第26話 第7階層:奈落の橋と、石像の晩餐会
第6階層【地下墓地エリア】の腐臭と熱気が嘘のように、螺旋階段を降りきった先には、冷たく乾いた風が吹き荒れていた。
オレたちは、第7階層【大峡谷エリア】の入り口に到達していた。
そこは、地下だというのに空が見えないほどの巨大な空間だった。目の前には底知れぬ「奈落」が広がり、闇の底から吹き上げる上昇気流が、オレたちのローブや髪を激しく煽っている。
「……寒っ。さっきまでサウナだったのに、今度は冷蔵庫?」
アーシェが身を震わせ、革鎧の上から自分の腕をさする。彼女の吐く息が白い。
気温は推定5度前後。湿度は20%以下。地下墓地のジメジメした不快指数とは対極にある環境だが、この急激な寒暖差は体力を削る要因になる。
「ここが『安全地帯』だ。……野営の準備をする」
オレは風を避けられる岩陰――かつてこの階層に挑んだ先人たちが築いたであろう、石積みの防風壁の内側を指差した。
「えっ、もう休むんですか? まだ歩けますけど……」
リーズが不思議そうに杖を握り直す。Lv5になり、魔力回路が強化された彼女は、まだ元気に見える。だが、それはアドレナリンによる一時的な麻痺に過ぎない。
「オーバーヒート気味だ。……さっきの『火球』で脳の糖分を使い切っているはずだ。自覚がない疲労が一番危ない」
オレはバックパックを下ろし、ドスンと地面に置いた。
「それに、第6階層での連戦で精神力も磨耗している。……温かい食事と睡眠でリカバリーを行う。これは命令だ」
「は、はいっ! ……あ、そう言われたら急にお腹が……」
リーズがへなへなと座り込む。緊張の糸が切れた証拠だ。
オレたちは手分けして設営を開始した。アーシェが見張りにつき、リーズが魔法で火種を作り、オレが寝床を整える。
そして、料理担当のマリエルが、いそいそとあの重たい【鋳鉄鍋】を取り出した。
「ふふっ……♡ さあ、お料理の時間ですわ!」
マリエルが鍋をセットし、ナイフを取り出す。彼女の目の前には、第6階層の道中で「ついでに」回収した食材たちが並べられている。
道端に生えていた発光性の【洞窟キノコ(鑑定済み:無毒)】。市場で買った乾燥野菜と豆。
そしてメインディッシュは、地下墓地の天井に張り付いていたところをアーシェが射ち落とした【ジャイアント・バット(大コウモリ)】の肉だ。
「……ねえトール。本当にそれ食うの?」
アーシェが遠巻きに、皮を剥がれたコウモリの肉塊を指差す。見た目は筋肉質な鶏肉に近いが、やはり「コウモリ」という響きが生理的な拒絶反応を呼ぶらしい。
「偏見を捨てろ。……こいつは空を飛ぶために余計な脂肪がなく、筋肉繊維が発達している。高タンパク・低脂質の優良食材だ」
オレはナイフで肉の断面をチェックした。鮮やかな赤身。血抜きは完璧だ。
「臭み消しには、ローズマリーとガーリックを多めに使う。……マリエル、頼んだぞ」
「お任せくださいまし! ……この不浄な獣肉を、聖なるシチューへと昇華させてみせますわ!」
マリエルが手際よく肉をぶつ切りにし、熱した鍋に油と共に放り込む。
ジュワァァァァッ!!
小気味よい音が岩陰に響く。ニンニクの香ばしい匂いが立ち上り、瞬く間に「獣臭さ」を「食欲」へと変換していく。表面を焼き固めたら、水と野菜、キノコを投入し、蓋をして煮込むこと30分。
「……できましたわ。『大コウモリとキノコのミルクシチュー・迷宮風』です!」
マリエルが鍋の蓋を開ける。ボワッ、と白い湯気が上がり、クリーミーで濃厚な香りが周囲に広がった。市場で買った粉乳とバターでコクを出した、白いスープ。その中で、コウモリ肉とキノコがトロトロに煮込まれている。
「……いい匂い」
アーシェがごくりと喉を鳴らす。寒空の下、温かいシチューの香りは暴力的なまでの誘惑だ。
オレたちは火を囲み、シェラカップに注がれたシチューを啜った。
「……ん!」
リーズが目を輝かせる。
「おいしいっ! お肉がホロホロです! 全然臭くない!」
「悔しいけど……絶品ね。キノコの出汁が出てるわ」
アーシェもパンを浸して頬張る。温かい液体が食道を通り、冷え切った内臓を内側から温めていく感覚。CON19のオレの肉体も、この熱量を歓迎し、急速に疲労回復プロセスを開始する。
《判定:食事効果(体温回復、スタミナ上限値+10%)》
「コスト計算終了。……食材費ほぼゼロでこの栄養価なら、上出来だ」
オレは満足げに呟き、肉を咀嚼した。硬いと思われたコウモリ肉は、圧力鍋効果のある鋳鉄鍋で煮込まれたおかげで、繊維がほどけるように柔らかくなっている。
「トールさん、トールさん!」
リーズが自分のスプーンに肉とキノコを山盛りにし、オレの口元に差し出してきた。
「はい、あーん! ……一番美味しいところ、取っておきましたから!」
彼女の顔は煤で汚れているが、その笑顔は満面の笑みだ。だが、そのスプーンがオレの口に届く前に、横から伸びてきた手がそれを遮った。
「はいストップ。……甘やかしすぎよ、リーズ」
アーシェだ。彼女は呆れたようにリーズの手を押し戻す。
「トールは子供じゃないのよ。自分で食べられるでしょ」
「むぅ……! アーシェさんのいじわる! これは『栄養管理』の一環です!」
「はいはい。……あんたこそ食べなさい。また魔力切れで倒れられたら、運ぶ私の身にもなってよね」
アーシェはぶっきらぼうに言いながらも、自分のパンの柔らかい部分をちぎってリーズの皿に入れてやっている。姉妹のようなやり取り。殺伐としたダンジョンの中で、この空気感は貴重だ。
「ふふっ。……皆様、仲がよろしいですわね」
マリエルが穏やかに微笑みながら、巨大なメイスを布で磨いている。その手つきは、赤子をあやすように優しいが、磨いているのは数時間前にワイトの頭蓋を粉砕した凶器だ。
「神よ……今日も素晴らしい『破壊』と『食事』をありがとうございました。……明日はどんな硬い敵が、私のメイスの錆になってくださるのかしら……うふふ」
「……マリエル。祈りの内容が物騒だぞ」
オレはツッコミを入れつつ、残りのシチューを飲み干した。
焚き火の爆ぜる音。風の唸り声。そして、仲間たちの他愛のない会話。
以前のオレなら、これらを「無駄なノイズ」として切り捨てていただろう。だが今は違う。この「安らぎ」こそが、SAN値(正気度)を回復させ、チームの結束を高めるための重要なメンテナンス作業だと理解している。
オレは3人の顔を見渡した。天才的な火力を持つが精神的に脆いリーズ。技量は一流だが過去のトラウマを持つアーシェ。フィジカルは最強だが思考が歪んでいるマリエル。
どいつもこいつも欠陥だらけだ。だが、今の彼女たちは、互いの欠点を補い合い、信頼という名の接着剤で強固に結びついている。
(……悪くないチームだ)
オレは心の中で評価を更新した。単なる「手駒」から、背中を預けられる「パートナー」へ。この戦力なら、未知の領域である第7階層も踏破できる。
「寝ろ。……明日は『空中戦』と『落下リスク』のあるエリアだ」
オレは立ち上がり、見張りの順番を決めた。彼女たちは素直に従い、それぞれの寝袋へと潜り込む。
「おやすみなさい、トールさん」
「……おやすみ、ボス」
「神のご加護を」
数分後には、静かな寝息が聞こえ始めた。オレは一人、焚き火の番をしながら、奈落の向こう側に広がる闇を見据えた。
明日は、この一本橋を渡る。風速、足場の悪さ、そして飛来する敵。脳内でシミュレーションを重ね、オレは静かにナイフを研いだ。
***
翌朝。岩陰での野営を終えたオレたちは、第7階層の深部へと足を踏み出した。そこで待ち受けていたのは、自然の驚異と、古代人の狂気が作り出した「死の回廊」だった。
ゴオオオオオオオ……。
地鳴りのような風切り音が、鼓膜を圧迫し続けている。目の前に広がるのは、幅数百メートルにも及ぶ巨大な地底峡谷。底は見えない。松明を落としても、その光が闇に呑まれて消えるまで数秒はかかるだろう。落ちれば即死。いや、死体が地面に叩きつけられる前に、上昇気流に揉まれてバラバラになるかもしれない。
そして、その絶望的な奈落の上に、一本の石橋が架かっていた。
「……正気じゃないわね」
アーシェが顔を引きつらせ、風に飛ばされないように帽子を押さえる。橋の幅はわずか2メートル。手すりはない。風化した石材は所々が欠け、ひび割れ、強風が吹き抜けるたびに、ヒュオォ……という不気味な笛のような音を奏でている。
「風速15メートル。……突風が吹けば20を超えるな」
オレは風圧を肌で感じ取り、リスク計算を行った。この風の中で、幅2メートルの平均台を渡るようなものだ。しかも、装備重量のあるマリエルや、体重の軽いリーズにとっては、風そのものが物理的な壁となる。
「隊列変更だ。……オレが先頭で風を切る。リーズ、マリエルはオレの真後ろに付け。オレの背中を風除けにしろ」
「は、はいっ……! トールさん、飛ばされないでくださいね……!」
リーズがオレの腰のベルトをギュッと掴む。彼女の顔色は蒼白だ。高所恐怖症には地獄の光景だろう。
「マリエル、重心を低くしろ。……そのメイスが風を受けると、帆の役割をして体を持っていかれるぞ」
「承知しましたわ……。神よ、私を地面に縛り付けてくださいませ……(物理的に)」
マリエルが重いメイスを低く構え、へっぴり腰になる。殿はアーシェだ。エルフの平衡感覚を持つ彼女だけが、この状況でも平然としている。
「行くぞ。……下を見るな。前だけを見ろ」
オレたちは石橋へと足を踏み入れた。
一歩進むたびに、風が身体を横へと押し流そうとする。足元の石畳は冷たく、湿気で滑りやすい。ブーツのソールが石を噛む感触、砂利が崩れて奈落へ落ちていく音。全ての感覚情報が「死」を連想させる。
橋の中腹、100メートルほど進んだ地点。そこには、等間隔に配置された石柱があり、その上に装飾用のガーゴイル像が鎮座していた。翼を畳み、膝を抱えてうずくまる悪魔の像。風化して角が取れ、苔むしている。ただの彫像に見える。
だが、オレの【次元を超えた知識】は、その石像から発せられる微かな「駆動音」を聞き逃さなかった。
《受動知覚判定:成功(Success)》
《知識判定:成功(魔法生物:ガーゴイル)》
「……止まれ」
オレが足を止めた瞬間。バキッ、バキバキッ……!石柱の上の彫像たちが、一斉にひび割れた。石の表面が剥がれ落ち、中から現れたのは、灰色の岩肌を持つ生きた悪魔たち。
【敵対種:ストーン・ガーゴイル】
数:6体
特性:飛行、物理耐性(石化皮膚)、地形利用
「ギシャアアアアアッ!!」
ガーゴイルたちが翼を広げ、空へと舞い上がった。石の翼が風を切り、重力を無視して旋回する。彼らはオレたちに直接襲いかかってくることはしなかった。上昇し、太陽(光源)を背にする位置取り。そして、その足には、手頃な大きさの岩塊が掴まれていた。
「……上だ! 空爆が来るぞ!」
オレの警告と同時に、ガーゴイルたちが岩を手放した。ヒュンッ!重力加速度と風に乗った石礫が、橋の上のオレたちへと降り注ぐ。
「きゃぁっ!?」
リーズが悲鳴を上げ、頭を抱える。逃げ場はない。橋の幅は2メートル。左右に避ければ奈落だ。
「マリエル、盾になれ!」
「はいなっ!」
オレの指示に、マリエルが即座に反応した。彼女はリーズの上に覆いかぶさり、その背中で岩を受け止める。ガガンッ!ゴッ!鈍い音が響くが、彼女の着込んでいるチェインメイルと、CON特化の肉体にとっては打撲程度だ。
《耐久力判定:成功(Success)》
だが、問題はダメージではない。「足場の破壊」だ。落ちてきた岩の一つが、オレの足元の石畳を直撃し、大きくひび割れを作った。グラリと橋が揺れる。
「……チッ。賢い害獣だ」
オレは舌打ちした。奴らはオレたちを殺そうとしているのではない。「落とそう」としているのだ。この地形において、最も効率的な殺害方法は、重力に仕事をさせることだと理解している。
「リーズ、魔法は使うな! 爆発で橋が崩れる!」
オレはリーズを制止した。【火球】など撃てば、衝撃波でオレたち自身が吹き飛ばされるか、足場が崩落して全滅だ。
「アーシェ! 撃ち落とせ!」
「無茶言わないでよ! この強風の中で!?」
アーシェが叫ぶ。風速15メートルの横風。標的は高速で飛び回り、不規則な軌道を描いている。普通の射手なら、狙うことさえ諦める状況だ。
だが、オレは知っている。彼女が「鉄級」の枠に収まらない才能を持っていることを。
「計算しろ! 風を読め! ……お前なら当てられる!」
オレの言葉が、アーシェの迷いを断ち切った。彼女は足を大きく開き、橋の上で踏ん張った。【合成弓】を引き絞る。ギリギリと弦が鳴る。
彼女の碧眼が細められ、風の流れ、ガーゴイルの軌道、そして矢の偏差を瞬時に演算する。風が息継ぎをした、ほんの一瞬の凪。
「……落ちなさい!」
《遠隔攻撃判定:命中(Hit)》
ヒュンッ!
放たれた矢は、真っ直ぐには飛ばなかった。風に流されることを見越して、大きく右へとカーブを描く。その軌道の先には――次の投石のために旋回していたガーゴイルの左翼があった。
ガッ!!
乾いた破砕音。矢はガーゴイルの石の翼の付け根、関節部分に深々と突き刺さった。
「ギャッ!?」
バランスを崩したガーゴイルが、きりもみ回転しながら墜落してくる。狙い過たず、オレの目の前の橋の上へと。
ズドンッ!!
重い着地音と共に、ガーゴイルがのたうち回る。石の皮膚を持つ怪物は、すぐに体勢を立て直し、鋭い爪を振り上げてオレに襲いかかろうとした。
「……ご苦労」
オレはメイスを振らなかった。ストーン・ガーゴイルの皮膚は硬い。打撃武器でも、破壊するには数発のフルスイングが必要だ。そんなことをすれば、メイスの耐久値が減るし、何より衝撃で足場が悪くなる。
コストの無駄だ。ここには、もっと効率的な「処刑装置」がある。
オレは一歩踏み込み、襲いかかるガーゴイルの腕を、左手のガントレットで受け流した。体勢が崩れ、前のめりになるガーゴイル。オレはその背中にある翼の根元を、右手で鷲掴みにした。
《受け流し判定:成功(Success)》
「重力に従え」
《筋力判定:成功(Success)》
STR19の怪力。オレはガーゴイルの体重(約80キロ)をものともせず、そのまま自身の腰の回転を利用して、橋の外側へと放り投げた。
「ギ、ギィィィ……!?」
ガーゴイルが空中で手足をバタつかせる。だが、片翼を射抜かれた彼に、復帰する術はない。驚愕の表情を浮かべたまま、石像は奈落の闇へと吸い込まれていった。
数秒後。遥か下から、微かな衝突音すら聞こえなかった。
「……1体処理」
殴る必要すらない。「落とせば死ぬ」。単純な物理法則だ。
「次だ! アーシェ、落とせ! オレが投げる!」
「了解! ……調子出てきたわよ!」
アーシェが次々と矢を放つ。風を味方につけた彼女の射撃は、神懸かっていた。右翼、左翼、時には眼球。正確無比なスナイピングが、空中のガーゴイルたちの飛行能力を奪い、橋の上へと強制着陸させる。
《遠隔攻撃判定:命中(Hit)》
落ちてきた獲物は、オレとマリエルが処理する。マリエルはメイスで殴り飛ばし(彼女の場合はホームランだ)、オレは柔術のように投げる。
「そこですわっ! ……場外!」
《近接攻撃判定:命中(Hit)》
カキーンッ!!マリエルのフルスイングが、ガーゴイルをピンボールのように弾き飛ばす。
数分後。6体のガーゴイルは、全て奈落の底へと消えていた。こちらの被害は、リーズが少し風邪を引きそうになったことと、マリエルの鎧に小さな凹みができた程度。完全勝利だ。
「……ふぅ。心臓に悪いわね、ここは」
アーシェが弓を下ろし、乱れた金髪をかき上げる。その顔には、難所を切り抜けた達成感と、自身の技術への自信が漲っている。
「ナイスショットだ、アーシェ。……あの風の中で当てるとはな」
「ま、まあね。……トールが前で壁になってくれてたから、風が読みやすかったのよ」
彼女は照れ隠しにそっぽを向くが、その耳は少し赤い。
「行きましょう。……橋の向こうに、門が見えます」
リーズが指差す先。峡谷の対岸に、巨大な鉄の扉がそびえ立っていた。第8階層への入り口。そして、その前には、門番のように仁王立ちする巨大な影があった。
全身が赤錆びた鉄塊で構成された、身長3メートルの巨人。
【敵対種:アイアン・ゴーレム(劣化種)】
オレはメイスの柄を強く握り直した。小細工なしの「硬さ」と「質量」の塊。投げることも、射抜くこともできない相手。
「……休憩なしだ。このまま押し通るぞ」
オレは宣言し、橋を渡りきった。次なる戦いは、純粋な「力比べ(パワーゲーム)」になるだろう。
***
強風が吹き荒れる石橋を渡りきった先。峡谷 of 対岸に掘られた広場は、風化して崩れかけた石畳と、赤錆びた鉄屑が散乱する「墓場」のような場所だった。その最奥。第8階層へと続く巨大な鉄扉の前で、その「門番」は静かに佇んでいた。
ズゥゥゥゥン……。
重低音が響く。それは足音ではない。その巨体がただそこに存在するだけで、地面が悲鳴を上げている音だ。
【敵対種:アイアン・ゴーレム(劣化種)】
推定身長:3.5メートル
構成素材:鉄、魔動滑車、旧文明の動力炉
脅威度:銀級上位(High)
全身が赤錆に覆われた鉄の装甲板で構成されている。継ぎ目からは黒い油が滲み出し、胸部の装甲の隙間からは、心臓部にあたる動力炉が赤熱した光を放っている。生物的な生々しさは皆無。あるのは、無機質で圧倒的な「質量」と「硬度」だけだ。
「……でかっ。壁じゃないのよ」
アーシェが呻くように言い、反射的に矢をつがえる。だが、その指先には迷いが見えた。射手としての本能が告げているのだ。「この矢では、あの装甲を貫けない」と。
「ギギギ……ガガガッ……」
ゴーレムが首を回す。錆びついた歯車が噛み合う不快な音が、峡谷の風音に混じって響き渡る。侵入者検知。排除行動開始。巨人が一歩踏み出した瞬間、地面が大きく揺れた。
「リーズ、牽制だ! 熱で関節を狙え!」
「アーシェ、目は狙うな! センサー(視覚)ではなく魔力感知だ! 関節の隙間を狙え!」
オレは指示を飛ばしつつ、左右に散開した。正面からの突撃は自殺行為だ。あの丸太のような鉄の腕が一振りされれば、人間などトマトのように弾け飛ぶ。
「消えちゃえっ! 【ファイア・ボルト】!」
《魔法攻撃判定:命中(Hit)》
リーズの杖から放たれた炎弾が、ゴーレムの膝関節に着弾する。ドォンッ!爆発音。炎が鉄の脚を包み込む。だが、炎が晴れた後に残ったのは、わずかに煤けた装甲だけだった。
「うそ……効いてない!?」
「熱伝導が遅すぎる。……中まで熱が通る前に放熱されているな」
オレは冷静に分析した。巨大すぎる質量は、それ自体が熱容量の塊だ。ちょっとやそっとの火力では、内部機構にダメージを与える温度まで上昇しない。
カィィィンッ!
続いて、アーシェの放った矢が、ゴーレムの胸板に当たって乾いた音を立てて弾かれた。【合成弓】の貫通力をもってしても、表面の錆を削るのが精一杯だ。
《遠隔攻撃判定:命中(Hit)》
「硬っ! 鉄板撃ってるみたい!」
「鉄板そのものだ。……矢の無駄だ、撃ち方止め(シーア・ファイア)!」
オレは即座に攻撃中止を命じた。消耗品コストの無駄遣いだ。斬撃も、刺突も、生半可な魔法も通じない。物理耐性(Physical Resistance)。
だが、物理法則において「無敵」など存在しない。硬いなら、砕けばいい。斬れないなら、潰せばいい。装甲を貫く必要はない。装甲の上から、内部の精密機械を震わせ、歪ませ、破壊するほどの「衝撃」を与えればいいのだ。
「……マリエル」
オレは隣に立つ神官に声をかけた。彼女はすでに、巨大な【聖銀】を両手で構え、恍惚とした表情でゴーレムを見上げている。
「はいなっ! ……聞こえますわ、トール様」
彼女はメイスの柄を愛おしそうに撫でた。
「あの鉄塊が……『もっと強く叩いて』と、私のメイスに求愛しておりますわ……♡」
「……相変わらずいい感性だ」
オレはニヤリと笑った。適材適所。ここから先は、繊細な技術も魔法いらない。ただひたすらに重く、暴力的な「質量」だけが支配する時間だ。
「バフを回せ。……最大出力で行くぞ」
「承知いたしましたわ! ……神よ、我らに巨人のごとき剛力を!」
マリエルが聖印を掲げる。第2位階神聖魔法、【牛の怪力】。
ブワッ!!
赤熱したオーラが、オレとマリエルの身体を包み込む。全身の筋肉が膨張し、血管が浮き上がる感覚。STR(筋力)に+4の補正。現在のオレのSTRは19。これに魔法補正が加わり、一時的に【STR23】という、オーガをも凌駕する人外の領域へと踏み込む。
「……軽いな」
手にした【精鍛鋼のウォー・メイス】が、まるで指揮棒のように軽く感じる。重重金を含んだ超重量武器を、片手で軽々と振り回せる全能感。
「行くぞ、マリエル.……鉄屑の時間だ」
「はいなっ! ……物理的解体ショーの開幕ですわーッ!!」
オレたちは同時に地面を蹴った。正面突破。小細工なしの、重量級同士の正面衝突。
「ゴオォォォォッ!!」
ゴーレムが反応し、右腕を振り上げる。電柱のような鉄の腕が、オレの頭上から落下してくる。回避? 否。そんなことをすれば、攻撃のリズムが途切れる。
「どけッ!!」
オレは左手の【鉄の籠手】を突き出し、振り下ろされる鉄腕の側面を殴りつけた。受け流し(パリー)ではない。力による軌道変更。
《近接攻撃判定:命中(Hit)》
ドガァッ!!
火花が散る。STR23の衝撃が、ゴーレムの剛腕を無理やり横へと弾き飛ばした。鉄の巨人の体勢が、大きく崩れる。
がら空きになった胴体。そこに、マリエルが飛び込んだ。
「失礼いたしますわーッ!!」
彼女は遠心力を利用して回転し、鉛と重重金の詰まったミスリル・メイスを、ゴーレムの脇腹へフルスイングで叩き込んだ。
《近接攻撃判定:命中(Hit)》
《ダメージ計算:2d6 + 筋力修正(+10) + 重量ボーナス(+12) = 32ダメージ》
ゴォォォンッ!!!!
それは打撃音ではなかった。巨大な釣鐘を、攻城槌で叩いたような轟音。衝撃波が空気を震わせ、錆びた鉄粉が霧のように舞い上がる。
「ガ、ガァッ……!?」
ゴーレムの巨体が、くの字に折れ曲がった。厚さ数センチはある鉄の装甲板が、飴細工のようにひしゃげている。内部で歯車が砕け、シャフトが曲がる嫌な音が響く。
「効いているな。……畳み掛けるぞ!」
オレは追撃に入った。よろめくゴーレムの足元へ滑り込む。狙うは右膝の関節部。一点集中。
「【戦技:足払い攻撃】!」
《戦技判定:成功(Success)》
《ダメージ計算:1d8 + 筋力修正(+14) = 22ダメージ》
ドォンッ!!
オレのメイスが、膝の裏側にある油圧シリンダーを正確に粉砕した。プシューッ! と黒いオイルが噴き出す。支えを失った右脚が崩れ、3.5メートルの巨塔が、地響きを立てて倒れ込む。
ズズゥンッ!!
うつ伏せに倒れたゴーレム。その背中、動力炉が輝く脊椎部分が、無防備に晒される。
「トどメだ、マリエル! ……最大火力で叩き潰せ!」
「お任せくださいまし! ……神罰覿面ッ!!」
マリエルがゴーレムの背中に飛び乗った。彼女はメイスを頭上高く振りかぶる。赤熱したオーラと、聖なる魔力がメイスに収束し、白銀の輝きが太陽のように眩しく発光する。
【神聖なる一撃】――物理特化版。
「ごめんなさい(物理)ッ!!」
《近接攻撃判定:命中(Hit)》
《ダメージ計算:2d6 + 2d8 + 神聖修正(+24) = 52ダメージ》
ズドォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
世界が揺れた。メイスが背中の装甲を紙のように貫通し、内部の動力炉を直撃した。魔力炉が暴走し、内部から爆発的なエネルギーが逆流する。
バヂヂヂッ、ボンッ!
ゴーレムの全身から黒煙と火花が噴き出し、赤い光が明滅を繰り返した後――フツリと消えた。駆動音が止まる。ただの鉄屑へと戻った巨人が、沈黙する。
《戦闘終了:完全勝利》
《経験値獲得:3500XP》
《ドロップ品:魔鉄のインゴット、古代の歯車》
「……ふぅ。硬かったですわね」
マリエルがゴーレムの背中から降り、額の汗を拭う。彼女のメイスは傷一つついていない。だが、その下にあったゴーレムの背中は、隕石が落ちたクレーターのように陥没していた。
「……あんたたち、本当に人間?」
「人間だ。……ただ、少し『効率的』なだけだ」
オレはゴーレムの残骸から、熱を持った動力炉の破片を回収した。【魔鉄】のインゴット。これがあれば、武器の強化や、あるいは新しい調理器具の素材にもなるだろう。
「……さて」
オレは視線を上げた。ゴーレムが守っていた、巨大な鉄の扉。その表面には『第8階層』を示す古代数字が刻まれている。
第6階層の物量。第7階層の地形と硬度。あらゆる「初見殺し」を、オレたちは力と知恵でねじ伏せてきた。
「行くぞ。……目標の第10階層まで、あと少しだ」
オレは重い鉄扉を押し開けた。ギギギ……という音と共に、新たな闇が口を開ける。その奥から漂ってくる空気は、今までとは違う、どこか「人工的」で、無機質な匂いがした。
「……おいしそうな匂いはしませんね」
リーズが鼻をくんくんさせる。平和な感想だ。だが、その余裕こそが、今のオレたちの強さの証明でもある。
「何が出ようと関係ない。……叩いて、焼いて、食うだけだ」
オレたちは暗闇の中へと足を踏み込んだ。アイギスの盾の進撃は止まらない。その足音は、迷宮の主を震え上がらせる死刑執行のカウントダウンのように、地下深くまで響いていった。




