第一話 柴野いずみ
「あの、ちょっと手伝ってほしいことがあるんです」
隣の席に清楚可憐な美少女がいた。
背中まで伸びた艶やかな黒髪。ミルクを思わせる白い肌。制服はきちんと着こなされていて、佇まいもなんとも言えない優美さがある。
顔に見覚えはない。名前も朧げだ。いつからかそこにいて、やたらと興味津々で授業に聞き入ったり、きょろきょろとしきりに教室を見回しているので何だろうと気になってはいた。
気になってはいたが、わざわざ接触する必要もないだろうと放っていたら、ある日の放課後に突然声をかけられたのである。
予想外も予想外。
帰宅準備の最中だった俺は彼女をまじまじと眺めた。
「聞いていらっしゃいますか、あなた」
「…………あ、うん。聞いてはいるんだが、驚いて」
「私のあふれ出る神々しさにびっくりされたんですね。これはこれは失礼しました」
「神々しさ?」
なんかこの子、おかしい。
存在そのものもだし、話の内容も。
会話し始めて早々、色々と普通じゃなさを感じた俺の感覚は間違っていなかったようで。
「さて。本題に戻すんですけど、私、アイドルというものになりたくて」
アイドル。
思いがけず出てきたその単語に、ぽかんとならずにはいられない。
「偶像となり、多くの人間から信仰を集められるのがアイドルだと、叡智の結晶で知りました」
「叡智の結晶ってなんだ……」
「あれですあれ、黒くて平べったい板みたいなの。名前は忘れましたが、そんなことはさておきです!」
名前も知らない彼女がグッと身を乗り出した。
整った顔面がすぐそこに迫る。
夢見る思春期男子ならば惚れられていると思いかねない距離。俺は思わず息を呑んだ。
しかしそんなこと、彼女はお構いなしである。
「アイドルには応援してくれるファンが必要不可欠だと聞きました。そこであなたへのお願いです」
当たり前のような顔で、聞き入れられることが当然という態度で、言い放つ。
「私のファンになってください!」
なんと答えるべきか、俺はしばし迷った。
どうしてそんなお願いをされなければならないのか、説明されても理解不能だったからだ。
普通に考えて、何の脈絡もなくファンになってくださいと言われても無理である。
たとえ相手がとんでもない美少女であったとしても、だ。
なので、まずは彼女を知ることから始めよう。
「えっと……君の名前は?」
「え、知らないんですか」
「知らないよ。今まで一度も喋ったことないし」
「それもそうですね。じゃあ、自己紹介をどうぞ!」
「俺から!? まあいいけども。俺は小巻。小巻昌だ」
「小巻くんですね。私は駄原天歌。あなたの級友になった者です。そして」
ますます顔を近づけ、俺の耳元に口をつける彼女。
明らかに距離感がバグっている。放課後の静まり返った教室でなければ、誰かに目撃されて騒ぎ立てられたに違いない。
ドキドキするのを通り越して、ちょっと引いてしまう。
だが、彼女のとんでもない言動は留まるところを知らなかった。
「異世界から来た、駄女神です」
「はい???」
「まさか神の存在もご存じないのでしょうか」
「いや、それは存じてるけども」
なんで急に神の話になるのか。
「この世界にも神がいるように、別世界にも神が大勢いて、人々から崇められています。私はその中の落ちこぼれ。駄目な女神、略して駄女神です。そう呼ばれていました」
「ちょっと待っ……」
「私はあまりにも神としての自覚がないとかで、創世神からお叱りを受けまして。いちから人間の信仰を集めてこいと、この見知らぬ世界に送り出されたわけです。多くの者に崇拝される存在になるまで戻ってくるな、と。この世界の神の懐は広く、お許しくださった上に認識阻害の術をかけていただいて、この学校とかいう場所に違和感なく潜り込みました。あ、もちろんこれは秘密ですよ。極秘事項です。協力者として認めたあなただけに特別にお話ししているので、口外しないでくださいね!」
神話風ファンタジーでしか聞かないような単語のオンパレードで、情報がろくに頭に入ってこなかった。
右耳から左耳へとすり抜けていく感覚。音としては聞こえているのに言葉としてまるで聞こえてこない。一体何を話しているんだろう、彼女――もとい、駄原は。
「順を追ってもう一度説明し直してほしいんだけど」
「もしかして私の話を聞いていらっしゃらいませんでした? 仕方ないですね。もう一度言いますよ。駄女神な私が、へっぽこさを理由に生まれた世界を追放され、別世界で人の姿を与えられました。信仰を集められればちゃんと元の世界の神に戻れる契約なので、この世界で崇拝されるアイドルを目指します」
自信満々に胸を張る駄原さん。
その時に豊かなそれがぷるんぷるん揺れた。目に毒だからやめてほしい。
自称駄女神であることと、アイドルになりたいことだけはどうにかわかった。
清楚系美少女の口から聞くに耐えない妄想の数々が飛び出してきたことへの驚きは置いておこう。
「……つまり厨二病ってことでいいか」
「なんです、そのチューニビョーって。聞いたことのない単語ですね」
こてんと首を傾げられる。
彼女の目は純粋そのもので、みじんもふざけて遊んでいるようには見えなかった。
だが、本気だとすれば逆にやばい。
どちらにせよ、これは付き合うべきではない類の案件だと思った。
なんとかこの場から逃げられないかと席を立つも、「逃がしてあげませんよ」とガッチリ腕を掴まれた。
異性に触れられるのなんて何年ぶりだろう。
ぼっちで彼女いない歴=年齢の俺は、女の子らしい柔らかな掌の感触だけで動きを封じられた。我ながら情けない。
「私のことをしきりに気にしていらっしゃったでしょう? たまにいるんですよ、普通なら気づかない違和感に気づく敏感な人間。認識阻害の術をかけてくださった神がおっしゃっていました。それに今全てを話してしまいましたから、私のファンになるしかありません。ファンとして私を崇め、支えていただきます」
「もし嫌だと言ったら?」
「さて、どうなるでしょう」
意味深な笑みが怖い。
自称駄女神のくせに堂々と脅してくるとは、とんでもない美少女がいたものだ。
「納得はできないけど、わかったよ」
日常生活の中に突如として紛れ込んできた駄原さん。
わけのわからない彼女を推すのはかなり難しいが、頑張るしかないのだろうか。
そもそも。
「アイドルになるっていうのがどういうことかわかってる? アイドルについて理解してる?」
信仰を集めるとか、偶像崇拝とか。
間違ってはいない。アイドルの語源としては正しい。けれども、あまり彼女のなりたがっているアイドル像が見えてこないなと思っていた。
俺も全然ドルオタではないので詳しくはないのだが――。
「多くの人に私の輝きを見せつければいいんですよね。私はこんなにも美しいんですから楽勝です!」
「あ、これわかってないやつだ……」
思った以上に楽観的で、思った以上に考えなしだった。
さすが自称駄女神というか。こんなのだから追放?されたのだろうと思う。
「駄原さん……って呼んでいいかな。駄原さんは、明らかにアイドルを舐めてるよ」
「この姿で過ごすための仮の名なので呼び方はご自由にどうぞ。ところで、アイドルを舐めているというのはどういうことでしょう?」
「ちょっとやそっと顔やスタイルがいいくらいで簡単にアイドルになれるわけない。本気でなりたいなら、本気でやらないと」
「本気で、ですか」
「協力してもいい。良くはないが、とりあえずいいことにする。だからまずは駄原さんの思うアイドルを見せてくれ」
しばらく大きな目をぱちくりしてから、駄原は「考えてみます」と答えた。
そしてそのまま嵐のように帰っていき、教室に取り残された俺はなんとも言えない気持ちで頭を抱えた。
彼女の勢いに圧倒されて了承してしまったが、本当にこれで良かったのだろうか。
翌日、駄原は通報されるかどうか瀬戸際の露出度の服装、端的に言うときわどい水着で学校に来た。
清楚系美少女がここまで艶っぽくなるのかと絶句してしまう。幸いなことに認識阻害の術とかいうやつのおかげなのだろう、俺以外はクラス全員普通に受け入れていたので、問題にはならなかった。
なぜこんな駄女神の異世界留学?を許したのか、神を問い詰めたい。
神なんて特に信じていないし、駄原の発言ははっきり言って虚言だと思っているものの、それでも問い詰めたいものは問い詰めたい。
「アイドルとグラビアアイドルを履き違えてるだろ絶対」
「乳房を見せていれば人の子は喜ぶのでは? 叡智の結晶にそう書いてありましたよ」
「学校で堂々と乳房とか言うな!!」
駄原天歌アイドル化計画は前途多難である。
・補足
叡智の結晶=スマホ