第25話 死と腐敗の階層:第3位階の魔法(ファイアボール)
第5階層の幻想的な水晶洞窟を抜け、オレたちはさらに深く、地下へと続く螺旋階段を下っていた。
かつて誰かが彫り込んだであろう石段は、中央がすり減り、角が欠けている。一段降りるごとに、空気の質が変わっていくのが分かった。
清浄で冷ややかだった水晶の冷気は消え失せ、代わりに鼻孔を犯し始めたのは、湿ったカビの臭いと、熟成された有機物の腐敗臭だ。
「……うっ、げぇ。何この臭い」
後ろを歩くアーシェが、袖で鼻と口を覆いながら呻いた。
「最悪。髪に臭いが染み付くわよ。洗濯代だけで馬鹿にならないわ」
「我慢しろ。……環境変化を確認。ここからは『死者の領域』だ」
オレは階段の踊り場で足を止め、松明代わりのカンテラを掲げた。
照らし出されたのは、灰色の石積みで作られた巨大な地下墓地の入り口だ。壁の窪みには無数の人骨が納められ、床には砕けた頭蓋骨や大腿骨が砂利のように散乱している。
湿度は80%以上。換気不全。漂う瘴気は、常人の精神なら数時間で発狂しかねない濃度だ。
《環境スキャン:成功》
《精神抵抗判定(SANチェック):成功》
オレの脳内では、不快感は即座にデジタルな数値へと変換され、無視すべきノイズとして処理される。
だが、仲間たちはそうはいかない。
「……うぅ、気持ち悪いです。お昼に食べた亀肉が出ちゃいそうです……」
リーズが顔色を青くし、オレの背中にしがみついてくる。生理的嫌悪感。無理もない。15歳の少女にとって、ここは文字通りの地獄だろう。
しかし、一人だけ反応が違った。
「あらあら……まあまあ!」
神官のマリエルだけが、頬を紅潮させ、うっとりとした表情で周囲を見渡している。彼女は巨大な聖銀を愛おしそうに撫でながら、深く息を吸い込んだ。
「感じますわ……。そこかしこに漂う、救われぬ魂たちの気配。……つまり、殴り甲斐のある『罪人』たちが山ほどお待ちかねということですわね?」
「……マリエル。あなたのその『ポジティブシンキング』は、時々サイコパスと紙一重よ」
アーシェが引きつった顔でツッコミを入れるが、マリエルは聞いていない。
「神よ、感謝いたします。これほどの『不浄』を前にして、私のメイスが武者震いしておりますわ。……早く、早く頭蓋を砕いて差し上げなくては……♡」
(……モチベーション管理は不要だな)
オレは苦笑し、装備の状態を確認した。
腰のベルトには、ポーションと解毒剤。背中のバックパックは重量バランスを最適化済み。そして何より、今のオレたちの身体には、昨夜のレベルアップによる「劇的な変化」が馴染み始めている。
「警戒態勢。……来るぞ」
オレが警告を発した瞬間、墓地の奥から乾いた音が響いてきた。
カチッ、カチッ、カタカタカタ……。
骨と骨がぶつかり合う音。錆びた金属が石畳を引きずる音。
暗闇の向こうから現れたのは、肉を削ぎ落とされた骸骨の軍団だった。
【敵対種:スケルトン・ソルジャー】
数:24体
装備:錆びた鉄剣、ラウンドシールド、槍
陣形:密集方陣
ただのスケルトンではない。生前は正規兵だったのだろう。彼らは無秩序に襲いかかってくるのではなく、盾を隙間なく並べ、槍を突き出した「軍隊」として迫ってきた。
「……げっ。数が多いわよ!」
アーシェが弓を構えるが、その声には焦りが混じっている。
「20体以上……! 鉄級の時なら、迷わず逃げてた数ね」
常識的な判断だ。低レベルの冒険者にとって、「数」は死に直結する。囲まれれば、どんな達人も背中から刺される。1ターンに1回しか攻撃できない以上、敵の数がこちらの攻撃回数を上回れば、いずれ押し潰される(圧死する)のが物理法則だ。
――だが、それは「昨日まで」の話だ。
「下がるな。……正面突破だ」
オレは精鍛鋼のウォー・メイスを抜き放ち、一歩前に出た。
「えっ!? トールさん、この数を正面から!?」
「問題ない。……今のオレたちなら『処理落ち』しない」
オレは足幅を広げ、重心を落とした。
目の前に迫る白骨の波。以前なら、その圧力に冷や汗を流していただろう。だが今は違う。視界がクリアだ。敵の動きが、コマ送りのように遅く見える。
Lv5。銀ランク。それは、冒険者という種族が「人間」の枠組みを超え、超人へと足を踏み入れる境界線。
「実地試験だ。……性能差を見せてやる」
オレは地面を蹴った。STR19の爆発的加速。スケルトンの盾の壁まで、距離10メートルを一瞬で食い潰す。
「ギギッ!?」
先頭のスケルトンが反応し、槍を突き出す。遅い。あくびが出るほど遅い。
オレは左手の鉄の籠手で槍の穂先を軽く払い、懐へと潜り込んだ。
右手のメイスが唸る。狙うは、盾の上から覗く頭蓋骨。
「砕けろ」
ドガァァァァァッ!!
【攻撃アクション1】
《攻撃判定:命中(Hit)》
《ダメージ計算:1d8 + 4 + 2 = 14ダメージ》
重重金を混ぜたメイスの質量が、スケルトンの頭蓋を粉砕した。ヘルメットごと頭が弾け飛び、骨粉が舞う。即死。
――ここからだ。
今までのオレなら、ここで動作が止まっていた。重い武器を振り抜いた後のフォロースルー。体勢の立て直し。次の攻撃に移るまでの「硬直時間」が必ず発生していた。
だが、今の肉体は違う。一撃目を振り抜いた遠心力が、死んだ筋肉ではなく、バネのような反発力として体幹に戻ってくる。脳の処理速度が、身体の動きを追い越していく。
(……まだだ。まだ動ける。思考が途切れない)
【クラス特徴:追加攻撃】――発動。
「……ふんッ!!」
オレはメイスを戻さなかった。弾け飛んだスケルトンの隣にいた個体。そいつが剣を振り上げようとした瞬間、オレの体はすでに「二撃目」のモーションに入っていた。
手首の返し。腰の回転。一撃目のフォロースルーを、そのまま次の攻撃の始動エネルギーへと変換する。流れるような連撃。
バゴォォォォンッ!!
【攻撃アクション2】
《攻撃判定:クリティカル(Critical)》
《ダメージ計算:(1d8 + 4) * 2 = 22ダメージ》
二体目のスケルトンの胸郭が、爆発したように粉砕された。肋骨が散弾のように飛び散り、背骨がへし折れて上半身が吹き飛ぶ。
一呼吸(1アクション)の間に、二つの死。倍速の世界。
「……軽い」
オレは残心を取りながら呟いた。武器が軽くなったのではない。オレの「時間」が加速しているのだ。
これが、銀級の領域。1秒間に振るえる手数が倍になるということは、単純な火力増強以上の意味を持つ。敵の包囲網を、形成されるよりも早く食い破ることができるのだ。
「……嘘でしょ?」
背後でアーシェが呟くのが聞こえた。彼女の目には、オレがまるで分身したかのように見えたはずだ。
「ぼやっとしている暇はないぞ、アーシェ! ……お前の『進化』も見せてみろ!」
オレの檄に、アーシェがハッとして合成弓を構える。
「え、ええ! ……見てなさいよ!」
彼女は矢筒から矢を抜く。その動作もまた、以前とは比較にならないほど洗練されていた。
ヒュンッ!
一本目の矢が放たれる。後列にいた弓持ちスケルトンの眉間を正確に貫く。
そして――
ヒュンッ!
弦音が消えるよりも早く、二本目の矢が放たれていた。彼女もまた、Lv5に到達し【追加攻撃】を獲得している。
速射。二本目の矢は、隣にいたスケルトンの眼窩を深々と射抜いた。
カラン、カラン……。二体のスケルトンが、ほぼ同時に崩れ落ちる。
「……すごっ。私、こんなに速く撃てるの……?」
アーシェが自分の手を見つめて驚愕している。指が勝手に動く。次弾装填のプロセスが、無意識化されている感覚。
「マリエル、右翼! リーズ、左翼を燃やせ!」
「はいなっ! ……神よ、慈悲深い連打をご覧あれ!」
マリエルが聖銀を風車のように振り回し、群がるスケルトンをなぎ倒していく。彼女の一撃は重すぎて、防御した盾ごと腕をへし折っている。
「消えちゃえっ! 【ファイア・ボルト】!」
リーズの魔法も冴え渡る。杖から放たれた炎弾は、以前よりも高密度に圧縮されており、着弾と同時に小規模な爆発を起こして数体を巻き込む。
「ギ、ギギッ……!?」
スケルトンたちの統率が崩れる。彼らの単純な思考回路では、この圧倒的な「処理速度」に対応できないのだ。
本来なら数で押し包み、スタミナ切れを待つはずの獲物が、自分たちを上回る速度で数を減らしてくる。
「殲滅する。……この程度、今のオレたちの敵ではない」
オレはメイスを振るい、三体目の頭蓋を砕きながら宣言した。恐怖はない。あるのは、自身の成長を実感する高揚感と、冷徹なまでの作業効率だけだ。
ものの数分後。地下墓地には、再び静寂が戻った。床には、粉々になった骨の山が築かれている。24体のスケルトン部隊は、オレたちにかすり傷一つ負わせることなく、単なるカルシウムの残骸へと還った。
「……ふぅ」
オレはメイスに付着した骨粉を払い、振り返った。3人の女性たちは、肩で息をしているものの、その表情は明るい。
「トール、見た!? 今の私の連射!」
アーシェが興奮気味に駆け寄ってくる。
「弦を引くのが全然重くないの! まるで指先の一部みたいに……パンパンって!」
「ああ。……見事な速射だった。DPS(時間あたりダメージ)が倍増している」
「私もですわ! メイスを振り戻す隙がなくなって、ずっと私のターンでしたわ!」
マリエルも恍惚としている。
「これが『銀級』……。壁を越えた先の世界か」
オレは自分の掌を握りしめた。今までギリギリの計算と小細工で埋めてきた「戦力差」が、純粋なスペックで逆転している。
この力があれば、多少の不測の事態も、暴力でねじ伏せることができる。
「行くぞ。……ここはまだ入り口だ」
オレはカンテラを掲げ直し、さらに奥へと続く闇を照らした。床に転がる骨を踏み砕く音。それは、アイギスの盾が、この階層の支配者となるための凱旋の足音だった。
***
「……待て。止まれ」
オレの警告と同時に、先頭を歩いていたアーシェがピタリと足を止めた。彼女の爪先は、石畳の目地に擬態したわずかな「浮き」の数センチ手前で静止している。
地下墓地の通路は狭く、湿気を含んだ空気は澱んでいた。カンテラの明かりが照らし出すのは、壁面に無数に穿たれた埋葬穴と、そこから覗く虚ろな頭蓋骨たちだけだ。
静寂。だが、オレの次元を超えた知識は、その静寂の裏に隠された致死性の機構を、赤い警告色で視界に投影していた。
「……よく気付いたな、アーシェ」
「違和感があったのよ。ここだけ、空気の流れが淀んでる」
アーシェが慎重に足を引く。彼女は矢筒から一本の矢を取り出し、その「浮き」に向けて軽く放り投げた。
カチッ。
乾いた音が響いた瞬間、左右の壁の埋葬穴から、ヒュンヒュンヒュンッ! と鋭い風切り音が走った。十数本の短槍が交差するように飛び出し、通路の空間を串刺しにする。鏃には、どす黒い液体が塗られていた。
《罠感知判定:成功》
《毒性検知判定:麻痺性神経毒(致死性)》
「……趣味が悪いわね。引っかかっていたら、今頃ハリネズミよ」
アーシェが冷や汗を拭う。鉄級の頃なら、間違いなく踏み抜いて全滅していただろう。だが今の彼女の判断力(WIS)と知覚は、この程度の悪意を見抜くレベルに達している。
「回避行動の手間が省けた。……先へ進むぞ」
オレたちは慎重に罠の作動範囲を跨ぎ、さらに奥へと進んだ。通路の角を曲がったところで、腐敗臭が一段と強くなった。そこでオレたちは、この階層の「現実」を目撃することになる。
通路の隅、瓦礫の影に、ひっそりと横たわる人影があった。いや、かつて人だったものだ。
装備しているのは、錆びついたチェインメイルと、紋章の消えかけたサーコート。肉は腐り落ち、一部は白骨化しているが、その姿勢は壁に背を預け、何かから逃れるように剣を握りしめていた。
「……冒険者、ですか」
リーズが息を呑み、目を背ける。死後、数週間といったところか。おそらく毒か病気で動けなくなり、ここで力尽きたのだろう。
「南無……いえ、安らかなれ」
マリエルが胸元で聖印を切り、短い祈りを捧げる。オレはその死体の前にしゃがみ込み、無遠慮に遺品を探り始めた。
「ちょ、ちょっとトール! 死体漁りまでするの!?」
アーシェが咎めるような声を出す。だが、オレの手は止まらない。腰のポーチを開け、中身を確認する。小銭が数枚と、封が切られていないポーションの小瓶が一つ。そして、手記のようなメモ書き。
「……資源回収だ」
オレはポーションを自分のベルトに差し、小銭をマリエルに投げ渡した。
「彼にポーションはもう必要ない。だが、オレたちには必要だ。……このポーション一本が、お前たちの命を救うかもしれない」
オレは立ち上がり、冷徹に言い放った。
「感傷で荷物を重くするな。……ここで死ぬというのは、こういうことだ。自身の肉体も装備も、すべてダンジョンの『養分』になる」
3人の表情が引き締まる。浮かれていた気分が消え、ここが死地であるという認識が上書きされる。オレたちの行く末かもしれない「彼」の姿は、どんな言葉よりも雄弁な教訓だった。
「……行きますわ」
マリエルが強くメイスを握り直す。その目には、恐怖ではなく、生への執着と、死者への敬意としての「使命感」が宿っていた。
***
さらに進むこと10分。通路が開け、天井の高い広大な空間に出た。円形のドーム状になった埋葬室。中央には石棺が置かれ、その周囲を無数の骨が取り囲んでいる。
「……出たな」
オレは足を止め、メイスを構えた。石棺の蓋が、重々しい音を立ててズレる。そこから這い出してきたのは、今までのような「操り人形」としてのスケルトンではなかった。
漆黒のフルプレートアーマーを纏い、片手には魔力を帯びたロングソード、もう片手にはタワーシールドを持った骸骨の騎士。その眼窩には、知性を持った赤紫色の光が宿っている。
【敵対種:ワイト(塚の主)】
ランク:銀級(中位)
特性:物理耐性、生命力吸収、死霊指揮
さらに、その周囲の地面から、腐った肉を纏った死体たちが這い出してくる。長い爪、垂れ下がる舌。生ける屍、グールだ。
【敵対種:グール × 8】
特性:麻痺毒、集団戦術
「……ワイトにグールか。厄介な組み合わせだ」
オレは瞬時に戦力分析を行う。ワイトは知能が高く、物理攻撃に対して耐性を持つ。生半可な打撃ではダメージが半減する。
一方、グールの爪には強力な麻痺毒がある。一発でも掠れば、CONの低い後衛は即座に行動不能になり、そのまま食い殺される。
「キシャァァァァッ!!」
グールたちが涎を垂らしながら散開し、包囲網を形成しようとする。ワイトが無言で剣を掲げ、指揮を執る。統率された動き。
「リーズ、アーシェ! グールを近づけるな!」
「はいっ! 【ファイア・ボルト】!」
リーズの杖から炎弾が放たれ、先頭のグールを焼き払う。だが、数が多すぎる。左右から回り込まれれば、魔法使いの詠唱は中断される。
「マリエル! 前に出ろ!」
オレは叫んだ。今この状況こそが、彼女の「新兵器」を試す絶好の機会だ。
「承知いたしましたわ!」
マリエルがオレの横に並ぶ。彼女は巨大な聖銀を地面に突き立て、聖印を高く掲げた。
その表情から、慈愛は消えていた。あるのは、異端を殲滅する断罪官のような、冷たく、そして熱狂的な信仰の炎。
「不浄なる魂よ、光の渦に焼かれなさい……!」
マリエルの唇が紡ぐのは、第3位階の神聖魔法。戦場を支配し、敵対する者のみを一方的に粉砕する、クレリック最強の領域魔法。
「【守護霊】ッ!!」
カッッ!!
閃光。マリエルを中心とした半径15フィート(約4.5メートル)の空間が、黄金色の輝きに染まった。光の中から現れたのは、優美な天使の姿ではない。
筋肉隆々の巨体を持ち、巨大なハルバードや大槌を構えた、半透明の「戦天使」の霊体たちだった。それらがマリエルの周囲を高速で旋回し、聖なる嵐となって敵を待ち受ける。
「……な、なにこれ……?」
アーシェが目を丸くする。天使というよりは、武装した処刑人の行進だ。マリエルの深層心理(信仰の形)が反映されたビジュアルなのだろう。
「キ、キシャァァッ!?」
グールたちが本能的な恐怖を感じて足を止めるが、慣性は殺せない。先頭のグールが、光の領域に踏み込んだ瞬間だった。
ジュッ、バシュゥゥゥッ!!
「ギャアアアアアアッ!!」
まるで溶鉱炉に氷を投げ込んだかのような音がした。旋回する守護霊の武器がグールを切り裂き、聖なる光がその腐肉を瞬時に蒸発させる。
回避判定などない。領域に入った時点で、絶対的な聖属性ダメージが約束される。
《魔法効果発動:スピリット・ガーディアンズ》
《ダメージ計算:3d8 = 18ダメージ》
「さあ、いらっしゃい! 救済(物理)の時間ですわよ!」
マリエルが一歩踏み出す。守護霊の渦も、彼女に合わせて移動する。それは「歩く聖域」であり、同時に「移動式粉砕機」だった。
マリエルが歩くだけで、襲いかかってきたグールたちが次々と光に飲み込まれ、炭化し、塵となって崩れ落ちていく。
麻痺毒の爪がマリエルに届くことはない。その前に、守護霊の大槌がグールを地面に叩き伏せるからだ。
「……えげつないな」
オレはメイスを構えつつ、その光景を冷静に評価した。これは戦闘ではない。浄化作業だ。攻防一体。近接戦闘におけるクレリックの制圧力は、ファイターのそれを凌駕する瞬間がある。
だが、敵将はまだ生きている。
「オオオォォォォ……ッ!!」
部下を一瞬で全滅させられたワイトが、怒りの波動と共に突進してきた。さすがは銀級のアンデッド。守護霊の光を浴びながらも、その黒い鎧からは煙が上がる程度で、倒れる気配はない。
物理耐性と魔法耐性を併せ持つ、厄介な相手だ。
「マリエル、そのまま押し込め! トドメはオレが刺す!」
「はいなっ!」
マリエルがメイスを振り上げ、ワイトの剣と打ち合う。ガギィンッ!
火花が散る。筋力ではワイトが勝るが、マリエルの周囲には守護霊の援護がある。スリップダメージがワイトのHPを確実に削り取っていく。
ワイトがマリエルに気を取られ、大振りの一撃を放った瞬間。その隙を見逃すオレではない。
「そこだ」
オレは怒涛のアクションを使用せずとも、加速した思考の中で敵の死角を捉えていた。踏み込み。STR19の膂力を乗せた、精鍛鋼のウォー・メイスの一閃。
ワイトの物理耐性は、斬撃や刺突に対しては強い。だが、「圧倒的な質量による打撃」に対してはどうだ?
骨格そのものを歪め、鎧ごと中身を潰すような一撃は、耐性の上からでも衝撃を通す。
「【戦技:足払い攻撃】!」
ドゴォッ!!
《戦技判定:成功》
《ダメージ計算:1d8 + 4 + 4 = 12ダメージ》
メイスがワイトの膝関節を逆方向にへし折った。
「ガァッ!?」
ワイトが体勢を崩し、地面に膝をつく。その頭上には、マリエルの守護霊と、彼女自身のミスリル・メイスが影を落としていた。
「チェックメイトだ」
「天に還りなさいッ!!」
オレとマリエル、二つのメイスが同時に振り下ろされた。
ズドオォォォォォォンッ!!
《近接攻撃判定:命中(Hit)》
《ダメージ計算:2d8 + 8 + 4 = 20ダメージ》
黒い兜がひしゃげ、中身の頭蓋骨が粉砕される音が重なる。聖なる光と物理的質量の同時攻撃。
ワイトの身体が内側から崩壊し、黒い霧となって霧散していく。鎧だけが、ガシャンと音を立てて床に転がった。
戦闘終了。
静寂が戻った埋葬室には、守護霊たちの放つ黄金の粒子がキラキラと舞っていた。グールの死骸は浄化されて灰になり、あの酷い腐臭すらも薄らいでいる。
「……ふぅ。素晴らしい運動でしたわ」
マリエルが聖印にキスをし、魔法を解除する。守護霊たちが敬礼をするように一礼し、光の中に消えていく。
彼女の額には汗一つかいていない。MP消費は重いが、それに見合うだけの圧倒的な殲滅力だ。
「嘘でしょ……。私とリーズ、出番なかったんだけど」
後方で弓を構えたまま固まっていたアーシェが、呆れたように呟く。彼女の矢は一本も放たれていない。撃つ必要がなかったのだ。
「……マリエルさん、怒らせたら一番怖いかもです」
リーズも杖を下ろし、引きつった笑いを浮かべている。
オレは地面に転がるワイトの遺品――黒いフルプレートと、魔剣を拾い上げた。鑑定スキルがなくとも分かる。上質な品だ。
「……悪くない連携だ」
オレは振り返り、3人を見た。タンクが前線を維持し、範囲魔法で雑魚を一掃し、高火力の打撃でボスを沈める。
教科書通りの、しかし教科書以上の出力で行われた制圧劇。
「これが『第3位階』の力か」
マリエルの【守護霊】。そして、次に控えるのはリーズの【火球】だ。戦術の幅が広がったというレベルではない。次元が変わった。
「休憩はなしだ。……このまま最深部まで降りるぞ」
オレは戦利品をバックパックに放り込み、先を促した。この程度の勝利で足を止めるわけにはいかない。
オレたちの目的は、この先にある「絶望」を、さらなる火力で焼き尽くすことなのだから。
***
ワイトを粉砕し、第6階層の中核部を突破したオレたちは、小休止を挟むことなく最深部を目指していた。
道中、オレは歩きながら革の水筒を取り出し、一口含んだ。舌に広がるのは、塩と蜂蜜と柑橘の混ざった、あの独特な甘じょっぱい味だ。
特製経口補水液。美味くはない。だが、戦闘で失われたミネラルが細胞の一つ一つに染み渡り、乾いた喉を潤していく感覚には、ある種の快感さえ覚える。
「……飲むか?」
オレは後ろを歩くアーシェに水筒を差し出した。彼女は顔をしかめつつも、それを受け取り、遠慮なくラッパ飲みした。
「んぐ、んぐ……ぷはっ。相変わらず変な味ね。……でも、助かるわ」
アーシェが手の甲で口元を拭う。彼女の指先は煤と油で黒ずみ、愛用の合成弓のグリップには、手汗が乾いた跡が白く浮いている。
新品だった装備が、急速に「実用品」としての汚れを帯びていく。それは劣化ではない。使い手の魂が道具に馴染んでいくプロセスだ。
「マリエル、MP残量は?」
「残り3割といったところですわ……。先ほどの『守護霊』で大盤振る舞いしてしまいましたもの。これ以上、大規模な『物理的説法』を行うには、少し休憩が必要ですわね」
マリエルが肩を回し、巨大なミスリル・メイスを担ぎ直す。彼女の法衣の裾は、グールの返り血でどす黒く変色しているが、本人は気にした様子もない。
「リーズは?」
「満タンです! ……いつでもいけます!」
最後尾のリーズだけが、異様なほど元気だった。彼女はまだ、この階層に入ってから「本気」を出していない。
小規模な牽制射撃のみで、その膨大な魔力を温存し続けている。まるで、これから訪れる「最大の見せ場」を予感しているかのように。
「……良い傾向だ。リソース管理は生存の鍵だ」
オレは水筒を受け取り、腰に吊るした。通路の勾配がきつくなる。腐敗臭が、鼻を突くレベルから、肺を焼くような濃度へと変わっていく。
「……来るぞ。この階層の『終着点』だ」
オレが足を止めたのは、巨大なアーチ状の入り口の前だった。そこには扉がない。
ただ、圧倒的な闇と、その奥から響いてくる無数の衣擦れのような音が、侵入者を拒絶していた。
ザッ、ザザッ……ズルズル……。
肉が石を引きずる音。骨がぶつかり合う乾いた音。喉の奥から漏れる、空気が抜けるような呻き声。
「……嫌な予感がするわ」
アーシェが弓を構え、矢をつがえる。オレたちは慎重に、その広大な空間へと足を踏み入れた。
瞬間。リーズが灯していた【ライト】の魔法の光が、空間の広さに飲み込まれ、頼りなく揺らいだ。
「――――ッ」
全員が息を呑んだ。そこは、広間というにはあまりに巨大な、地下ドームだった。天井は見えないほど高く、壁面には無数の横穴が蜂の巣のように穿たれている。
だが、問題は地形ではない。床だ。広大な石畳の床が見えない。
埋め尽くされていた。 「死」によって。
【敵対種:アンデッド・ホード(死者の群れ)】
構成:ゾンビ、スケルトン、グール
推定数:300以上
状態:密集、敵対的
右も左も、奥も手前も。視界の全てを、腐った肉と動く白骨が埋め尽くしている。蟻の這い出る隙間もないほどの密集度。
それらが一斉に、生者の匂い(オレたち)に反応し、濁った眼球や空虚な眼窩をこちらに向けた。
「ア゛ア゛ア゛ア゛……」
「ウゥゥゥ……」
怨嗟の声が重なり、ドーム全体が共鳴する。腐肉の波が、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かって動き出した。
「……冗談でしょ?」
アーシェの声が震えた。彼女は矢を構えたまま、後ずさりする。
「無理よ。……こんな数、矢が足りないわ。1本で3体抜いたって、全部倒す前に矢筒が空になる」
物理的な限界。いくら彼女が凄腕の射手でも、弾薬(矢)の物理的上限は超えられない。
「私も……これだけの数を『救済(物理)』するには、MPどころか腕の筋肉が持ちませんわ……。メイスが摩耗して折れてしまいます」
マリエルも顔を引きつらせる。個の力ではどうしようもない「数」の暴力。
これが、ダンジョンの深層が「死地」と呼ばれる理由だ。スタミナ切れ。武器の破損。精神の摩耗。
「トール……撤退しましょう。狭い通路まで戻って、各個撃破するしか……」
アーシェが提案する。常識的な判断だ。だが、オレの次元を超えた知識が弾き出した解は違った。
《戦況分析:敵総数324体》
《通路後退時の殲滅所要時間:約4時間》
《リスク:長時間戦闘による疲労(Fatigue)、武器耐久値の低下》
4時間もゾンビを殴り続ければ、オレたちの集中力は切れる。撤退は、緩やかな自殺に過ぎない。
「却下だ」
オレは短く断じ、一歩前に出た。迫りくる死者の波。
「ここで終わらせる。……時間はかけない」
「で、でもどうやって!? この数を!?」
アーシェが叫ぶ。オレは振り返らず、背後に控える「最強の切り札」に声をかけた。
「……リーズ」
「はいっ!」
少女の凛とした声が返ってきた。彼女はすでに前に出てきていた。
濃紺のローブを翻し、身の丈ほどの杖を両手で握りしめる。その小さな背中からは、待ち望んでいた出番に対する、武者震いのような興奮だけが漂う。
「掃除の時間だ。……やれるな?」
「もちろんです。……この時のために、魔力をパンパンに溜めておきましたから」
リーズが不敵に笑う。彼女の周囲の大気が、ビリビリと震え始めた。
Lv5への到達。それは、ソーサラーにとって「次元」が変わる瞬間だ。天災をもたらす戦略級魔法へのアクセス権を得る境界線。
「アーシェ、マリエル。……伏せろ。衝撃が来るぞ」
オレは二人に警告し、自身も重心を落として衝撃に備えた。リーズが杖を掲げる。
彼女の視線は、数百のゾンビがひしめくドームの中心点――最も敵が密集している「死の重心地」に固定されていた。
「……イメージします」
リーズが小さく呟く。詠唱の文言など必要ない。ソーサラーの魔法は、理論ではなく「血」と「イメージ」で紡がれる。
(……小さな、小さな火種。指先で摘めるくらいの、赤いビーズ)
彼女の杖の先に、極小の光点が生まれた。針の穴のような一点に、彼女の持つ膨大な魔力が圧縮されていく。臨界点まで詰め込まれたエネルギーが悲鳴を上げる。
「……いけっ」
リーズが杖を振り下ろした。
ヒュッ。
放たれたのは、頼りないほど小さな、赤い光の粒だった。それはゾンビたちの頭上を越え、群れのど真ん中へと吸い込まれていく。
カッッッ――――!!!!
着弾の瞬間。世界から音が消えた。視界が、真っ白な光に塗りつぶされる。
その直後。物理法則を無視した熱膨張が、閉鎖空間を蹂躙した。
ドオォォォォォォォォォォォンッ!!!!
爆音。鼓膜など意味を成さない、大気を殴りつけるような衝撃波。
【第3位階魔法:火球】
《魔法攻撃判定:必中(DEXセーヴで半減)》
《ダメージ計算:8d6 = 28ダメージ》
ゾンビ? スケルトン? 耐えられるわけがない。爆心地にいたアンデッドたちは瞬時に炭化し、消滅した。
ゴウウウウウウッ!!
爆風が洞窟内を駆け巡る。髪が逆立つほどの風圧。真空状態になった空間に周囲の空気が流れ込むバックドラフト現象が起きる。
「……っ、ぐぅ……!」
アーシェが顔を腕で覆い、飛ばされないように踏ん張る。マリエルが目を見開き、その光景に釘付けになっている。
数秒後。舞い上がった粉塵がゆっくりと沈殿していく。
そこには、何もなかった。
黒く焦げたクレーターとなり、床の石畳は高熱で溶けてガラス状に光っていた。
静寂。圧倒的な、死の静寂。300体以上の軍勢が、たった一撃で「無」に帰した。
「……あ、は……」
アーシェがへなへなと腰を抜かして座り込む。
「な、なによこれ……。太陽が落ちてきたみたい……」
弓手としての常識が崩壊する音。
「……素晴らしいですわ」
マリエルが恍惚とした表情で、焦土と化した広間を見つめる。
「リーズさん、貴女こそが真の『掃除人』ですわ!」
そして、その中心に立つリーズは――
「……ふぅ。スッキリしました!」
彼女は杖を下ろし、額の汗を拭ってニッコリと笑った。体内の澱が取れたように晴れやかだ。
「どうですか、トールさん! ……綺麗にお掃除できましたか?」
リーズが褒めて欲しそうにこちらを見る。オレはゆっくりと歩み寄り、彼女の頭に手を置いた。
「……ああ。完璧だ」
オレは素直に称賛した。計算通りの火力。これで証明された。アイギスの盾は、軍隊をも単独で壊滅させる「戦略級戦力」を保有する組織になったのだ。
「これが『魔法使い(キャスター)』の本領か。……投資した甲費があったな」
オレは広間を見渡した。敵影なし。
「……回収だ。金目のものだけ拾って先へ進むぞ」
「……トール、あんたねぇ。この状況でまだ金目のものって……」
アーシェが呆れつつも立ち上がり、苦笑する。
「ええ、行きましょう! ……この先には、きっともっと素敵な『焼き甲斐のある』敵が待っていますわ!」
第6階層、踏破完了。
オレたちは、次なる第7階層へと続く階段を下り始めた。
どんな絶望が待っていようとも、それを上回る「暴力」と「計算」で叩き潰すだけだ。
階段を下りる足音が、確かな自信と共に地下深くまで響いていった。




