第18話 酒場の観察:パーティ崩壊の縮図
バルグの夜は早い。
日が沈むと同時に、街の主役は商人たちから、血の気の多い荒くれ者たちへと交代する。
その熱気の中心地こそが、冒険者ギルド「戦鬼の鉄床」に併設された巨大酒場、通称『戦鬼の喉』だ。
ガヤガヤガヤガヤ……! カチンッ! ゴンッ! ゲラゲラゲラ!
重厚なオーク材の扉を開けた瞬間、暴力的なまでの音圧が鼓膜を叩いた。
数百人の男たちが喚き散らす怒号、安っぽいジョッキがぶつかり合う硬質な音、そして床を踏み鳴らすブーツの振動。
空気は白く濁っている。
暖炉で焼かれる肉の脂っこい煙と、安葉巻の紫煙、そしてアルコールの揮発成分が入り混じった、むせ返るような「生存者の臭い」だ。
「……うぅ、相変わらず凄い熱気ですね」
隣を歩くリーズが、濃紺のローブのフードを少しだけ深く被り直した。
以前の彼女なら、この空気に当てられて縮こまっていただろう。
だが今の彼女は、背筋を伸ばし、しっかりと前を向いている。
鉄級への昇格、そしてゴブリンの巣を壊滅させたという実績が、彼女の華奢な背骨を精神的に支えているのだ。
「席は確保してある。……ついて来い」
オレたちは人混みをかき分け、酒場の中央エリアへと進んだ。
以前なら、入り口近くの隙間風が吹く末席がお似合いだった。
だが今夜は違う。
オレたちは「勝者」として、ここにいる。
「よう、旦那! お待ちしてましたぜ!」
給仕の少年が、オレたちの姿を見つけて飛んできた。
案内されたのは、暖炉の近くの一等席。
すでにテーブルの上には、予約しておいた料理が湯気を立てて並んでいる。
【本日のディナー】
メイン: 厚切りオーク肉のロースト・香草焼き
サイド: 温野菜のバター煮込み、焼きたての白パン
ドリンク: ドワーフ製のエール(リーズには果実水)
「……壮観だな」
オレは席につき、目の前の肉塊を見下ろした。
表面は狐色に焦げ目がつき、ナイフを入れると透明な肉汁が溢れ出す。
昨日の下水道で啜った泥水や、ゴムのような干し肉とは、次元の違う「物質」だ。
「い、いただきますっ!」
リーズが待ちきれない様子で、ナイフとフォークを動かす。
カチャカチャ、という音が軽快だ。
彼女は一口大に切った肉を口に運び、頬張った瞬間、至福の表情で目を細めた。
「ん、ん〜〜〜〜っ!!んぅ~~っ! 溶けました! お肉、噛んでないのに溶けちゃいました! 甘いです! 肉汁がジュワーって!……おいひぃですぅ……!」
「大袈裟だな。……だが、悪くない」
オレもエールで喉を湿らせてから、肉を口にした。
塩味と脂の甘み、そして香草の爽やかな香りが、脳髄を直撃する。
CON19(人間限界)の胃袋が、歓喜の声を上げて消化活動を開始する。
タンパク質、脂質、炭水化物。
それらが血液に溶け込み、疲弊した筋繊維を修復し、魔力回路を潤していくプロセスが、手に取るように分かる。
「トールさん、あーん、してあげましょうか?」
「自分で食える」
(……コスト、銀貨1枚。決して安くはない)
オレは咀嚼しながら、脳内で収支計算を行った。
ゴブリン討伐の報酬は金貨3枚(銀貨30枚)。
この一食で、その30分の1が消える。
だが、これは浪費ではない。「再投資」だ。
死線を潜り抜けた脳と肉体に、最高級の報酬を与えることで、次なる戦闘へのモチベーションを維持する。
健全な精神こそが、最強の防具なのだ。
「……でも、トールさん」
リーズがパンをスープに浸しながら、上目遣いでオレを見た。
彼女の視線は、オレが食事の手を止め、周囲をキョロキョロと見回していることに気づいていた。
「さっきから、あちこち見てますよね? ……お食事、お口に合いませんか?」
「いや、味は上々だ。……オレが見ているのは『皿』じゃない」
オレはナイフを置き、酒場全体を見渡すように視線を巡らせた。
賑やかな喧騒。
だが、オレの目には、彼らは楽しげな客ではなく、無数の「パラメータの集合体」として映っていた。
「見ているのは『人材リソース』だ」
「じんざい……?」
「ああ。……先日のゴブリン戦を思い出せ」
オレの言葉に、リーズの表情が曇る。
勝利はしたが、薄氷の勝利だった。
ホブゴブリンとの力比べ。数による圧殺の恐怖。
MPが枯渇し、杖を振るう腕が上がらなくなった時の絶望感。
「オレたちは勝ったが、それは『運』が良かっただけだ。……オレの前衛としての処理能力、お前の後衛アタッカーとしての弾数。どちらも限界値ギリギリだった」
オレは酒場の喧騒を指差した。
「システムを安定させるには、部品が足りない。……『遊撃手』と『回復役』。この2つの穴を埋めない限り、オレたちの成長曲線はここで頭打ちになる」
「つまり……新しい仲間、ですか?」
リーズの声が少し沈む。
彼女は無意識のうちに、着ているローブの袖口をギュッと握りしめていた。
それは、昨日オレが買い与えたものだ。
自分だけの居場所。トールとの二人だけの空間。
そこに他人が入り込むことへの、本能的な拒絶と不安。
「……男の人なら、いいんですけど」
リーズがボソリと呟く。
「ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもないです! ……でも、もし新しい人が女の人で、すごく美人で、強かったら……トールさん、そっちの方が良くなっちゃうのかなって……」
彼女は涙目で訴えるようにオレを見る。
戦力増強の必要性は理解している。だが、感情が追いつかない。
可愛い嫉妬だ。
「安心しろ。……誰が来ようと、お前はオレの『筆頭火力』だ」
「……本当ですか? ご飯の時も、私の隣ですか?」
「ああ。約束する」
オレの言葉に、リーズはようやく安堵の息を吐き、へにゃりと笑った。
精神安定完了。
オレは再び視線を鋭くし、酒場にいる冒険者たちを一人ひとり査定し始めた。
【次元を超えた知識】、起動。
視界にノイズが走り、酒場の客たちの上に半透明のウィンドウが重なる。
(……ターゲットA:中央のテーブル。銀ランクの重装歩兵パーティ)
装備は一流。連携も取れている。
だが、彼らの笑い声は大きすぎる。成功体験に酔い、慢心している証拠だ。
彼らを雇えば、指揮権を巡って必ず揉める。コストが高すぎる。
《判定:不採用》
(……ターゲットB:入り口付近。結成したての新人グループ)
目は輝いているが、装備の手入れがなっていない。剣の柄が緩んでいる。
教育コストがかかりすぎる。オレは学校の先生じゃない。
《判定:不採用》
(……ターゲットC:カウンター席。ソロの傭兵風の男)
腕は立ちそうだが、目が濁っている。金のためなら平気で裏切るタイプだ。
信頼性の構築に時間がかかる。
《判定:不採用》
オレの視線は、酒場の光と影を分ける境界線、薄暗い隅のテーブルへと吸い寄せられていった。
そこには、周囲のバカ騒ぎから切り離されたような、重苦しい空気を纏った4人組がいた。
「……見つけたか?」
オレは目を細めた。
テーブルの上には、ほとんど手つかずの安いエール。
そして、俯く二人の女性と、顔を真っ赤にして何かを喚いているリーダー格の男。
「トールさん……? あの人たち、すごく暗いですけど……」
リーズが不安げにオレの袖を引く。
彼女の目には、ただの「失敗したパーティ」にしか見えないだろう。
だが、オレの目には違って見えた。
オレは【次元を超えた知識】の解像度を上げた。
まず、エルフの女。
金髪のポニーテール。細身のレザーアーマー。
彼女の背負っている弓の弦は、完璧なテンションで張られている。指先にはタコができている。
レベル表記は――【Lv 4】。
相当な練度だ。
だが、彼女の表情は死んでいる。リーダーの罵倒を、唇を噛んで耐えている。
次に、神官服の女。
おっとりとした顔立ちだが、体格がいい。
華奢に見えて、その二の腕の筋肉密度は並の戦士以上だ。
足元には、クレリックには似つかわしくない巨大なヘヴィ・メイスが置かれている。
レベル表記は――こちらも【Lv 4】。
彼女もまた、リーダーの言葉にひたすら謝罪している。
「……なるほどな」
オレはエールを一口飲み、ニヤリと口角を上げた。
《洞察判定:成功(Success)》
「どうしました? ……知り合いですか?」
「いや。……だが、『掘り出し物』の匂いがする」
市場価値と実力が見合っていない、過小評価された優良資産。
組織の歯車が噛み合っていないせいで、無能の烙印を押されている実力者たち。
「リーズ、よく見ておけ」
オレは顎でそのテーブルをしゃくった。
「あれが『組織の崩壊』の現場だ。……そして、オレたちの新しい戦力が生まれる瞬間かもしれん」
「えっ……? 戦力……?」
リーズが困惑する中、隅のテーブルでは、リーダーの男がジョッキを床に叩きつけ、怒号を上げて立ち上がった。
ガシャァァァンッ!!
「ふざけんじゃねえぞッ!!」
酒場中の視線が、一斉にそのテーブルへと集まる。
オレは静かにナイフを置き、その光景を観察し始めた。
ショーの始まりだ。
ガシャァァァンッ!!
安っぽい陶器のジョッキが床に叩きつけられ、琥珀色の液体と陶器の破片が四方へと飛び散った。
その音を信号弾にしたかのように、酒場の喧騒が一瞬だけ凪いだ。
視線の中心にいるのは、隅のテーブルを囲む4人組だ。
「ふざけんじゃねえぞ、木偶の坊どもがッ!!」
立ち上がって喚いているのは、リーダー格の男だ。
銀色のプレートアーマーを身につけているが、手入れが悪く所々が錆びている。
顔は酒で赤く充血し、口角からは唾の泡が飛んでいる。
名前は確か、ガレス。銀級の戦士だ。
「おい、聞いてんのかアーシェ! ……テメェのことだぞ!」
ガレスが革手袋の指先で、向かいに座るエルフの女の額を突いた。
「っ……」
エルフの女――ガレスにアーシェと呼ばれた彼女は、長い耳を伏せ、膝の上で拳を握りしめて耐えている。
彼女の装備は軽装のレザーアーマー。
背負ったロングボウは使い込まれ、弦には適切なワックスが塗られている。
プロの道具だ。
だが、その持ち主は今、理不尽な暴力の前で縮こまっている。
「今日のオーク戦だ! ……なんであそこで矢を外した!? テメェが脳天を射抜いてりゃ、俺が怪我することはなかったんだよ!」
ガレスの怒声が響く。
周囲の客たちは「またかよ」といった冷ややかな視線を向けて、すぐに自分たちの会話へと戻っていく。
よくある光景(日常茶飯事)なのだ。
失敗の責任を立場の弱い者に押し付ける、三流のリーダーの姿は。
だが、オレの目は誤魔化されない。
オレはフォークを置き、ガレスの言葉と、アーシェの装備、そして彼女の指先にできた「弓ダコ」の位置関係を【次元を超えた知識】で再構築した。
【戦闘シミュレーション:再生】
(……ガレスの主張:「弓手が外したから被弾した」)
(……現場検証:ガレスの鎧の傷跡)
オレは遠目からガレスの左肩にある新しい傷跡を解析した。
浅い切り傷。背後からの攻撃ではなく、前方からの斜めの斬撃。
そして、アーシェの矢筒に残っている矢の種類。
羽根の形状からして、直進安定性の高い「錐矢」だ。
(……矛盾だ)
《捜査判定:成功(Success)》
オレの中で結論が出るまで、1秒もかからなかった。
弓手が矢を外す要因は主に2つ。
技量不足か、射線の妨害だ。
アーシェの指のタコを見る限り、彼女は相当な練度の射手だ。固定目標を外すとは考えにくい。
ならば、原因は「射線」だ。
(ガレス……お前、敵の前で動き回ったな?)
タンクの基本は「位置固定」だ。
敵のヘイト(敵視)を集めたら、足を止めて味方に背中を預ける。そうすれば後衛は安心して狙撃できる。
だが、恐怖心や功名心でタンクが左右にステップを踏めば、後衛からは「味方が邪魔で撃てない」状況が生まれる。
無理に撃てばフレンドリーファイア(誤射)のリスクがある。
アーシェは撃たなかったのではない。「撃てなかった」のだ。
「……黙ってないでなんとか言えよ! この役立たずが!」
ガレスがさらに罵倒する。
アーシェは唇を噛み切りそうなほど強く閉じている。
反論すれば、さらに状況が悪化することを知っている諦めの表情だ。
「それにテメェもだ! マリエル!」
矛先が、隣の女性に向けられた。
白と青の法衣をまとった、おっとりとした顔立ちの神官服の女――マリエルだ。
彼女は両手で巨大なヘヴィ・メイスを抱きしめるように持ち、ガレスの剣幕に怯えて首をすくめている。
「回復が遅えんだよ! 俺のHPが減ってるのが見えねえのか!? MPを出し惜しみしてんじゃねえぞ!」
「も、申し訳ありません……。ですが、あの時は前線が混戦で、射程距離に近づけなくて……」
「言い訳すんな! 魔法使いなら後ろから魔法だけ撃ってりゃいいんだよ!」
ガレスがマリエルの肩を小突く。
マリエルはよろめくが、その体幹は驚くほどしっかりしていた。
重いメイスを持ったまま、バランスを崩さない。
オレは彼女の装備構成に目を細めた。
(……クレリック。だが、あのメイスの重量は推定15キログラム)
(……法衣の下に見えるのは、鎖帷子か?)
一般的な後衛ヒーラーの装備ではない。
あれは、前線で殴り合いながら回復もこなす「前衛型ビルド(殴りクレリック)」だ。
STRとVITにステータスを振っているタイプだろう。
(……運用ミスだ)
オレは溜息をつきそうになった。
彼女は「後ろから魔法を撃つ」タイプではない。
前線でタンクの横に立ち、サブタンクとして敵を殴り、ゼロ距離でヒールを回すのが最適解だ。
それを後衛に配置すれば、当然、射程不足やMP効率の悪化を招く。
ガレスは、自分が持っている駒の特性すら理解していない。
「……ひどい」
隣でリーズが呟いた。
彼女は自分のローブの袖をギュッと握りしめ、二人の女性に同情の眼差しを向けている。
「あの人たち、何も悪くないのに……。可哀想です……」
だが次の瞬間、リーズはハッとしたようにオレを見た。
「あ、でも……女の人ですよね、二人とも。……しかも、なんかスタイル良いし……」
同情と、ほんの少しの危機感(嫉妬)。
リーズの中で感情がせめぎ合っているようだ。
「トールさんは、あんな怒り方しません……。でも、もしあの人たちが仲間になったら、私のこと……いらなくなりませんか?」
「その通りだ。……あれは指揮官ではない。ただの『クレーマー』だ」
オレは冷徹に断じた。
失敗の原因分析を行わず、感情的に部下を責めるだけ。
それでは組織の成長はない。
あのパーティの生産性は、ガレスというボトルネックのせいで著しく低下している。
だが、逆に言えば――
(……素材は生きている)
オレは、うつむく二人の女性を観察した。
アーシェの手は、怒りで震えているが、決して弓を手放そうとはしていない。
マリエルの瞳には、涙が浮かんでいるが、その奥には「もっとうまくやれるはずなのに」という悔しさが燃えている。
腐ってはいない。
使い手が悪いせいで錆びついているだけだ。
適切なメンテナンス(指導)と、適正な配置を与えれば、彼女たちは化ける。
「……おいヴィックス、お前からも言ってやれ」
ガレスが、同席しているもう一人の男――軽装の盗賊、ヴィックスに話を振った。
ヴィックスはニヤニヤと笑い、ジョッキを傾けている。
「まあまあ、大将。女どもに期待するだけ無駄っすよ。……所詮、女は『夜の相手』と『荷物持ち』くらいしか能がないんすから」
「ギャハハ! 違いねえ!」
下卑た笑い声。
アーシェの肩がビクリと跳ねた。
マリエルが、悔しそうにメイスの柄を握りしめる。
その握力で、木の柄からミシミシと音がしているのをオレは見逃さなかった。
STR16……いや、17はあるか。
素晴らしい筋力だ。
あそこでガレスの頭を叩き割らない理性を称賛したい。
「……決まりだな」
オレは残りのエールを飲み干し、席を立った。
「トールさん? ……どうするんですか?」
「『買い物』だ。……市場調査は終わった」
オレは懐から金貨を一枚取り出し、指で弾いた。
キラリと光る金貨。
それは、彼女たちの人生を変えるための「手付金」だ。
「あのパーティは今夜で解散する。……その瞬間に、優良資産(彼女たち)が市場に放流される」
「えっ……?」
「その瞬間を狙う。……暴落した株を底値で買い叩くのが、投資の鉄則だ」
オレたちのテーブルから、ガレスたちのテーブルまでは約10メートル。
その距離は、勝者と敗者を分ける距離であり、そして新たな「契約」が結ばれるまでの距離でもあった。
酒場の騒音が一層大きくなる中、オレは静かに、しかし確かな足取りで「掃き溜め」へと近づいていった。
オレの目には、彼女たちが泥にまみれたダイヤモンドの原石に見えていた。
「……もういい。テメェら、クビだ」
ガレスが吐き捨てたその言葉は、酒場の喧騒にかき消されることなく、鋭い氷柱のように二人の女性の胸に突き刺さった。
「く、クビ……ですか? ですが、今日の報酬の分配は……」
エルフの女、アーシェが、震える声で食い下がる。
彼女の指先は白くなるほど強く、革のズボンを握りしめている。
矢の補充費、弓のメンテナンス用の油、そして明日の宿代。
冒険者にとって、報酬の不払いは死活問題だ。
「あぁ? 分配だぁ?」
ガレスは鼻で笑い、飲み干したジョッキの底に残った泡を床に撒いた。
「失敗した依頼の報酬なんざあるかよ。……むしろ、俺に怪我させた治療費と、精神的苦痛の慰謝料を請求したいくらいだぜ」
「そんな……! 依頼金の前払い分(着手金)はあったはずじゃ……!」
「それは俺の『指揮官手当』だ。文句あんのか?」
ガレスが腰の剣に手をかける。
威圧。
《威圧判定:成功(Success)》
銀ランクのステータスと、暴力の匂いを纏った男の恫喝に、アーシェが息を呑んで押し黙る。
隣のマリエルは、ただ俯き、唇を噛んで震えている。
「行くぞ。……こんなシケた女どもと飲んでられるか。新しい女を探すぞ」
「へへッ、了解っす大将」
盗賊のヴィックスがニヤつきながら立ち上がり、わざとらしく二人の足元に唾を吐いた。
ガレスたちは、呆然とする二人を残し、肩で風を切りながら酒場の奥――娼婦たちがたむろするエリアへと消えていった。
残されたのは、手つかずのぬるいエールと、絶望だけ。
オレは、その一部始終を冷ややかに見届けていた。
(……契約解除(解雇)確認。退職金なし。違法ギリギリのブラック解散だ)
周囲の客たちは、一瞬だけ同情的な視線を向けたが、すぐに自分たちの会話へと戻っていった。
弱肉強食。
パーティを追い出された人間に、手を差し伸べる酔狂な奴はいない。
二人がよろよろと立ち上がった。
その足取りは重い。
彼女たちは逃げるように酒場の出口へと向かう。
「……行くぞ、リーズ」
オレはナプキンで口を拭い、席を立った。
タイミングは完璧だ。
市場価値が底値(ストップ安)になった瞬間こそ、買い付けの好機だ。
***
酒場の裏口から出た路地裏は、夜の冷気と生ゴミの腐敗臭、そして湿った石畳の匂いに満ちていた。
メインストリートの華やかな灯りは届かず、月明かりだけが薄汚れた水たまりを照らしている。
「……最悪」
アーシェが、積み上げられた木箱に背中を預けて座り込んだ。
彼女は天を仰ぎ、深く、重い溜息をついた。
「今月の宿代、どうしよう……。矢も残り5本しかないし、弦も張り替えないと切れそうなのに……」
彼女は自分の愛弓を抱きしめた。
手入れは完璧だが、道具には寿命がある。
金がなければ、冒険者は戦うことすらできなくなる。
「神よ……。これは、私への試練なのですか?」
隣でマリエルが、巨大なヘヴィ・メイスに額を押し付けて祈りを捧げている。
「回復よりも殴打を優先したいという私の欲求が、パーティの和を乱したのでしょうか……。いっそ、あの男の頭蓋を物理的に粉砕していれば、悩みも消えたのでしょうか……」
「……マリエル、あんたの祈りはいつも物騒ね」
アーシェが力なく笑う。
二人の間に流れるのは、諦めと疲労感だ。
明日からどう生きるか。
ソロで活動するには、弓手と神官は不向きすぎる。
かといって、「無能」のレッテルを貼られた彼女たちを拾うパーティなど、この街にあるだろうか。
カツン、カツン……。
その時、路地裏に乾いた足音が響いた。
二人がビクリとして顔を上げる。
ガレスたちが戻ってきたのかと思ったのだろう。
だが、闇の中から現れたのは、無骨な【精鍛鋼のメイス】を腰に差した男と、濃紺のローブを纏った少女だった。
「……誰?」
アーシェが警戒心を露わにし、反射的に弓に手を伸ばす。
オレは両手を見せて敵意がないことを示しながら、彼女たちの目の前で立ち止まった。
「見世物は終わりか? ……随分と派手な解散劇だったな」
オレの言葉に、アーシェの顔が歪む。
恥辱と怒り。
自分たちの惨めな姿を見られていたことへの屈辱。
「……冷やかしなら帰って。矢の無駄遣いはしたくないの」
「矢なら買えばいい。……金があればな」
オレは懐から、一枚の硬貨を取り出した。
親指で弾く。
キィィン……!
月明かりを受けて回転し、澄んだ音色を奏でたのは、銀貨ではない。
【金貨】だ。
黄金の輝きが、薄暗い路地裏を一瞬だけ照らし出した。
オレは落ちてきた金貨をパシッと掴み取り、二人の前に突き出した。
「なっ……き、金貨!?」
マリエルが息を呑み、目が釘付けになる。
金貨1枚=銀貨10枚=日本円で約10万円。
明日の宿代どころか、一ヶ月は余裕で暮らせる大金だ。
先ほどガレスが持ち逃げした報酬など、これに比べれば端金に過ぎない。
「施し(チャリティ)じゃないぞ」
オレは金貨を指の間で遊ばせながら、冷徹に告げた。
同情など、彼女たちのプライドを傷つけるだけだ。
必要なのは対等な、いや、それ以上の「ビジネスとしての提案」だ。
「商談だ。……お前たちの『能力』を、オレが買う」
「……はぁ? 何言ってんの?」
アーシェが眉をひそめる。
怪しい勧誘。あるいは、身体目当ての誘い。
当然の警戒だ。
「見ていたぞ。……酒場での会話も、今日の依頼の内容も推測済みだ」
オレは一歩踏み出し、アーシェを見下ろした。
「お前が矢を外したのは、タンクが射線を塞いだからだ。……違うか?」
「ッ……!」
アーシェが目を見開く。
誰にも言えなかった、そして誰も理解してくれなかった真実。
それを、初対面の男に言い当てられた衝撃。
「そしてそっちの神官。……お前のMPが尽きたのは、前衛が無駄な被弾をしすぎたせいだ。お前は殴りたかったんじゃない。……『殴ってでも敵を止めた方が、ヒールの回数を減らせる』と判断したんだろ?」
「……え?」
マリエルがポカンと口を開ける。
彼女自身、言語化できていなかった本能的な戦術判断。
それを、あまりにも論理的に肯定された。
「悪いのはお前らじゃない。……システム(指揮系統)だ」
オレは断言した。
「無能な上司の下で働けば、優秀な部下も無能に見える。……お前たちは『不良品』じゃない。運用方法を間違えられた『未適正資産』だ」
「し、資産……?」
「オレなら、お前たちの性能を100%……いや、120%引き出せる」
オレは金貨をマリエルの手の中に強引に握らせた。
ずしりとした重み。
そして、オレの背後に控えていたリーズが、フードを外してにっこりと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。……トールさんは嘘をつきません」
リーズの言葉には、確かな重みがあった。
数日前まで同じように絶望していた少女が、今は清潔なローブを纏い、自信に満ちた顔で立っている。
その事実が、何よりの証明書だ。
「これは契約金だ。……オレのパーティに来い」
オレは右手を差し出した。
「オレが前衛でターゲットを固定する。お前は好きなだけ狙撃しろ」
「オレが被弾を管理する。お前は好きなだけ殴って、必要な時だけ祈れ」
「……っ……」
アーシェの瞳が揺れる。
マリエルが金貨を握りしめ、ゴクリと唾を飲み込む。
地獄に垂らされた蜘蛛の糸。
だが、それは細い糸ではなく、鋼鉄の鎖のように太く、頼もしい。
「……あんた、名前は?」
アーシェが立ち上がり、オレの手をじっと見つめた。
「トールだ。……趣味は『効率化』と『生存』だ」
「……変な趣味」
アーシェはフッと笑い、オレの手を強く握り返した。
その手は、弓ダコで硬く、冷たかった。
だが、その奥にある熱(やる気)は消えていない。
「いいわ。……賭けてあげる。ガレスを見返すチャンスになるならね」
「わ、私も……! 神よ、これは導きなのですね……!」
マリエルも立ち上がり、オレの手を両手で包み込んだ。
《説得判定:成功(Success)》
契約成立。
「よし。……話はまとまった」
オレはニヤリと笑った。
夜風が路地裏を吹き抜け、腐敗臭を消し去っていく。
「店に戻るぞ。……今度は『勝者』の席で、飲み直しだ」
オレたちは4人で、再び酒場の扉へと向かった。
数分前まで敗残者として追い出された二人が、今、最強の指揮官を得て、再び戦場へと凱旋する。
オレの脳内では、すでに新しいパーティ編成による、最適化された戦闘シミュレーションが高速で回転し始めていた。
タンク、アタッカー、シューター、ヒーラー。
盤面は整った。
これで、戦える。




