Title:視点
想像力が 足りないよ
アンタは美術館には行くか?
美術館はいいぞぉ。常に万人に開かれ、常に新鮮な驚きが在るハズだ。誰だったか、「美ックリするための場所」とは、よく言ったものだ。
誰かと一緒に美術館に足を運んだことはあるだろうか?
ちなみに俺はほぼ無い。そんで、みるペースも人と合わせられないくらい遅い。……いや、俺の美術鑑賞が寂寞してるって話はいい。少なくとも今は。
アンタがある芸術作品をみるとしよう。
アンタなりの着眼点で作品をみて、作品から勝手になにかを感じ取る。
それは作者の意図したものではないかもしれないが、別にそれで良い。作者が強制しない限り、何かを感じ取るのはすべて受け手側に委ねられているからな。
だが。
アンタではない別の誰かが同じ作品をみたとして。
どこをみて、何を感じるか。
これらがアンタのそれとまったく同じということは、まずありえない。
これはかなり奇妙な話のハズだ。
同じものをみているハズなのに、なぜみえているものが違うのか?
答えは簡単、その人の「林檎」が影響を及ぼしているからだ。
心得がある者はその技巧に舌を巻き、作者を知る者はその心理に思いを馳せ、何も知らない者はその作品に圧倒される。そうやって、各々なにかを感じ取る。別にそれで良い。
そしてその、感じ取ったなにかを、人と共有できたなら。
それは素晴らしい体験になること間違いなしってわけだ。
だって、そうだろ? 自分にみえなかったものが、みえてくるかもしれないんだから。
客観的にみる。視点を増やす。
俺が旨として、心がけているつもりのことだ。
自分の視点だけでは、事態の正確な把握は困難だ。
だから、ひとの視点、また別のひとの視点。さらには全体を俯瞰する視点など。
俺は多様な視点を手に入れて、ものごとを把握したいと願っている。
それは、“この世界”においても同じ。
【俺】の視点、【彼ら】の視点、【観測者】の視点。
すべて、違う景色が見えるはずだ。
おっと! 勘違いしちゃいけないぜ?
【彼ら】を“観測”していたとて、【観測者】は【彼ら】ではないだろ。
視点を手に入れるための具体的な行動は、いくつか挙げられるだろう。
自分の立場だけで完結するのではなく、相手の視点にも立ってみる。
そのために、相手方の意見も聴いてみるとか。
フェアな判断には、すべての主張を揃えることが不可欠だから。
自分の言動が他者にどう映るかも考えなくてはならない。
もっとも、俺は思ったことを大体反射で答えているようなものだから、そういうのを考えるのは大体、ギクシャクしだしてからの事後処理だが……。
故に、想像する。
なにがいけなかったのか。俺のどの言動が、相手の癇と癪に障ったのか。
そうして、俺の中でカタをつけて、改めて相手に向き合っていきたいと、願っては居る。
もちろん、いつも実現できてるわけじゃないけどな……。
ただ、それはそれとして、自分の意志を貫き通すことは、ある。
所詮、俺ができる客観というものは、俺が可能な限り情報を集めてからの推論的主観でしかない。
【俺】も【彼ら】や【観測者】の視点を想像しながら書いてはいるが、やはり主観的だ。
主観はどうしても、俺のバイアスがかかる。どこまでも俺に都合よく修正される。
だからこそ魅惑の「林檎」たり得る。主観を優先したくなる。
お互いがそう思う。
そうやって衝突は起きる。
その衝突の先で、相手の「林檎」を齧ることは、あるだろうか?
Title:視点
Theme:この考え方って万能すぎひん?
Type1:エッセイ
Type2:美術館へのお誘いお待ちしてます