 私はしらばっくれて淡々と作業の続きをする。

 アレクセイはチラチラとこちらの様子を窺いながら、私の補助作業をしてくれた。

 

終わり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
鉱山労働と、王都の最下層での浄化作業(自分のやらかしの後始末)では、どちらが苛酷でしょうかね?
そもそも聖女やフィーナみたいな超人に依存するシステムがあかんのじゃ…
さっさと結婚しておけよ(砂糖吐
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ