第九話 本人は至って真面目
ピンポーン、とまるでタイミングを計ったかのように呼び鈴が鳴った。
びくりと震えたが、誰も動こうとはしない。四人の目はただ黙って俺を見つめている。
確かに、ここで来客の応対をするのは家主である俺の役目だろう。……マコ姉も小巻家の一員ではあるけれど、家を出て長いし。なんていうかあんまり任せられそうにないし。
「はいはい。今出ますよー……って、葵?」
「こんにちは、小巻くん」
「悪いけど今日は取り込んでて……」
断りの言葉を口にしかけて、突然背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
――誓って言おう、俺は今まで平々凡々な毎日を送ってきていたし、隠された能力なんかもない(憧れたことはあるけど)。至って普通の小市民の学生だ。
でも、小市民が小市民で過ごすためには必要な、ある種の予感というものがあって……。
「葵。もしかして……だけど、今日用事があるのって俺以外の人間にだったりする?」
違っていてほしい、という俺の思いとは裏腹に、葵のモアイ像みたいな横に長い目がさらに細められていく。
「小巻君のそういう察しが良いところ……僕、やっぱり好きだな。――こんにちは、小巻くん。Demetelの生みの親、ポルックス・スターです」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
葵を連れて部屋へ戻ると、五人の反応は多種多様であった。「あら、葵君じゃない」と酒臭い息で呑気に笑うマコ姉、そんなマコ姉にひっつきながら「誰、こいつ?」という不審そうな視線を向ける棗さん、警戒の色を浮かべるエリシアさんと、我関せずのまどかさん。
……そして最後に、「ひぃっ」とガタガタと震えながら視線を彷徨わせてじりじりと後退を始めた駄女神。
「あのぉー小巻くん、私ちょっとお手洗いに……」
「前に女神はトイレなんか行かないって胸張ってたくせに、何言ってんだよ。ほら、早く座れって。俺も何が何だかわからなくて早く説明を聞きたいんだから」
無理やり駄原を座らせて、葵に向き直る。
「という訳で説明してくれるか、葵。Demetelの生みの親ってことは葵はその……神様、なのか?」
口にしてみてから、その言葉のあまりのバカバカしさに笑い出したくなってしまった。それなのに胸にはぽっかりとした穴が開いたようで、泣き出したくなる。
脳裏によみがえるのは、幼馴染である葵との大切な想い出だ。
給食のグリーンピースが食べられなくてこっそり葵に食べてもらった記憶、自転車に乗って二人で海まで冒険して家に帰れなくなった記憶、好きな子の話で夜まで盛り上がった記憶――あの頃の葵には、もう出会えないのだろうか。
俺の気持ちを察したように、葵が慌てて首を振る。
「違う! いや、違わないんだけれど、僕は至って普通の人間で……」
困ったように眉を下げ、葵は首を傾げた。
「小巻くんさ、僕が前に『僕の中にもう一人誰かいる気がする』って相談したの覚えてる?」
「あったな、そういうこと」
「それがね、ポルックスっていう神様だったみたいなんだ」
驚きで言葉を失う俺に構わず、葵は淡々と続ける。
「あんまり実害もないから放っておいたんだけどね。小巻くんも『この年頃の男は誰もが陥る症状だ』って言ってたし」
「いや、あれは……!」
確かに覚えはある。覚えはあるけど、ちょっと待ってほしい。
だって「もう一人の自分」とかそんなん、絶対に中二病の症状だと思うじゃん!? まさかそんな本物の神様が幼馴染の身体に宿ってるなんて思いませんて!
なんでそんなテキトーな返事で納得しちゃってるの、葵!?
「それで……その神様がどうしたんだ」
「どうやら神様、僕の影響でアイドルって存在が気に入っちゃったらしくて。最初は僕の意識の中でアイドルを応援してただけだったんだけど、それだけじゃ足りなくなっていったんだ。アイドルがアイドルになっていくまでのすべての道のりを見守りたい、育てたいって――その結果、Demetelを作ったんだよ」
葵の説明を聞きながら、俺は先ほど思いついたばかりの「超次元アイドルプロジェクト(仮)」のことを思い出していた。可愛く拙いものを守り育て、慈しみたいという本能。これは人間に限った話ではなく、神様にもある感覚らしい。
つまりこのプロジェクト、目の付け所としては間違ってないということになるだろう(センスのない名前と言われてしまったけれど)。
成長しようと前向きに突き進む存在は、人間だけでなく神様の心まで捉えてしまうのだ。
「それにしても、神様が相手でもアイドルの布教を成功させるなんて葵は流石だな」
軽口をたたいてから、このジョークは宗教的にまずいか? と内心で冷や汗をかいた。でも、葵は「ホントそれ」とのほほんと笑う。
「とはいっても、神様……僕はポルくんって呼んでるんだけど、ポルくんは積極的に動くつもりはないんだよね。Demetelに関しても、ポルくんはただ、方向性の後押しをしただけ。今一番推してる『寸獄 かわうさ』ちゃんの活動だってほんの少し巡って来る運を良くはしていけど、それ以上のことは何もしていない。あの人気は『寸獄 かわうさ』ちゃん本人が自力で勝ち取ったんだよ。あんまり干渉しすぎるのは、つまらないしね」
「確かにその考えは随分と葵の影響を受けてそうだな」
「まぁそれ自体は賛成なんだけど、でもDemetel の課金機能くらいは使えるようにしても良かったと思うんだよね。生みの親だってのに、僕の扱いは単なる無課金ユーザー」
「それは悲しい」
二人で顔を合わせて、笑いあう。
衝撃的な告白の後で自分の知っている幼馴染「らしさ」を目にしたことで、一気に安堵感がこみ上げてきた。目の前の人物が間違いなく葵であると、実感できたからだ。
「えっ、でもそれじゃあ……」
だが、そんな俺のしみじみとした感情などまるで頓着しない声がその空気をぶち壊す。……敢えて言う必要もないかもしれない、駄女神の声である。
「Demetelの神が現実のイベントで協力できる、って話はウソってこと?」
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
葵の笑みが、少しだけ深くなる。それを見て、駄原は「ひぃっ!」と俺の背中に隠れた。
そうやって怯えるくらいなら最初から余計なことを言わなければよいのに、愚かな女神である。っていうか、なんでそんなに葵に怯えているんだ。
「せっかく死に体になってポルくんと話ができたのに、駄原さんは何も聞いていなかったみたいだね」
にこやかに言うが、さっきに比べて葵の目が笑っていない。駄原の奴、どうやら葵……もといポルックスを随分と怒らせたらしい。
僕はね、と言って葵は「超次元アイドルプロジェクト(仮)」の仮事務所(つまり俺の部屋だ)に集まるメンバーの顔を見回した。落ち着き払ったその態度は俺の知る葵とはかけ離れていて、きっと今葵の中に居るのはポルックスなんだな、と何となく察する。
その気配に呑まれたかのように、普段騒がしい顔ぶれはそろって口を閉ざす。
「僕は小巻くんが考えている『超次元アイドルプロジェクト(仮)』のコンセプトに正直、ワクワクしているんだ。事務所まるごと応援するかつてない箱推し、うるさいほどの個性が輝くメンバー、予想のできない方向性――面白いことになる、という確信しか感じられない。いろんな意味で目が離せない美人社長もまた、魅力のひとつだ」
「あら、男のくせにわかってるじゃない! おねえさまには、近寄らせないけど」
満更でもなさそうに棗さんが声を上げ、「棗さんのその返しまで含めて事務所の魅力だよ」と葵は嬉しそうに頷く。
「もちろんある程度は自分たちの力で頑張ってもらわなければならないけれど、『最上葵』としての僕は協力を惜しまないし、ポルックス・スターとしての僕も手を貸すこと自体は拒んでいない。神であるポルくんの伝手を使えば、君たちが意識している『寸獄 かわうさ』ちゃんを紹介することだってできる」
おお、と黙って葵の言葉を聞いていた聴衆たちが沸く。そんな反応を無視して葵は「でも」と言葉を続けた。
「でもそれにあたって避けては通れない、再考しなければならない問題がひとつあるんだ」
「再考しなければならない、問題?」
「そう――駄原さんだよ」
反射的に後ろに目をやると、駄原はあからさまに目を逸らして口笛を吹き始めた。なるほど、どうやらこの辺の話はすでに駄原に伝えた内容らしい。
……ていうか、口笛上手だなチクショウ。そういうときの口笛って、下手なもんじゃないのか。
「駄原が問題って……どういうことだよ」
「そうだね。たとえば……棗さん」
「なんですの?」
「棗さんはどうして、『超次元アイドルプロジェクト(仮)』に加わっているんだっけ?」
「そんなの、おねえさまの役に立ちたいからに決まってますわ! わたしが完璧で最高のアイドルになればおねえさまは私を絶対捨てませんし、すっごく褒めてくれますもの! そしてゆくゆくはおねえさまを一生私のものに……」
「うん、わかりやすくてそれでいてオリジナリティある良い動機だ。エリシアさんは?」
「私は、天歌様の補佐のためです。本来の世界の主神から、聖女として遣わされましたので」
「良いね、面白い設定だ。峯崎さん」
「ノーコメントで」
「うーん……まあ、後から明かされる過去って言うのもそれはそれでファンの期待感を煽るし良いでしょう。実際面白い事情を抱えてそうだしね。マコ姉は?」
「務めてたエリプロが突然潰れて、この機会に夢だった自分のアイドル事務所を立ち上げようと……」
言いかけて、マコ姉は「あ!」と声を上げた。
「そうか、天歌さんの物語性が問題なのね……!」
「さすがマコ姉、エリプロに勤めてただけのことはある。僕の言いたいこと、わかってくれたね」
「どういうことですか?」
話についていけないエリシアさんが、戸惑いの声を上げた。困ったようにこちらに視線を投げかけるので、力強く頷き返す。
――大丈夫、俺もわかっていない。
「アイドルを応援したくなるために必要な要素、それが物語性よ。別にそれは特別なものでなくたって良いの。家が貧乏だからお金を稼ぎたい、輝いている自分を見てほしい――そんな単純な内容でも構わない。その物語が、そのままアイドルの方向性になっていく。そしてそんな物語に惹かれ、共感した人たちがやがてそのアイドルのファンとなる。物語があってこそのアイドル、といっても過言ではないわ」
「まぁ、わからなくもないかな。でもマコ姉、それが今回の話とどう関係するんだよ?」
「ダメな弟ねぇ。少しはその頭を使って考えなさい。天歌さんがアイドルになりたい理由は何だった?」
「え? なんか駄目女神過ぎて元の世界を創世神に追い出されて、信仰を集めるまで戻れない――」
当時は荒唐無稽としか思わなかった事情をあらためて思い出し、そこで気がつく。
「元の世界に帰るためにアイドルになりたい、だ!」
口に出してみれば、駄原の何が問題なのかはおのずと明らかになる。
――そう。誰がわざわざ、夢が叶ったらここから消えていくアイドルを応援したいと思うだろうか。
「そういうこと」
しばらくして、他のメンバーの顔にも納得の色が浮かんでいった。それと同時に困惑の色も。
箱推しで一緒に育てていくアイドルには明らかに不適切な、駄原の物語性。それにどう対処すれば良いのだろう。
「それもあって僕はさっき、駄原さんに尋ねたんだよ。本当にアイドルになりたいのか、って」
「あ……当たり前じゃない! こんなに美しい私ならアイドルだって楽勝で――」
「わかった、わかった。じゃあ質問を変えよう。本当に、アイドルになって元の世界に戻りたいって思ってる? せっかく仲良くなった皆を置いて?」
「え……?」
その質問は、予想外だったらしい。必死に言い募ろうとしていた駄原の声が途切れる。
「あれ、まさか気づいてなかったの? 元の世界に帰るっていうのは、この世界での関係が切れるってこと。当然でしょ?」
「私はもちろん、天歌様と一緒に帰りますよ!」
エリシアさんが急いで言葉を添えるが、蒼白になった駄原の顔色は戻らない。
「棗さんもマコ社長もまどかさんも……」
すがるような目を俺に向け、駄原は喘ぐように言葉を絞り出す。
「信徒第一号の、小巻くんまで……?」
「さっきポル君はその話をしたんだけど」
「なんか怖い人に怒られた、としか……」
「何も聞いてないじゃねぇか」と駄原のダメっぷりにツッコミを入れたくなったが、あまりにも凹んでいる様子に言葉を失った。どうしたもんかと肩を竦めるが、適切な声掛けは思いつかない。
「それじゃ、ようやく話も伝わったみたいだし僕はそろそろ戻るね。小巻くんの友人としての僕はこれからも協力を惜しまないけれど、ポルックス・スターの助力が欲しいなら……駄原さんの新しい物語次第になる、とだけ言っておくよ」
よく考えてね、と言い残して去っていった最後のアイツは果たして葵だったのか、それともポルックスだったのか……幼馴染の俺にも、それはわからなかった。