第11話 初仕事・泥沼の快進撃①
ギルドの重厚な扉を背にすると、そこには現実が待っていた。
傾きかけた太陽が、バルグの街並みを茜色に染めている。
路店から漂う香ばしい串焼きの匂い。仕事終わりの職人たちが酒場へと吸い込まれていく活気。
それらすべてが、今のオレたちには「有料コンテンツ」として立ち塞がっている。
「……トールさん。私たち、本当に一文無しなんですね」
隣を歩くリーズが、力なく呟いた。
彼女はお腹を押さえ、恨めしそうにパン屋の陳列棚を見つめている。
所持金、銅貨0枚。
このままでは、スライムと戦う前に空腹で野垂れ死ぬ。
「現状はな。だが、オレたちにはまだ『換金可能な資産』がある」
オレは背負っていたオークの投擲槍を肩から下ろし、手の中で弄んだ。
オークの体液と煤で黒ずんでいるが、穂先はまだ鋭い。鉄としての価値はある。
「これを売る。……初期投資の種銭を作るぞ」
オレたちは目抜き通りにある、古びた武具屋の暖簾をくぐった。
「鉄屑屋」に近い、安物ばかりを扱う店だ。ここなら、出所不明の武器でも買い叩かれるだけで済む。
頑固そうな親父が、カウンター越しに槍を受け取り、鼻を鳴らした。
「……オークの槍か。作りが粗いな。それに、穂先が少し焼けてる」
「使えるはずだ。重心バランスは悪くない」
《交渉判定:成功(Success)》
「ふん、まあ鉄の塊としてなら値はつく。……銅貨15枚だ」
足元を見た査定だ。新品の槍なら銀貨1枚(銅貨100枚)はする。
だが、交渉に時間をかけるコストが無駄だ。
「いいだろう。即金で頼む」
チャリ、チャリ……。
カウンターに置かれた15枚の銅貨。
日本円にして1500円程度。これが、オレたちの全財産にして、この街での最初の売上だ。
「ありがとうございます! これでパンが買えますね!」
リーズが目を輝かせて銅貨に手を伸ばそうとする。
だが、オレはその手を制し、銅貨をすべて自分の懐に入れた。
「待て。これは食費には回さん」
「えぇっ!? ひ、ひどいです! 私、お腹と背中がくっつきそうですぅ!」
「投資だと言っただろう。……この金で『防具』を買う」
「ぼうぐ……? 銅貨15枚で買える鎧なんて、ありませんよ?」
リーズが不満げに頬を膨らませる。
確かに、革鎧ですら銀貨数枚はする。この端金では、鍋の蓋一つ買えない。
だが、オレが求めているのは「防御力(AC)」ではない。
「耐酸性」だ。
***
10分後。
オレたちは路地裏の古着屋から出てきた。
オレの腕には、大量のボロ布と、分厚い帆布の端切れが抱えられている。締めて銅貨12枚。残金3枚。
「……トールさん。本当に、これを着るんですか?」
リーズが信じられないものを見る目で、オレの手荷物を見ている。
カビ臭い古着と、何に使われていたか分からない布切れ。衛生的には最悪だ。
「着るんじゃない。『巻く』んだ」
オレは路地裏の陰で、買ってきた布を帯状に裂き始めた。
それを、自分の腕、足、そして胴体に、包帯のように何重にも巻き付けていく。
皮鎧など装備していないオレの身体は、瞬く間にミイラのような不格好な姿へと変わった。
「スライムの武器は『酸』だ。鉄や革の鎧は、酸を浴びれば腐食して使い物にならなくなる。修理費がかさむだけだ」
オレは腕に巻いた分厚い布を叩いてみせた。
「だが、このボロ布ならどうだ? 溶けたら捨てればいい。交換コストはほぼゼロだ。……これを『積層装甲』として運用する」
「は、はぁ……理屈は分かりますけどぉ……」
リーズが引き気味に頷く。
見た目は完全に不審者だ。だが、この世界で重要なのはファッション性ではない。機能美だ。
「お前も巻け。特に足元だ。跳ねた酸で火傷したくなければな」
「うぅ……わかりました。……トールさんの命令なら、ボロ雑巾でも着ますよぅ」
リーズは泣き言を漏らしながらも、きれいな銀髪を汚さないよう丁寧にフードを被り、足元に布を巻き付けた。
その姿は、まるで着せ替え人形を失敗したかのようで、どこか愛嬌がある。
不満を言いながらも従う健気さが、彼女の最大の美徳かもしれない。
準備は整った。
オレたちは、指定された現場――裏路地の最奥にある、錆びついたマンホールの前へと移動した。
「……ここが、入り口ですか?」
「ああ。都市の『排泄器官』への入り口だ」
オレは錆びついた鉄蓋の取っ手に手を掛けた。
STR18の筋力を解放する。
《筋力判定:成功(Success)》
ギギギギギッ……!!
赤錆が舞い、数年間開けられていなかったであろう重い鉄蓋が、悲鳴を上げて持ち上がる。
その瞬間。
ブワッ!!
「うぐっ……!!」
地下から噴き出した空気が、オレたちの顔面を直撃した。
それは、単なる悪臭ではない。
腐った卵、生活排水、排泄物、そして生物の死骸が密閉空間で発酵したメタンガス。
鼻腔を焼き、喉の奥を刺すような、暴力的な刺激臭だ。
「おぇっ……! く、臭いですっ! 無理ですぅ!」
リーズが涙目になり、口元を押さえて後ずさる。
村娘の彼女にとって、この都市の闇(汚水)の臭いは、致死レベルの毒ガスに等しいだろう。
生理的嫌悪感(Disgust)。
普通の人間なら、この時点で回れ右して帰るレベルだ。
「鼻で息をするな。……浅く、口で吸え」
オレは顔色一つ変えずに指示した。
CON18の肉体は、この程度の環境負荷には動じない。
《耐久力判定:自動成功(Auto Success)》
肺の中の空気交換効率を意識的に制御し、吐き気を脳に伝達する前に遮断する。
オレはこの悪臭を、不快感としてではなく、別の情報として処理した。
濃厚な有機物の発酵臭。
それはつまり、この下にスライムの餌となる栄養分が大量に存在することを示唆している。
「いい匂いだと思わないか、リーズ」
「は、はい!? 鼻がおかしくなったんですか!?」
「いや。……これは『金』の匂いだ」
オレはニヤリと笑い、暗い穴の底を覗き込んだ。
誰もやりたがらない仕事。誰からも見向きもされない場所。
だからこそ、そこには手つかずの資源(経験値と金)が眠っている。
「行くぞ。……金が落ちているんだ。拾いに行くぞ」
オレは梯子に足をかけた。
ヌルリとした感触。鉄の棒には、正体不明の緑色の苔と、黒いヘドロがこびりついている。
手袋(ボロ布)越しにも伝わる、生理的な不快感。
だが、オレは躊躇なく降りていった。
「うぅ……お肉……柔らかいパン……お風呂……」
リーズが呪文のように欲望を口にして、自分を奮い立たせている。
彼女もまた、覚悟を決めたようだ。震える足で、梯子を降りてくる。
地下5メートル。
そこに広がっていたのは、光の届かない闇と、汚水の流れる音だけが支配する世界だった。
ピチャ……ピチャ……。
ボコッ……。
ヘドロの海から、ガスが気泡となって弾ける音がする。
足首まで沈む汚泥の感触。
ブーツ越しに伝わる冷たさと、ねっとりとした抵抗感。
「あかり(ライト)、つけますね……」
後から降りてきたリーズが、鼻をつまんだまま、くぐもった声で魔法を唱える。
ポウッ、と杖の先が光り、周囲を照らし出した。
その光景に、リーズが息を呑む。
壁一面にびっしりと張り付いた緑色のカビ。
水面に浮かぶゴミと、ネズミの死骸。
そして、天井付近に蠢く、半透明の緑色のゼリー状の物体。
【敵対種:アシッド・スライム】 反応: 生体反応(熱源)を探知 行動: 捕食・溶解 物理耐性:打撃・斬撃・刺突を無効化に近いレベルで軽減
《魔物知識判定:成功(Success)》
一匹ではない。
天井を埋め尽くすように、数十匹の群れが張り付いている。
オレたちの体温と光に反応し、それらが一斉に脈動を始めた。
「ひっ……! い、いっぱいいまずぅ……!」
リーズがパニックになりかけ、杖を構える手が震える。
剣士なら絶望する光景だ。
斬れば分裂し、突けば武器が溶ける。囲まれれば、骨まで消化される。
ここは、物理職にとっての墓場だ。
だが、オレの計算機は「勝利」の文字しか弾き出さない。
「落ち着け。……想定の範囲内だ」
オレはミイラのように布を巻いた腕を前に出し、狭い通路の真ん中に立った。
逃げ場はない。
だが、それは敵にとっても同じことだ。
「ここが稼ぎ場だ、リーズ。……仕事の時間だぞ」
頭上から、最初の一滴――粘着質な酸の雫――が、オレの肩にポタリと落ちた。
ジュッ、とボロ布が焦げる音が、戦闘開始の合図だった。




