的を得るは誤用である。~暇つぶしの言葉遊び~
的を射る/的を得る:的確に要点をとらえる
この言葉の「射る」が正しいか、「得る」が正しいかは少し前にテレビのバラエティー番組でクイズになりネットでも論争になったことがあります……よね?
広辞苑や三省堂国語辞典の見解を持ち出し議論した方も多かったのではないでしょうか?知らんけど。
『個人的には、学校で習った時やネット論争でよく言われる「的」を「射る」ことでなんで的確に要点を捉えることになるのかさっぱり意味が分かりませんでした。「的(要点)」を「得る(獲得する)」のほうがよくね?って思っています。』
「的を得る」表現を最初に誤用としたのは、「三省堂国語辞典」の1982年だとされています。それが2013年には誤用という話が削除され、改めて正しい使い方として掲載されました。
NHKをはじめとして、ほぼすべての放送局が「誤用」としていた言葉が撤回されたわけです。
ただし2013年以降も放送局は「射る」が正しいとして、「得る」は使わない方向で発信していると思われる。
また辞書で見ても「三省堂国語辞典」以外の辞書において「的を得る」という表現についての記述はないと思う。
すなわち三省堂以外は「的を得る」を認められていないということではないだろうか?
もう少し深く語源とされる「正鵠を得る」「正鵠を射る」で見てみるとどうだろうか?
正鵠とは、中国において的の中心に描かれた白鳥の事を指しているという説と単に中心の黒丸を指すという説があります。
的の中心を射る、得るならおバカな私でも「要点を捉える」という意味でも納得できる気がします。
ちなみに「正鵠を得る」は1890年代から使われているのに対して「正鵠を射る」は1930年代から使われることが多くなったという説もあるようだ。※江戸時代以前から武家の間では使われていたとかいないとか。
このことからも昔はともかく昭和以降は「射る」が使われるのが当たり前という説を持ち出す人もいますが、「何故、射るを使い始めたか」というハッキリとした答えは見つかりませんでした。
さらに深く「正鵠を得る」をググると、「正鵠を失わず」とされています。
すなわち「的」の「中心」に向かって「射る」矢が「外れることがない」様子を、【物事の急所や要点を正しく抑える】となるわけです。
『あくまで個人的ですが、今までで一番納得できる答えが「正鵠を失わず」にあったのです』
そして「失わず」を日本で分かりやすくするために「得る」となったのではないかとされています。
「失わず」が「得る」になったという意見に対しても賛否がありますがこうしてみると「的を得る」のほうが正しい気もしますが、「正鵠」を「的」に変え、「失わず」を「得る」「射る」に変えた時点で……もうどうでもいいんじゃね?って思い始めてきました。
日本語は変化するモノとも思っています。
小学校で「的を射るとは的確に要点をとらえる」と言うんだよって習った時点で、語源云々ではなくそう覚えないといけないモノで、現代においては「的を得る」は誤用として考えていいのではないでしょうか?
※今の学校でどう教えているかは知りません。
※正鵠を得るに関するエッセイ(?)は「なろう」にも詳しく書いている方がいたと思うので探してみてください。確か元になった漢文から解説されている素晴らしい文章だったと思います。
※感想欄は閉じさせていただきます。熱い思いがあるならご自身のエッセイとして投稿してください。