第八話 遊月奈喩多
うわぁぁ……。
「…………ひえ、」
「あらぁ~~」
「おねえさまこわいですだきしめてそのままあなたのとりかごでわたしといっしょにくらしてくださいそしてはじめましょう(あなたと)えいえんを(わたしの)」
「なんで隣で別のホラー始まってんだよ! 奇跡が日常にでもなったのか!? もう俺何に対して怖がればいいのかわかんないよ!! 心臓いくつ必要なんだこの事務所!?」
「昌様」
「……はい」
「昌様」
「…………っす、」
ひゅぅ、まどかさんの静かな声のが怖い。
あー、なんだ。
結果から言おう。
かつて親父がトイレのお供にしていた新聞だって、まずは結論から書いて、それからその見出しに詳しい補足を付けたりしていた。こういう文章の書き方を参考にしろだなんて言ってたっけ……いや話が逸れた。
ともかく、結論から言おう。
バズるだろうと思ってエリシアさんに頼んだ駄原動画は、編集する前からお蔵入り確定だった。とてもニコニコできないし、たぶんどれだけ認識阻害の魔法を使ったところで、大半の視聴者は箱で推すより先に棺に入ってしまう。何かこう、生きとし生ける全てを本能的に恐怖させる終焉の光景がそこにはあった。
そういやエリシアさんも異世界の人だったわ。
あれで普段、すっげぇ手加減してたんだな。
そんなことをね、思ったわけっすよ。
俺の提案を受けて最初『でも……あんなんでも神様ですし、正当な理由なく殴るのはちょっと……』なんて戸惑ってたあなたはどこ行っちゃったのか──いや、さすがにあれは駄原も悪い。そう、俺だけじゃない!
迷うエリシアさんを懐柔すべくマコ姉が差し出した謎肉ドーナツを、しかもどうやらエリシアさんのツボに見事に刺さったらしく恐る恐る手を伸ばして今にも食べようと思っていた謎肉ドーナツを。
『わぁ、おいしそう! 供物は素直に受け取らないと! 神とネコは素直な方がいいと、この世界で学びました!』
タチだって素直に越したことねぇだろ!
そんな指摘が追い付く前に、そしてエリシアさんの手が触れるまさにその直前に、駄原は特に躊躇する様子も見せずに横取りしてしまったのだ。
おいおい何してんだよ……そう諌めようとした俺は、冗談抜きで異様な寒さを感じることになる。あの寒さは何だろう……コキュートス、ニブルヘイム、ツンドラ、ツンデレ……どんな語彙も追い付かない寒さだった。
『天歌様♪』
『ふぉい?』
『ちょっと、お外出ましょうか♪』
俺、知らなかったんだ。
エリシアさんには嫌いなことがふたつある──ひとつ、世を腐らせる悪党狼藉者。ひとつ、人の好物を横取りする神。
知らなかったよ……神様の身体って、あんな状態からでも復元するんだ。すっげ、怖。
結果は、もうお察しの通りである。
最初のうちは近所の悪ガキたちのステゴロでも観戦しているみたいにはしゃいでいたマコ姉も、とうとう声も小さくなり震え始め。
そんなマコ姉にぴったり寄り添った棗さんは、どさくさに紛れてマコ姉に人生あげたいだの弱ったところを閉じ込めたいだの一方的に囁き始め。
そんな中、まどかさんだけは至って冷「昌様? おふたりを止めませんと」……そうっすね。
現実逃避してても仕方ないか。
さすがに俺ひとりで止めに入るのが怖すぎたのでまどかさんに手を握っていてもらい、十分……いや十二分な深呼吸をしてから「あ、あのぅ」と声をかける。ふ、震えなかっただけ上等でい!
「はい?」
モザイク必須な光景のなかで見る可憐な笑顔。
うーん、プライスレス!
「と、とりあえず、撮れ高とかその、あれなんで、ここらで」
「エリシア様。せっかくですが、今の撮影シーンはお蔵入りでございます。バズる目的からも箱推し目的からも大きくて逸れてしまいましたもの」
「おぉっ、……お、おん」
えらいハッキリいったな!?
と思いつつ、そもそもまどかさんの言った『グループの仲のよさ』『全員推したい!と思わせる』箱推しからはだいぶ逸れていたことに思い至る。
そうだ、信仰を集めて神様に戻る安直な理由で、しかも自分の美貌でイチコロだとか思い上がっている駄原の思うアイドル路線はともかく、アイドルを推すことに関して真摯で、しかもここまで俺たちに協力してくれているまどかさんの思うアイドル像から逸れるのは、さすがに不義理かも知れない。
……反省!
「昌様。私の肩に手を置く前に、まずはおふたりを呼んできてください。すっかり放心状態のまま置いておくと、今後芸能活動始めたときスッパ抜かれますよ」
「スッパ……?」
俺の語彙力ではすっぱム○チョやスッパマ○くらいしか思い浮かばないが、まどかさんの表情や今の状況から考えるに、たぶんパパラッチ辺りが俺たちの弱みになる写真や動画のひとつふたつを回しかねないってことかも知れない。
確かに、あの終焉の光景が世に出回れば、『超次元アイドルプロジェクト(仮)』は活動前から終わってしまう。急いで回収しないと!
「マコ姉と棗さんはとりあえずエリシアさん連れてきて! 俺は……うわ、まどかさんも来てもらっていい……かな?」
ちょっとこれ……健全な男子高校生にはなかなか目に毒なんだわ。
もちろん駄原はそもそも見た目だけなら完璧で理想的な美少女で、そんな子が俺の目の前で倒れている様子だけでも普通に刺激的なんだが、さすがに人の形をしたモノが破片から復元してる最中の光景って、別方面に刺激的じゃん?
「昌様、震えていないでしっかり回収なさいませ。今日エリシア様との撮影で見た限りだと、きっともう少ししたらちゃんと寄せ集まりますから」
「そうかな……そうかも……」
とてもお茶の間に流せないビジュアルになった駄原を回収するが、どうにも手が震える。だって俺、駄原に絡まれるまでは『普通』が群雄割拠して暴れまわるくらい普通の男子高校生だったんだからさ。
「どうか落ち着いて。そんな手付きでは、拾えるものも拾えません。少しリラックスできるおまじないを致しましょうか」
この状況で冷静に駄原を拾い集められるまどかさんが凄いのでは……とは思ったが、せっかくなので厚意に甘えることにした。
べ、別に!? 『おまじない』の内容に変な期待とかしたわけじゃないんだからな!!? とはいえ、少しだけドキドキしながら頷くと。
Alas , my love , you do me wrong
To cast me off discourteously
静かで、柔らかく、それでいてどこか強い意思を感じさせる歌声。まるで寝付かない子どもをあやすように優しく静かに歌い上げられるその歌には、妙な懐かしさがあって。
気付けば手の震えはすっかり止み、俺たちは無事に駄原を袋に詰め終わっていた。
主人相手にとんでもないことをしたと頭を抱えるエリシアさんの介抱をするマコ姉たちと連れ立って帰る道すがら、袋の中身に気を配りつつ、まどかさんに話しかけた。
「……さっきの歌、グリーンスリーブスだっけか。ありがとう、ちゃんと聴いたの初めてだったけど、なんか妙に癒されるというか、……すげー落ち着けた。まどかさん、歌めちゃくちゃ上手かったんだな」
「────」
その一瞬。
まどかさんは、妙な顔をしていて。
「恐縮です」
次の瞬間にはここ最近ですっかり見慣れた柔和な顔に戻ったものの、その瞬間の少し苦しそうな、まるで今にも泣き出してしまいそうな顔が、妙に胸につかえた。
そして駄原は程なくして元通りになり、背負っていたずだ袋を突き破って俺の背におぶさる形になったわけだが。
「なぁーんか、気に入りません!」
「あ?」
やめてくれ。
何が気に入らないのか知らないが、その弾力豊かな刺激物を俺の背中に押し付けるのはやめてくれ。こう見えて俺、普通の男子高校生なんだよ。
「な、なぁ~……ごほん! 何が気に入らないのさ」
思わず上ずった声を誤魔化しながら尋ねると、耳元で拗ねたように「小巻くんは私の信者ですからね、余所に信仰を取られるわけにはいきません」と呟かれる。
……。
「はぁっ!!???」
「わぅ、」
おーいおいおいおい!
おーいおいおい何言い出してくれちゃってんのこの駄女神サマは!?? それ! それさぁ!! それラブコメだと告白とかに準ずる台詞なんだわ!!
いやこいつけっこうアホだから違うかもだけど!?
それでもさ! クラスでも……いや学校でもトップクラスの美少女からそんなこと言われたらさぁ!
俺!!
普通の男子高校生!!
そういうの免疫ないの!!!
「……、びっくりしたぁ。聴覚を遮断しなかったら鼓膜破けてましたよ? 小巻くんだけに鼓膜攻撃が得意ってことなんですか?」
ほらね!!!
当の本人……当柱?はそ知らぬ顔だ!
「どうしたの昌、顔赤いぞ~?」
「いきなりさけぶなんてやっぱり男はがいあくねぇおねえさまやっぱりわたしとふたりのせかいにゆきませんかおねえさまにならわたしのじんせ、」
「静音、ステイ」
「わふん♡」
相変わらず沈みモードのエリシアさんを担ぎながらじゃれ合いつつちょっかいをかけてくるふたりへの返事に困っていると、駄原が「あれ?」と言う。
「もしかして皆さん、気付いてないんですか?」
「何によ」
尋ね返した俺を猛犬でも見るような目付きで一瞥してから、駄原はまどかさんを指差して。
「そこの峯崎さんって、私の同業者というか商売敵というか……何のかはわからないけど、神様に限りなく近い何かですよ」
「神様?」
まどかさんが?
隣を歩いていた顔を見ると、まどかさんはどこか気まずそうに目を伏せていて。決して察しのいい方ではない俺でも、その反応はさすがに見過ごせなかった。
「へぇ、神様がふたり在籍してるアイドル事務所……面白いじゃん」
かける声に迷っていたとき、マコ姉が笑った。
うわ、なんか飲んでる! なんてこった、マコ姉が取れない高所に酒は隠したはずなのに!
「棗さん……?」
「うふふふふやはりこのえがおこのまぶしさこのじしんおねえさまはこうでなくては」
……飲ませたな、この人。
恍惚のアイドルポーズをしている棗さんに何か言いたい気持ちもあるが、それより先に駄原が口を開く。
「そうだ、さっきデメキン?の神様にも会いましたよ」
「デメキン?」
確かにこの国は神と仏、悪霊と物の怪が肩を寄せ合い住んでる国だ。確かにデメキンの神がいても不思議ではないが、なんで今その話を? ていうかさっきまでエリシアさんに……ぅ、思い出したら、やば……。
「ほら、この世界って死んでると神様に会えるじゃないですか。そのときにデメキンの神様と会って、あのアプリを作った事情とか聞いたんですよね」
「!!?? それは真でございますか!?」
突然食いつくまどかさん。
あれ、デメキンってもしかして人気?
「昌様、恐らく天歌様の仰っているのはDemetelのことでございます! 現代のアイドル稼業をやるうえではいずれ接触しなくてはいけないと思っていましたが、まさか向こうから……!」
うお、すげぇ興奮してるのが伝わってくる。
そういえばエリシアさんも言ってたもんな、Demetelは神の干渉で作られていそうだし、更にいえばさっき駄原が粗相をやらかした寸獄かわうささんも神の手が入っているとか……。
あれ、もしかして俺、なんか転校生のアイドルデビュー応援と見せかけて、もっと壮大な何かに巻き込まれてきてない?
「そーそーデメテル! 顔は隠してましたけど、あれは間違いなく神様でしたね。この私が不覚にも気圧されましたもん」
「えぇ、天歌様が!?」
わぁ、エリシアさんが突然起きた!
慌てて起きたものの、俺たちの視線に気付いたのだろう。少し恥ずかしそうに咳払いしてから、「それは……偶然とは思えませんね」と落ち着いた声音で呟く。
「それで、Demetelの神様が何の用だったんだ?」
「よくぞ訊いてくれました小巻くん、さすがは私の信者♪」
……くっ、可愛いけど、うぜぇ。
可愛いけど! 可愛いんだけどさ!!
何だこいつ!!!
「小巻さん、声に出てますよ」
「え?」
……俺は、貝になりたい。なる……。
「もーいーですかぁー?」
俺がビスケット・○リバのように丸くなっていると、痺れを切らしたらしい駄原が子どもみたいな声を出し始める。
そして誰の返事も待たずに話し始めたのは、予想だにしない内容だった。
「なんかデメテルの神様、現実のイベント会場もいくつか手を回せる方らしくて。協力するか決めるために、今からここに来るみたいですよ」
……え?




