第3話 魔女と契約:不適合な器(ハードウェア)の診断①
警備兵が逃げるように去った後、オレは納屋の前に一人残された。
腐りかけた木板の壁。隙間風が吹き込むたびに、蝶番ちょうつがいが悲鳴のような軋み声を上げている。 だが、問題は建物の老朽化ではない。 扉の隙間から漏れ出している、異質な「気配」だ。
チリチリチリ……。
肌が粟立つ感覚。 乾燥した冬の日にドアノブに触れる直前のような、静電気特有の不快な緊張感が、この空間全体を支配している。 鼻をつくのは、カビと藁の湿った匂いではない。 オゾン臭だ。 落雷直後の大気中に漂う、焦げたような金属的な刺激臭。それが、中にいる存在がただの人間ではないことを警告していた。
「……なるほど。これが『呪い』の正体か」
オレはシステムログを確認する。
《受動知覚:内部に高エネルギー反応を探知》 《状態:極めて不安定(Unstable)》
オレは躊躇なく、錆びついた取っ手を掴んで押し開けた。
ギィィィ……ン!!
重い音と共に、外界と隔絶されていた闇が口を開ける。 中は薄暗い。窓はなく、壁の隙間から差し込むわずかな月明かりだけが光源だ。 その闇の奥、積まれた藁の山の上に、小さな影がうずくまっていた。
ボロボロの麻袋を被ったような粗末な服。 そこから覗く手足は、枯れ木のように細い。 だが、その髪だけが、異常なまでに美しく透き通った銀色に輝き、暗闇の中で燐光を放っていた。
影が動いた。 侵入者であるオレに気づき、小動物のように身を縮める。 その拍子に、彼女の感情と呼応するように、周囲の空気が弾けた。
バチッ! バチバチッ!!
青白い電弧アークが、少女の周囲を奔る。 それは魔法というよりは、漏電したケーブルが暴れている光景に近かった。火花が飛び散り、乾燥した藁を焦がして黒い煙を上げている。
「……ひッ……!?」
「……こ、来ないで……ください……!」
少女は顔を上げ、宝石のような青い瞳でオレを見た。 その瞳に宿っているのは、敵意ではない。 純粋な恐怖と、諦め。そして「自分が相手を傷つけてしまうこと」への怯えだった。
「私は……呪われてるんです。村の人も、みんなそう言って……。近づくと、ビリビリして……時には、燃えちゃって……」
彼女は自分の両手を見つめながら、必死に後ろへ下がろうとする。 だが、背中はすでに壁だ。逃げ場はない。
「お父様もお母様も、私が殺したの……。私が、我慢できなかったから……!」
感情が高ぶるにつれ、納屋の中のオゾン臭が濃くなる。
バヂヂヂッ!!
放電現象が激化する。電圧が上がっている。村人たちが彼女をここに隔離したのは、いじめというよりは「防災措置」だったわけだ。 彼女は歩く火薬庫だ。いつ爆発してもおかしくない。
だが、オレの『メタ・ナレッジ』が導き出した答えは違った。 視界に浮かぶ赤い解析タグが、彼女の「真実」を無機質に暴き出している。
【個体名:リーズ(Lize)】 種族:ヒューマン(古代竜の因子持ち) HP:4 / 4 (栄養失調・重度) MP:測定不能(Overload) 状態異常:魔力中毒(Lv3)、回路不全 解説:生成される魔力量に対し、排出・制御するための肉体的スペックが不足している。エンジンの熱でボディが溶け落ちる寸前。
「……呪いじゃない」
オレは短く断言し、一歩踏み出した。
「え……?」
「お前は、欠陥品エラーでも化け物でもない。ただの『ハードウェア不足』だ」
オレはあえて専門用語(TRPG的解釈)を交えて語りかけた。 彼女に理解させる必要はない。オレが「理屈ロジックで理解している」という自信を見せることが、彼女のパニックを鎮める鎮静剤になるからだ。
「いいか、よく聞け。お前の身体には、生まれつき巨大な魔力炉ジェネレーターが埋め込まれている。だが、そのエネルギーを受け止めるための肉体シャーシが、あまりにも貧弱すぎる」
オレは彼女の痩せ細った腕を指差した。 骨と皮だけのような腕。血管が青く浮き出ている。
「出力1,000のレース用エンジンを、錆びついた軽自動車に積んでいるようなものだ。振動でバラバラになりかけている。……それが今の『放電』の正体だ」
少女はポカンとしていた。 エンジンの意味も、ハードウェアの意味も分からないだろう。 だが、「自分は悪くない」「仕組みの問題だ」と言われたことだけは伝わったようだ。
「じゃあ……私は、悪くないの……?」
「悪いのは設計ミスだ。あるいは、燃費の悪さだな」
オレは一歩、また一歩と距離を詰めた。 少女の周囲でバチバチと火花が散る。 普通の人間なら足がすくむ距離だ。皮膚が焦げ、感電死するリスクがある。
「っ、ダメ! 離れて!」
少女が叫ぶと同時に、ひときわ大きな青白い閃光が弾けた。 感情の暴発による【ショッキング・グラスプ(電撃の手)】の無差別放射。 威力にして1d8(1〜8ダメージ)。 一般人(HP4)なら気絶、あるいは心停止しかねない電圧が、オレの身体を直撃する。
バヂィィッ!!
衝撃が走る。 視界が白く染まり、筋肉が強制的に収縮する感覚。
《被ダメージ判定:3(電撃属性)》 《耐久力セーヴ(CON Save):成功(Crit)》 《ダメージ軽減:無効化(Resist)》 《現在HP:14 → 14》
「……静電気だな」
オレは何事もなかったかのように呟き、彼女の目の前まで歩み寄った。 服の袖が少し焦げただけだ。 オレのCON18の肉体は、電気抵抗すらも常人の規格を超えている。皮膚の絶縁性が高いのか、あるいは神経伝達速度が異常なのか。いずれにせよ、この程度の漏電で止まる心臓ではない。
オレは呆然としている少女の頭に、大きな掌をポンと置いた。 火花が散る髪の上から、強引に押さえつける。
「あ……」
少女の思考が停止したのが分かった。 感電しても平然としている人間など、見たことがないのだろう。 彼女の魔力は、オレの異常な魔法防御力(とHP)の前には、文字通り冬場のドアノブ程度の脅威にしかならなかった。
「安心しろ。オレの絶縁性(魔法耐性)は高い」
オレはガシガシと、少し乱暴に彼女の銀髪を撫でた。 髪は埃と煤で汚れているが、その下にある感触は驚くほど柔らかく、そして温かい。 人間だ。化け物ではない。 ただ、力が大きすぎて泣いているだけの子供だ。
「お前を修理メンテナンスする方法は単純だ。器を大きくすればいい」
「う、つわ……?」
「そうだ。飯を食え。肉をつけろ。体力をつけろ。……強固な肉体(HP)さえ手に入れば、お前のその莫大な魔力は、お前を殺す毒から『最強の武器』に変わる」
オレは膝をつき、彼女の瞳を覗き込んだ。 青い宝石のような瞳に、オレの無愛想な顔が映っている。 そこにはもう、怯えの色はなかった。あるのは、初めて理解者に出会えたことへの驚きと、縋り付くような期待。
「名前は?」
「……リーズ、です」
「いい名前だ。オレはトールだ」
オレは撫でていた手を離し、彼女の前に掌を差し出した。 握手ではない。「要求」のポーズだ。
「リーズ。オレはお前を助ける。だが、これは慈善事業ボランティアじゃない」
オレは冷徹なトーンに戻り、生存戦略としての契約を持ちかけた。 情に流されたわけではない。これは合理的な判断だ。 オレは近接特化ファイター。壁にはなれるが、空を飛ぶ敵や、物理無効の敵には手詰まりになる。 必要なのは火力だ。それも、圧倒的な広範囲殲滅能力。
「オレは前衛タンクだ。敵の攻撃を受け止めることはできるが、遠くの敵を焼き払う火力がない。……だから、お前がオレの『砲台』になれ」
「ほう、だい……」
「オレがお前を食わせてやる。守ってやる。その代わり、お前はその魔力で、オレの敵を塵一つ残さず消滅させろ。……それが契約だ」
ロマンチックの欠片もない言葉だ。 「お前を利用する」と公言しているに等しい。 現代日本の倫理観なら最低の男だろう。だが、ここはデス・ワールドだ。 「守ってあげる」という甘い言葉よりも、「必要としている」という実利の提示こそが、死にかけている人間には最も響く。
リーズの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。 そして、震える小さな手で、オレの差し出した手を両手でぎゅっと握りしめた。 火花はもう、散っていなかった。
「なり、ます……!」
彼女は泣きじゃくりながら、何度も頷いた。
「私、トールさんの武器になります……! 道具でも、何でもいい……! 捨てないで……一人にしないでぇ……!」
《契約成立:リーズがパーティに加入しました》 《関係性変化:【恐怖】→【依存(Dependency)】》
オレは内心で少し動揺した。 ビジネスライクなパートナーシップを提示したつもりだったが、相手からの感情の矢印ベクトルが重すぎる。 「依存」。 生存戦略において、精神的依存はリスク要因になり得る。もしオレが死ねば、彼女も共倒れになるからだ。
だが、握りしめられた手の温もりは、この冷たい異世界で初めて感じる「確かな熱」だった。 その熱が、オレの中にある「計算機」の駆動音を、少しだけ静かにさせた気がした。
「……まずは飯だな」
オレは気恥ずかしさを誤魔化すように立ち上がり、繋がれた手を引いて彼女を立たせた。 リーズはふらつきながらも、必死にオレの背中に隠れるようにしてついてくる。
「今日はもう遅い。手持ちの食料もない。……だが、村長がくれた『ご馳走』があるはずだ」
「ごちそう……?」
「ああ。オークの肉だ。……取り分(配当)を回収しに行くぞ」
オレは納屋の扉を蹴り開けた。 外は完全に夜。 だが、今のオレには「守るべき資産」と、それを維持するための明確な目的があった。
村人たちが焚き火を囲んで宴会をしている広場へ、オレは「呪われた少女」の手を引いて歩き出した。 その足取りに迷いはなかった。
***
夜の冷気が、濡れた服を通して肌を刺す。 だが、オレたちの進む先には、それとは対照的な「熱」があった。
広場の中央で燃え盛る焚き火。 パチパチと爆ぜる薪の音と、脂が炭火に滴り落ちてジュウッと焼ける食欲をそそる音。そして、漂ってくる濃厚な肉の香り。 オークの丸焼きだ。 数時間前まで村を脅かしていた脅威が、今や彼らの腹を満たすためのタンパク源へと変わり果てている。
「あ……」
オレの背後に隠れるように歩いていたリーズが、小さく声を漏らした。 喉が鳴る音が聞こえる。 彼女の視線は、揺らめく炎の向こうにある肉塊に釘付けだった。生存本能が、理性を飛び越えて「それをよこせ」と悲鳴を上げているのだ。
オレたちは、宴の輪の中へと足を踏み入れた。
瞬間。 賑やかだった話し声が、波が引くように消滅した。
50人ほどの村人たちの視線が、一斉にこちらへ――いや、オレの背後にいる銀髪の少女へと集中する。 その目に宿っているのは、純粋な嫌悪と恐怖。 汚物を見る目であり、同時に、触れれば死ぬ劇薬を見る目だった。
「お、おい……嘘だろう?」 「あのガキを連れ出したのか? 正気か?」 「馬鹿な、伝染るぞ! 風下に立つな!」
ヒソヒソという陰口が、毒虫の羽音のように広場を満たす。 何人かが露骨に顔をしかめ、席を立って距離を取った。母親が子供の目を覆い、逃げるように家の中へ入っていく。
リーズがビクリと身を竦め、オレの腰にしがみつく。 その指が白くなるほど力が込められ、震えている。 彼女にとって、この視線こそが日常であり、心を殺してきた凶器だったのだろう。
(……非生産的だな)
オレは内心で吐き捨てた。 恐怖は集団の結束を強めるが、同時に思考を停止させる。彼らはリーズという「現象」を観察することなく、「呪い」というラベルを貼って思考放棄しているだけだ。
オレは周囲の敵意を完全に無視スルーし、焚き火の傍らで肉の焼け具合を確認している村長の元へ歩み寄った。
「……何の用だ、余所者」
村長は、串焼きにしたオークの肉を片手に、渋面を作ってオレを見上げた。 その口元には脂が光っている。どうやら、指導者特権で一番いい部位の味見をしていたらしい。
「約束の『入場料』の、釣り銭を貰いに来た」
オレは単刀直入に告げた。
「釣り銭だと? 寝床と水で取引は終わったはずだ。それに、その『呪い』を表に出すなと言ったはずだが?」
「契約内容に瑕疵があったのでな」
オレは村長の返答を待たず、焚き火の上で焼かれていた一番大きな肉の塊――オークの右大腿部――を指差した。
「提供された宿(納屋)は壁が崩壊寸前。衛生環境は劣悪。さらに、中には管理されていない危険物(彼女)が放置されていた。……これは契約不履行に近い」
「な、何を言っている……!?」
「オレが払ったのは『オーク一頭分の資源』だ。食料価値にして村全員の一週間分。素材価値も含めれば銀貨数枚にはなる。……対して、お前たちが提供したのは廃屋と井戸水だけだ」
オレは一歩踏み出し、STR18の威圧感を無言で放った。
「レートがおかしいとは思わないか? 村長」
村長が言葉を詰まらせ、後ずさる。 オレの主張は詭弁だ。だが、暴力という裏付けがある詭弁は、この世界では「正義」として通る。 オレがオークを単身で狩った事実。その戦闘能力への恐怖が、村長の損得勘定を強制的に書き換えていく。
「……ッ、好きにしろ! だが、何か起きても知らんぞ!」
村長は忌々しげに吐き捨て、焚き火の前から退いた。 交渉成立だ。
オレは火傷など気にも留めず、焼けているオークの腿肉を串ごと掴み取った。 ずしりとした重量感。 表面はこんがりと焼け、脂が滴っているが、中はまだレアかもしれない。だが、今のオレたちに必要なのは味ではなく、熱量だ。ついでに、近くに置いてあった新しい革の水袋もひょいと奪い取る。
「行くぞ、リーズ」
唖然としている村人たちを尻目に、オレは戦利品を抱えて踵きびすを返した。 この場で食べるのはリスクが高い。 彼らの敵意が、いつ「投石」などの物理的排除に変わるか分からないからだ。
***
納屋に戻ると、オレは扉を閉め、重い閂かんぬきを下ろした。 外界との遮断。 ここだけが、今のオレたちの世界の全てであり、唯一の安全地帯セーフハウスだ。
オレは奪ってきたオークの腿肉を、藁の上に突き立てた。 強烈な獣臭と、焦げた肉の香りが、カビ臭い部屋に充満する。
「ほら、食え」
ナイフで表面の焼けた部分を大きく削ぎ切り、リーズに差し出す。 熱々の肉塊。脂が指を伝って落ちる。
リーズの目が釘付けになる。 喉がごくりと鳴る。 だが、彼女の手は躊躇っていた。
「い、いいんですか……? これ、村の人たちの……それに、トールさんの……」
「オレへの投資だと言ったはずだ」
オレは肉を彼女の口元へ押し付けた。
「お前が太れば、オレの戦力が増える。お前が餓死すれば、オレの投資が無駄になる。……食う義務があるんだよ、お前には」
その言葉が引き金だった。 リーズは震える手で肉を受け取ると、獣のように大きな口を開けてかぶりついた。
ガブッ、ジュルッ……!
「んぐッ、熱っ……! はふッ、んぐぅ……!」
熱さに涙目になりながらも、彼女は咀嚼を止めない。 硬い筋肉繊維を、必死に噛み千切る。口の周りを脂だらけにし、鼻水を垂らし、なりふり構わず貪るその姿は、お世辞にも上品とは言えない。 「深窓の令嬢」のような外見とは裏腹な、生への渇望。
「……おいしい……おいしいですぅ……ッ!」
ボロボロと涙を流しながら、リーズは肉を詰め込む。 久々の固形物。 胃袋が驚いて痙攣しているのが、見ていても分かる。だが、それ以上に彼女の身体が歓喜していた。
オレは『メタ・ナレッジ』を発動し、その光景を数値として観測した。
【対象:リーズ】 《ステータス変動を確認》 《カロリー摂取によるHP上限上昇プロセス:開始》 HP:4 / 4 → 4 / 5 → 5 / 6 …… MP:循環不全の解消。魔力炉コアの冷却開始。
劇的な変化だ。 オークの肉に含まれる高タンパク・高脂質、そして魔獣特有の魔力素マナが、彼女の枯渇していた生命力を強制的に底上げしていく。 まるで、空っぽだった燃料タンクにハイオクガソリンが注ぎ込まれているようだ。
オレも残りの肉をナイフで削ぎ、口に運んだ。 不味い。野性味がありすぎる。 だが、隣で泣きながら食べている少女を見ていると、不思議と悪くない味に思えた。
「……全部食え。骨までしゃぶれ」
「はいっ……! はいっ……!」
リーズは肉を両手で抱え、リスのように頬を膨らませて何度も頷いた。 その瞳から、先ほどまでの「死んだような諦め」が消えている。 代わりに宿ったのは、餌を与えてくれた飼い主への、絶対的な信頼と依存の色。
《関係性更新:【依存(Lv1)】→【 依存(Lv2:盲信)】》 《リーズはトールを『生命線の管理者』として認識しました》
オレは水袋を渡し、彼女が喉を詰まらせないように背中を叩いてやった。 その背中はまだ骨ばって頼りない。 だが、ここからだ。 この壊れかけの兵器を、最強の固定砲台へと仕上げる。そのプロセス(育成)こそが、この世界でオレが生き残るための、最初のプロジェクトになる。
納屋の隙間から、月が見えた。
昨日、一人で森の中で見た月よりも、少しだけ明るく見えた気がした。




