第十話 りん
重苦しい空気。
口を開くことが、憚られる。
今までなら、こんな空気になっていても、空気を読めない駄原が無意識に変えてくれただろう。
だが、頼みの駄原は。
「…………」
ポルックスの言葉が、余程効いたのだろう。
顔を曇らせたまま、何も言わずに考え込んでいる。
……正直、俺にはどうにもできない。
どうあれ、駄原が神様に戻りたいと考えている限り、別れは避けられない。
今まで無意識に考えないようにしていた事実は、俺の心にも影響を及ぼしていた。
流石、神様という奴は人心を弄ぶのが上手である。
「……今日は、一旦解散にするか」
少なくとも、この問題が今日中に片付くことはないだろう。
他のみんなも、この空気の中で会議を続ける胆力はなかったようだ。特に異議が出ることはなく、ぞろぞろと部屋から出ていった。
部屋に残ったのは。
「あー……駄原さん? 帰らないの?」
我ながら、薄情な言葉が出たなと思った。
駄原に寄り添うように部屋へ残ったエリシアから、非難するような眼差しが飛んでくる。
「帰る……小巻くんは、私に帰れって言うんですか……?」
「……駄原さん?」
「元の世界に帰れって、そう言いたいんですか」
「駄原さん、それは」
違う、と言おうとして。
潤んだ瞳を見て、息が止まった。
「っ!」
バッと立ち上がった駄原は、俺のお望み通りに部屋から出て行った。そしてエリシアもまた、俺にペコリと一礼をして駄原を追いかけて行く。
部屋に残ったのは、俺一人だけだ。
「はー……っかしいな……」
この物語はコメディの筈だったのに、どうしてこんなシリアスになっているんだ……?
なんて、くだらない与太が過ってしまう程度には、俺もメンタルをやられてしまったらしい。それほどに、駄原の涙というやつは、俺には衝撃だった。
「どうしたもんかな……」
現実逃避気味に、俺は駄原の物語について考えてみる。
『消えることが分かっているアイドルを推すことはできない』
引退しないアイドルなど居ないし、もっと言えばファンに全てを説明すべきなのか。などなど思うところはあるが、葵やマコ姉がそう言うならそうなのだろう。
俺にだって理解はできる。
サービス終了が決まったゲームに課金する奴が少数派なのは、言うまでもなく明らかだ。
推し活というのは、物質的に残るものが少ない。ライブなどはもちろんそうだし、グッズも本質は思い出の保存に近いだろう。
そういう意味で、この二つは近しいものがある。
もしもゲームなら、売り上げによっては長く続くだろう。アイドルだって引退したら死ぬわけじゃない。人気によってはテレビなんかにも出る。
俺たちは、形を変えて推し続けることができる。
だが、駄原は?
アイツも死ぬわけじゃない。この世界から消えるだけだ。けれどそれは、ファンにとっては死ぬのと大して変わらない。
繋がりが切れるというのは、そういうことなのだ。
「繋がり……ん?」
ぼんやり頭を回していると、電話が鳴った。
着信は、葵から?
「もしもし、小巻くん?」
「そうだけど、どうした?」
さっき伝え忘れたことでもあったのだろうか。
「急にごめんね。今、Demetelを見られる?」
「見れるけど……」
スマホは通話中だが、タブレットがある。
アプリはマコ姉が勝手に入れていたので、配信も問題なく視聴できる。
「で、誰を見れば良いんだ?」
「『寸獄 かわうさ』ちゃんのチャンネルだよ」
言われるがままに配信を開く。
そこに映っていたのは。
『みんなー! 次の曲、行くよー!』
歌って踊る、正しくアイドルがそこにいた。
以前観た、平面的な動くイラストとは違う。
肉ではなくデータで構築された、しかし現実に在る人間と遜色ない。
俗に3Dと呼ばれるVtuberの形態で、寸獄 かわうさは視聴者を魅了していた。
「これは……」
「少し前から話をされていてね。ポイントを使って3Dモデルを用意できないかって」
軽やかなステップ。
艶のある歌声。
素人目から見ても、間違いなく素晴らしいパフォーマンスだ。
「すごいでしょ」
「あぁ、何というか……アイドルみたいだ」
「ははっ。みたいじゃなく、正真正銘アイドルだよ。それにそのモデルを作るとき、ポルくんが随分張り切っていたからね。多分、業界でもトップクラスなんじゃないかな」
確かに、あまり他のVtuberを見たことはないが、クオリティが高いことは理解できる。
「それでね、彼女から伝言を預かってるんだ」
「伝言……?」
「『私は、来るアフロディアに参加します』」
「は?」
「アフロディアは、Demetelが主催する大型ライブイベントでね。Vtuber、リアルアイドル問わず参加者を募る予定なんだ」
「……話が見えないんだけど」
「参加するためにはオーディションを受けてもらう必要がある。つまり最低限の実力が必要なわけ。まあこれは僕の意訳だけど」
『実績や実力のない事務所には入れない』
「ってことじゃないかな。要は事務所の格と、メンバーの実力を見せろってさ」
「言ってくれるな。こっちは今それどころじゃないぞ」
「あはは、それも含めて実力だよ。オーディションの枠は空けておくからさ。駄原さんの物語と、みんなの実力。楽しみにしてるから」
言うだけ言い切って、電話はプツリと切れた。
あの野郎、イイ性格してやがる……
「アフロディア……アフロディアか……」
大型ライブイベント。
参加するのは確定として、問題は。
「駄原さんだよなぁ……」
新しい物語の用意。
メンタルの復調。
それが済んだとしても、あのちゃらんぽらんにアイドルとしての技術を叩き込まなければならない。
正直、時間が足りるかは微妙なところだ。
「最悪魔法でどうにかならないもんかな。いやでも、魔法使わせるのは怖いか」
魔法。
自分で口にして何だが、随分とファンタジーなことになってしまった。
というか、そもそも異世界って何なんだろうか。当然のように受け入れていたが、ぶっちゃけよく分かっていない。
「魔法、異世界、神様、アイドル」
食い合わせどうなってるんだこれは。
この短い期間に摂取して良い情報量じゃないだろ。
胃もたれするわ。
「異世界……」
ふと、記憶に引っかかる言葉があった。
待てよ。いや、あり得るのか?
思いつきのまま、俺はスマホを見る。
スマートフォン。またの名を、『叡智の結晶』。
駄原やエリシアは、異世界出身だ。
けれど、言葉に困っている様子はなかった。
言語が同じなのか、はたまた翻訳魔法的な何かが働いている結果なのかは知らない。別に重要でもない。
重要なのは、固有名詞の認識である。
駄原は中二病を知らなかった。
日本には、異世界に存在しない概念があり、駄原が全てを知っているわけではないという証拠だ。
しかしアイドルやたい焼きを知っていたことから、何一つ知らないわけではないだろう。
駄原は馬鹿だが、学ばないわけじゃない。興味があるものなら尚更、知っていることに違和感はない。
だが、駄原は確か『名前を忘れた』と言った。
逸る気持ちを抑え込み、俺はエリシアに電話をかける。
「小巻さん? どうかされましたか?」
スマートフォンという名前を忘れて出てきた言葉。
そして、エリシアもまたスマホをそう呼んだ。
何故か。
「エリシアさん、もしかしてなんだけど」
理由は。
「異世界にも、スマホがあるんじゃないか?」
一つしかない。
「え、えぇ。スマホというか、叡智の結晶ならございますが……それが何か?」
合っていた。
叫び出したくなったが、まだ聞かねばならないことが大量にある。
「それ、どんなものか聞いても良いかな?」
「えぇと、基本的に機能面ではスマホとあまり変わりません。強いて違いと言うなら、電気ではなく魔力で動くことくらいでしょうか」
「つまり、通信機能があるんだな?」
「それは当然ございますが……あの、本当にどうなされたのですか?」
天高く拳を突き上げた。
いける。これなら間違いなくいける。
「あとで話す。それより、今駄原さんと一緒か?」
「はい」
「さっきの今で悪いんだけど、またこっちに来てもらって良いかな」
「構いませんが……いえ、何か思い付かれたのですね?」
「それも含めて後で」
そうして電話を切って、他のメンバーたちにも順に連絡していく。
◆
解散直後の呼び出しということで非難轟々だったが、みんな無事に集合してくれた。
「せっかくおねえさまとのデートだったのにたのしかったのにもっとふたりきりがよかったのにゆるせませんゆるせませんゆるせませんわ」
……まあ、細かいことは無視していこう。
権力を振りかざすのは仕切り役の特権だ。恨みを買うとか、そういうのは一旦気にしない方針で。
「静音はともかく、本当に何の話? 無駄に歩かされて怠かったし、くだらない話だったらぶっ飛ばすけど」
「心配しなくても重要な話だよ。早速本題に入るか」
未だ暗い顔をした駄原の肩を叩き、俺はハッキリと断言した。
「駄原さんにはVtuberをやってもらう」
派手な方針転換に、本人含めてみんな随分と驚いた雰囲気だ。
代表するように、まどかが口を開く。
「ですが、それは没案になったのでは? 前にも順番が違うと……」
「あの時とは状況が違うし、何より動機が違う」
俺はスマホを取り出し、エリシアをちらりと見た。
「さっきエリシアさんに確認したんだけど、どうやら異世界にもスマホがあるらしいんだ」
「……そうなのですか?」
「えぇ、事実です。スマホではなく叡智の結晶と呼ばれていますが」
しかし、それが何に繋がるかまでは分かっていないようで、首を傾げている。
「要は、異世界にも通信環境があるってことだ」
「……昌、アンタまさか」
「異世界にも、Vtuber『駄原天歌』を配信する!」
「そんな無茶なことが……」
「俺たちは超次元アイドルプロジェクト(仮)だ。二次元と三次元、ついでに世界の一つや二つ越えたって良いだろ?」
異世界にスマホがあるなら、配信だってできる筈だ。
ただもちろん、問題はある。
「でも、異世界って電波とか届くの?」
「それは問題だから……エリシアさん、主神様と連絡取れない?」
「「はい!?」」
駄原とエリシアが同時にひっくり返ったような声を出した。結構な無茶振りなのだろうが、異世界のことは異世界の神様に聞くのが一番だ。
「今は繋がってないだろうけど、駄原さんとエリシアさんを送れるんだから、電波くらい通せるでしょ。多分」
「で、ですがそれは……」
「『こっちは態々駄女神様の罰に付き合ってやってる。本来そちらがやるべき仕事を手伝わされてるわけだから、それくらいやってよ』と伝えてください」
「もう少し言い方なんとかなりませんか!?」
「ならない。なる早でお願いします」
「ふえぇ……」
エリシアが萌えキャラと化してしまった。
恨みはないが、止むを得ない犠牲だ。
そして、覚悟を決めたらしいエリシアがぐっと目を瞑った瞬間、頭の中に声が響いてきた。
『その必要はない』
オペラ辺りが似合いそうな、低音の美声。
聞けば自然と背筋が伸びる、その声の主は。
「しゅ、主神様!?」
エリシアを見ればすぐに分かった。
『小巻昌よ』
「……はい」
『話は聞かせてもらった。お前の頭の中の計画もな』
「マジですか」
『マジだ。不遜不敬ではあるが、正論でもあった。故に、此度の一件についての詫びとして、その願いを聞き届けよう。アマテラスには話を通しておく。Demetelとやらもこちらに広めておこう』
「ありがとうございます!」
本当にありがたい。主神様、話が早すぎる。
『駄原天歌、我が娘よ』
「は、はい!?」
『我が世界の神に戻った暁には、お前に『異世界との通信管理』の仕事を任せる』
「は、拝命いたしました!」
『以上だ。今後も励むように。小巻昌、しくじるなよ』
「……はい。承知しました」
そして、主神様からの連絡……啓示? 天啓? は終了した。
あまりにも話が早すぎたのだが、もしかしてずっと駄原のことを見ていたのだろうか。だとすると今も……いや、考えるのはやめておこう。
呆然とする事務所の面々を現実に引き戻すため、俺は口を開く。
「……まあ、なんだ。障害になりそうだと思ってたものは全部主神様が何とかしてくれるみたいだから。特に駄原さんとエリシアさん、現実に帰ってきてくれ」
「はっ……申し訳ありません。気が動転していました」
「お父様からの命令……こ、小巻くん、どうしたら!?」
「あぁ、その話な」
元々は駄原に志願してもらおうと思っていたのだが、主神様は本当に話が早い。やはり全知全能だったりするのだろうか。
「あの仕事、どういうことか分かるか?」
「ふぇ? ど、どういうって……」
「異世界との通信管理。要は、この世界との繋がりを任せるってことだ」
「……?」
ピンときていない駄原に、俺は更に説明する。
「通信を維持すれば、向こうに戻った後も配信――アイドル活動を続けられるし、経過確認とか、こっちの神様との打ち合わせとか、適当な名目で遊びに来れるだろ」
「それって……」
「神様に戻った後でも会えるってことだよ」
駄原の頑張り次第にはなるし、こちらの神様が許可してくれるかも分からないが、可能性は充分にある。
少なくとも、あちらの主神様は乗り気だったようだし。
「異世界の神様が神様に戻るため奮闘。もちろん戻った後も活動は継続。マコ姉、物語に不満は?」
「ない。ガチで神様なアイドルなんて、世界中探してもいないもの」
「駄原さんだけにこの世界への出張を任せるのは不安だな。エリシアさん、補佐について回ってくれるよな?」
「はい、もちろんです」
「駄原さん、この計画に不満は?」
「っ、ありません!」
よし、丸く収まったな。
「これで、後は有名になるだけだ!」
俺はタブレットを取り出し、ご丁寧に葵が送信してきた『アフロディア』の公式サイトを開いて見せた。




