第六話 緋山宥
「この配信者……神の手が入ってますね。いえ……そもそも……このアプリ自体……? 神の干渉を受けて作られたものかと……」
首を傾げながら、神妙な顔でエリシアさんはぽつりとつぶやいた。え? どういうこと? この寸獄かわうさって人が神に関わってる? アプリ自体が神の干渉を受けてる? 何言ってんだ? そもそも画面で少し見ただけでそんなことわかんの? もしかして駄原がこの人のこと誘いたがってたのも本当はそれが理由なのか?
戸惑いながら駄原の方を見ると、駄原は今この場にいる誰よりも呆けた顔をしてぽかんと口を開け、せっかくの綺麗な顔が台無しになるくらいのアホ面を作り出していた。
ああ、こいつ何も気づいてなかったんだな。
「天歌様も当然気づいてたんですよね?」
エリシアさんの言葉に駄原はドキッとした様子だった。
「と、当然よ。わたし、これでも女神なのよ?」
わかりやすい嘘だ。こいつ絶対に何も考えてなかっただろ。
「おねえさまさっきからかみだとかなんだとかどういうことですかおねえさまいがいにかみなんているわけないじゃないですか」
一人全く現状を何一つとして受け入れられていない棗さんがそもそもの疑問をマコ姉に投げかけた。よかった。ただの変な人じゃなくて。一応まとも? な人間のラインはもっているみたいだ。
「あれ? 言ってなかったっけ? 駄女神ちゃんは本物の女神だよ」
「へ?」
当然のように放たれたマコ姉の言葉に棗さんは思考停止し、固まってしまった。あーあ、壊れちゃったよ。
「そんなことより駄女神ちゃん、どうやってその寸獄かわうささんを誘うんだい?」
マコ姉の問いかけになぜか駄原は自信満々にでかい胸を張っていた。
「ふっふっふ、これを見てください。どうやらこの叡知の結晶を使えば直接連絡を取れるみたいでして、わたし、昨日の夜に早速メッセージを送っておきました」
そうして改めて駄原が差し出した画面は寸獄かわうさとのSNSのDMの画面だった。そこには簡単な挨拶もなしに急に上からスカウトするようなメッセージが駄原から送られていた。
『あなたをわたしの信徒候補としてアイドル活動の一員に入れてあげます』
ああ、終わった。こいつただのアホだと思ってたら間違いだった。トップオブ馬鹿だ。
何もかもをも通り越し、三周くらい回って呆れしか出てこず、言葉を失った俺の隣で、俺と同じように駄原の差し出したスマホの画面を見ていたエリシアさんは少し青ざめた様子で言葉を失っていた。それもそうだ。ここまで自分の主人がハチャメチャだとそりゃあこんな顔をするしかないだろうな。
俺はエリシアさんのことを気の毒に思いながら、エリシアさんの肩に手を置き一言呟いた。
「エリシアさん、手加減なしでやっちゃってくれ」
「……はい」
ゆっくりとエリシアさんは駄原の肩を掴み、プロボクサー顔負けのボディーブローを駄原に叩き込んだ。
「ぐほえ!」
駄原はわけがわからないと言った顔で呻きながらその場に蹲った。
「天歌様、どうしてあなたはそんなに馬鹿なんですか? 私、昔から何度も言ってますよね? 最低限の礼儀とか常識は身につけてくださいって。それなのに、いったいこれはなんなんですか?」
「ワタシナニモワルイコトシテナイヨ……」
駄原、それはさすがに無理があるぞ。多分これじゃ、了承はおろか、返事すら来ないんじゃないか? 俺はため息をつきながら床に落ちた駄原のスマホを拾い上げると、そのタイミングでスマホが鳴り、画面には通知が映し出された。
「マジか……」
なんと画面に映し出されていたのは寸獄かわうささんからのメッセージだった。俺はすぐにDMの画面を開いて返信を確認した。
『何を言っているのか全く分かりませんし、その提案に乗るメリットが私にはないのでお断りさせていただきます』
丁寧なお断りの文面だった。きっと優しい人なのだろう。俺は無言でその返信を駄原に見せた。
「そんなあ……」
駄原は結構本気で落ち込んでいる様子だった。意外だった。こういうのでダメージ受けるんだな。
「小巻くん、どうにかなりませんか?」
半分泣きそうになりながら駄原は縋るように俺を見つめてきた。ごめん駄原、これはもうどうにもならないと思う。
とりあえず何か慰めになるような言葉を掛けようとしたときに訪れた一瞬の静寂を地鳴りのような音が切り裂いた。音の出所を探ると、それは顔を赤くし、恥ずかしそうにお腹をさする駄原だった。
「お腹がすきました」
駄原、お前さっき俺のお菓子大量に食ったばかりだよな?
「あ、もうこんな時間か。昌、何か晩御飯作ってきてくれない?」
時計を見てからマコ姉は俺に向かって言ってきた。え、めんどくさい。
「小巻くん、ありがとうございます」
お前は遠慮というものを身につけろ! 心の中でそう叫んでから俺は渋々といった形で部屋を出てキッチンへと向かった。
「小巻さん、お手伝いします」
エリシアさんが少し申し訳なさそうについてきていた。
「エリシアさん、ありがとう」
そこから俺とエリシアさんは人数分の簡単な晩飯を手分けして作っていった。時間にして三十分くらいだろうか。作り終わった人数分の晩飯を持って部屋に戻るとなぜか部屋の中からは酒の匂いがした。まさかと思い、マコ姉の方を見ると案の定マコ姉は酒を手に持っていた。コンビニとかに売っている、ワンカップのあれだ。なぜこのタイミングで飲んでるんだと思い、咎めようとしたところで、俺の視界の端に見てはいけないような景色が映ってしまった。
「おい、嘘だろ……」
そこにはマコ姉と同じように酒を片手に持ち、勢いよくその中身を飲んでいる駄原がいた。何してんだこいつは!
「駄原、お前、まさかとは思うけど酒飲んでないよな? お前一応まだ高校生だぞ?」
「小巻くん、何言っているんですか? 見てわかるでしょう? これはお酒ですよ? それに、わたしは女神ですよ? お酒なんて飲めるに決まっているでしょう?」
俺は困惑して助けを求めるように後ろにいたエリシアさんの方を見ると、エリシアさんは酒を飲んでいる駄原を見て絶句しながらも俺が思っている疑問に答えてくれた。
「一応、私達は人間でいうところの二十歳は越えています。もっと言うと百歳を軽く超えているんです。まあ、神としてはこれでもかなり若いほうなのですが……。それより、困りましたね。天歌様、お酒はかなり弱いんです。今までお酒を飲んで何も問題を起こさなかったことがないくらいなのですが……」
え? じゃあ、今のこの状況、不味くない? 何されちゃうの?
「ちなみに今まで起こした問題ってどんなことを……?」
過去のことを思い出してか、エリシアさんの顔から血の気が引いて行った。あ、これ、本当に駄目な奴だ。そんな俺とエリシアさんを横目に、駄原は勢いよく酒を煽っていく。おい、それ、酒弱い奴がしていい飲み方じゃないだろ!
「駄原、ストップ。それ以上は飲むな」
俺は駄原の手から酒を取り上げようとしたが、駄原はものすごい力で抵抗してくる。
「ちょっと、何するんですか! これはわたしのお酒です! 一滴もあげません!」
困った。これ多分俺じゃどうにもできないやつだ。どうしよ。助けを求めようとエリシアさんの方を向くと、俺の言おうとしていることが伝わっていたらしい。エリシアさんは本日二度目のボディーブローを駄原にお見舞いしていた。頼もしいなあ。
「ドウシテ……」
恐らくさっきよりも力が強かったのだろう。駄原は呻き声と共に眠りについた。エリシアさんは意識を失った駄原の手から酒を奪い取り、残りを一気飲みしてからになった瓶を机の上に置いた。
「申し訳ありません……」
改めて思った。この人大変なんだな。それより、エリシアさん、酒の飲み方豪快だったな。
そこからは強制的に眠りについた駄原を放置して残りの俺、エリシアさん、マコ姉、棗さんの四人で特にこれといった会話もなく、気まずい空気の中で晩飯を食べた。
少し時間が経ち、丁度四人が食べ終わった頃に駄原は音もなく起き上がった。
「お、駄原、起きたか。これ、まだあったかいから自分の分食べろ」
駄原は何も反応を返さずに俺の背後に回り込み、急に俺に抱き着いてきた。は? え? 急に何してんのこの人。突然の事態に困惑する俺。背中には柔らかい感触が嫌と言うほど伝わってくる。
「駄原、さん?」
「小巻君に素晴らしい魔法をかけてあげましょう」
え? 魔法? それ不味くね? つい最近のろくでもない記憶が蘇る。俺もしかして砂にでも変えられるのかな?
自分の最期を悟り、軽く走馬灯が流れてきたタイミングでなぜか駄原は吹っ飛んでいった。ああ、エリシアさん、ありがとう。あなたは俺の命の恩人だ。
「危ないところでした。あと少し気づくのが遅れていたら、小巻さん、一生天歌様の奴隷になるところでした」
ほっと胸をなでおろすエリシアさんと意識を完全に失った駄原を見て、俺は冷や汗が止まらなかった。何恐ろしいことしようとしてんだ。とりあえず俺は駄原に酒を与えた不届き者にげんこつを入れておくことにした。
「痛い! 何するのさ!」
「こっちのセリフだ馬鹿!」
マコ姉は頭を押さえながら言い訳を口にした。
「だって、あんなに落ち込んで酒飲ませてくださいなんて言われたら断れないよ。ヤケ酒って必要なときの方が多いんだよ?」
落ち込んでいた、か。なんだか段々と駄原が可哀そうに見えてきた。きっとあいつなりに考えて行動した結果だったのかもしれないな。
「はあ、しょうがないなあ……」
俺は自分のスマホを手に取り、初めてのアイドル事務所らしい仕事に取り掛かることにした。新しいSNSのアカウントを作り、とある人にDMを送る。これが駄目だったらあとはもう別の方法を考えるしかない。
返信は俺がメッセージを送ってから五分も経たないうちに来た。その内容はある意味予想外の者だった。
「エリシアさん、今すぐ駄原のこと叩き起こせる?」
いち早くこの内容を駄原に伝えてやらなければ。