第二話 アホリアSS
後書き部分に挿絵があります。
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俺は小巻 昌。
特に目立つところのない、どこにでもいる一般的な男子高校生だ。
最近、同じクラスに転校してきた女の子から奇妙な頼み事をされた。
その子は『アイドルになりたい』という。でも、彼女はアイドルのことをまったく知らないようだ。
かくいう俺自身も、アイドルになる方法なんて詳しくは知らない。
しかしまあ、『協力してもいい』と宣言した以上、やれるだけやってみよう。
こういう時は詳しい人に聞くのが一番だろう。
休日の昼過ぎ、俺は駅前のタワーマンションに向かった。
お日様の光をさえぎるビル群の間を抜けると、そのマンションが見えてきた。
エントランスでインターフォンを鳴らし、扉を開けてもらう。
エレベーターで階を上がり、何度か来たことのある友人の部屋を訪れた。
「小巻くん。飲み物はオレンジジュースでいいよね」
部屋に通された俺に、友人の葵がジュースの入ったコップを差し出してきた。
こいつは最上 葵。中学時代の友人で、筋金入りのオタクだ。
体格はがっちりしていて、顔つきはなんとなくイースター島のモアイ像を彷彿とさせる。
その図体に似合わず、おとなしい性格をしている。
高校は別々になったが、休日には時々遊びに行く仲だ。
たまに遊びに誘うと「今日は推し活だから無理」と断られることもある。
今日は、その推し活について聞こうと電話をしたら、「今から僕の家に来てね」と呼ばれたのだ。
葵はスマートフォンを取り出し、画面を見せながら言った。
「今日はこれで推し活をやるよ。小巻くん、ブイチューバーって知ってる?」
「いや、聞いたことはあるけど、よくは知らないな。たぶんワイチューバーの一種だろ? キャラクターの顔でしゃべってる動画を見たことはあるけど」
「半分正解かな。小巻くんも知っている通り、ワイチューブはネットでいろいろな動画を投稿できるプラットフォームだよ。ワイチューブで配信するのがワイチューバーだね。リアルタイムで実況もできるから、視聴者のコメントを見ながら配信もできるんだ。自分の写真や似顔絵の代わりに、架空のキャラクターになって配信するのがブイチューバーだ。これはワイチューブを使わずに、他の専用アプリを使うことも増えてきたんだ」
葵はスマートフォンでDemetelというアプリを起動した。
「Demetelはブイチューバー用アプリのひとつだよ。ワイチューブはパソコンでも観られるけど、Demetelはスマートフォン専用なんだ。配信者と視聴者が同じアプリを使うんだよ。配信者はアバターという自分の分身になる立ち絵を使って配信するんだ。じゃあ、実際に見てみようか」
スマートフォンの画面には、キャラクターの絵が描かれたアイコンがずらりと並んでいる。
この一つ一つが今まさに配信をしている人たちだそうだ。
「僕が推している配信者の一人がこの人だよ。寸獄かわうささん」
葵が指さしたアイコンには、頭にウサギの耳がついたキャラクターが描かれていた。
アイコンをタップすると、画面が切り替わり、女の子の絵が大写しになった。
『あ、ポルックスさん。来てくれてありがとう。こんかわー!』
画面の中の女の子がにっこり笑った。
頭のウサギ耳や銀色の髪が自然に揺れていて、まるで本当に彼女がそこに存在しているような錯覚を覚える。
ちなみに、葵はこのアプリの中では「ポルックス・スター」と名乗っているらしい。
「ブイチューバーの配信では、独自の挨拶が多いんだよ。かわうささんは『こんかわ』っていう挨拶なんだ」
葵は画面下のコメント欄にメッセージを書き込み始めた。
その様子を見て、俺はネットゲームのチャット機能を思い出した。仕組みとしては似たような感じだな。
このDemetelでは、配信者の声だけが視聴者に届き、視聴者側は文字を入力してコミュニケーションを取る。
配信中、時々かわうささんの顔が画面でアップになる。
その表情はころころ変わる。少し怒った顔や困り顔、にっこり笑った顔と、自然に変化していった。
しばらくコメントのやりとりが続いた後、かわうささんが歌い始めた。
それは俺も知っている、アニメ映画の主題歌だった。
「多くのブイチューバー用アプリもそうだけど、Demetelには投げ銭の機能があるんだ」
葵が画面を操作すると、かわうささんの絵の前に花束のイラストが表示され、それが光に包まれる演出が施された。
「視聴者はあらかじめ投げ銭用のポイントを購入しておくんだ。そして、今みたいにポイントを利用して贈り物を贈れるんだよ」
「なるほどな。それが配信者の収入になるのか?」
「間接的にね。贈り物の点数に応じて配信者側に独自のポイントがついて、それを換金できるんだ。他にも配信者のレベルに応じて、配信時間ごとの報酬も支払われるんだ。配信者のレベルは贈り物の獲得数の他、配信する頻度や時間、視聴者数などで決まるんだ」
「ふむふむ。なるほどね。贈り物が多いと、配信者の収入も上がるってことか」
彼女の歌が終了すると、葵はかわうささんに『おつかわー』と挨拶してその場を退出した。
『おつかわー』も独自の挨拶だそうだ。
「これがブイチューバーのアプリだよ。おもしろいでしょ」
「ちょっと待て、葵。さっきアニメソングを歌ってたけど、著作権の使用料はどうなるんだ」
「それはDemetelの運営側が立て替えてくれるんだ。配信者は、音楽の著作権協会のコードを申告する必要があるけどね。逆に言うと、著作権協会に登録されている楽曲か、自作の曲しか使えないってことだね」
「なるほど。ちゃんと考えられているんだな。ところでこのアプリを使うにはどのくらいの費用がかかるんだ?」
「高額な投げ銭を使わなければ、誰でも無料で利用できるよ。贈り物用のポイントは、視聴者が特定の条件を満たした場合でも少しだけもらえるんだ。利用者の多くは無課金だよ」
「ふうん。無料でも配信を視聴してメッセージを入れることもできるんだな」
「そういうこと。じゃあ、こんどは僕が実際に配信をやってみるね」
葵が操作すると、スマホの画面にイケメン男性の立ち絵が表示された。
これは配信前のテスト画面らしい。
ところで、この立ち絵は一体誰だ? ホストクラブの接客員か?
葵の見た目とはずいぶんと違うぞ。
その立ち絵は葵の動きに合わせて動いた。目のまばたきや、口の開け閉めまでしっかり反映されている。
これはすごいな……と思ったが、さっきの女の子の絵とは、動きかたが違うのに気づいた。
「なあ、葵。この絵は目と口以外は動かないのか?」
「この立ち絵はDemetelの標準的な仕様なんだよ。配信者が、正面を向いたキャラクターの一枚絵を用意すれば、目と口を自動で動かしてくれるんだ。ほとんどの配信者はこういう絵を使っている。だけど、かわうささんのは特別な動画システムを使ってて、設定した各パーツが動くんだ。そっちのはブイチューバー事務所の配信者がよく使うかな」
「へえ……。じゃあ、かわうささんは事務所に所属しているのか?」
「いや、かわうささんは個人の配信者だよ。Demetelのイベントで勝ち取った特典で、立ち絵をカスタマイズしてもらったんだ」
なるほど……と言いたいところだが、正直言ってよくわからん。
葵が準備を整え、配信を始めた。
スマホの隣に置いたパソコンで明るい曲調のBGMを流し、三十分限定のゲリラ配信を告知する。
開始して1分もたたないうちに視聴者が入室してきた。
最初に入ってきたのは『祢魔岬ミドカ』という名前の人だ。
ミドカさんは『急に配信が開始されたので、ビックリしたでございます。でも声が聞けてうれしいでございます』とコメントしている。
次々と入ってくる視聴者がコメントを寄せ、葵はそれにテンポよく応答していく。
いつものオドオドした感じの葵とはまるで別人だ。
もしかして、こいつ声優にもなれるんじゃないか?
予定時間が来ると、視聴者の名残惜しむ声を受けながらも、配信を終了させた。
「お前、よくあんなに大勢を相手にできるな。普通にすごいぞ」
「ははは……画面越しだからだよ。リアルで対面だったら無理だと思う。今回はDemetelで説明したけど、スマホで配信できるブイチューバーのアプリはいくつもあるんだ」
そう言って、葵はパソコンの画面にいくつかのアプリの紹介サイトを表示させた。
立ち絵に平面のイラストを使うのがDemetelの特徴のようだな。他のアプリだと擬似3Dのキャラクターが多いみたいだ。
ブイチューバーか……。駄原のアイドル活動にも応用できるんじゃないか?
先にブイチューバーとして名前を売っておくのはどうだろう。ファンを増やしつつ、おしゃべりにも慣れておく。
それからリアルアイドルとしてデビューするという手もあるかもしれない。
「ねえ、小巻くん。急に僕の推し活に興味をもったのは、小巻くんの学校の転校生に関係があるの? その子がブイチューバーになりたいとか」
「ん? 耳が早いな。実はそうなんだ。うちに転校してきた子がアイドルになりたいみたいなんだ。葵はアイドルにも詳しいだろう」
「アイドルかぁ……。中学生の頃は少し追っかけをやってたけど、今はそんなに詳しくないんだ。友達ですごく詳しい子がいるから相談してみるね」
あれ? 俺はその時の葵の表情に違和感を感じた。
「なあ、もしかして、アイドルに詳しい友達って、俺が知っているやつか?」
「今はノーコメントだよ。もし、小巻くんがその子の芸能活動に協力するなら、守秘義務にも気を配った方がいいと思うよ。時にはウソをつく必要もあるから」
「あ、すまん。確かにそうだな。協力が得られるといいな」
俺は葵と少し話をして、マンションを後にした。
帰り道、俺は駄原天歌に電話をかけた。
すると、話を聞きたいから家に来てほしいと言われた。
俺が指定された住所につくと、年季の入った古いアパートが目に入った。
サビの浮いた外階段を上るとギシギシと音を立てる。
そして、駄原の部屋に通された。そこにはもう一人、落ち着いた感じの女性がいた。
建物のみすぼらしい外観とは異なり、部屋の中はきれいに整頓されている。
「へえ、駄原の部屋ってきれいに片付いているんだな。なんか見直したぞ」
「まったく……小巻くんは私のことをなんだと思っているんですか」
先日クラスメイトになった駄原 天歌は、ほほを膨らませて不満そうに言った。
「あ、すまん。失礼な言い方だったかな」
「私にお掃除なんかできるわけないじゃないですか。すべて、こちらのまどかさんにやっていただきましたの」
もうひとりの女性がぺこりと頭を下げた。
おい、さっき感心した俺の立場は?
女性は峯崎 まどかと名乗った。
なんか覚えのある名前だな。どこかで聞いたような……
俺はDemetelというブイチューバーのアプリのことを二人に話した。
駄原は興味をもったようだが、まどかさんは首を横に振る。
「面白いアイデアでございますが、わたくしが思うには順番が違うのでございます。たしかにアイドルや芸能人でネット配信を併用している人はいます。ただ、それはオフラインでの芸能活動で、ある程度名が売れてからやるものでございます。それにネット配信は個人のアカウントではなく、芸能事務所の公式チャンネルの中でやるものでございますので、Demetelというアプリでは実現しずらいですね」
「そうか。所属する事務所の方針もあるんだ。……あれ?」
まどかさんの話し方って、葵の配信中のコメントに似ているような。
「まどかさん、もしかしてミドカって名前で、Demetelでの葵の配信に来てなかった?」
「プライベートに踏み込むのはご遠慮していただきたいでございます。ただ、今回の答えはイエスでございます」
「そうなの? でも意外だな。あれって立ち絵はかっこいいけど、中の人は……」
「中の人などいませんっ。……いえ、失礼したでございます。決して小巻さんのご友人を悪く言うわけではありませんが、ポルックス様と最上様は別人格でございます!」
先ほどまでのクールな印象とは裏腹に、まどかさんは断固とした口調でそう言い切った。
まどかさん、Demetelに詳しいなら、最初から駄原に教えてればよかったんじゃないのか?
でもよく考えてみると、まどかさんの主張は的を射ているような気もする。
俺は、普段とは豹変したまどかさんの様子にオロオロしている駄女神を眺めた。
実際の中身は別として、ファンの理想のキャラクターを演じ切るのが、ほんとうの偶像というものではなかろうか。