Title:俺の林檎の味は
Title:俺の林檎の味は
Theme:ミーム
Type1:モノローグ
Type2:比喩表現
人には、なにかしらの信条というか、大切にしてる考えってあると思うんだよね。
俺は、それを、「林檎」と呼ぶことにしている。
なんで「林檎」なのかって?
…………。
いろんなものを吸収して俺たちは生きていく。そうやって培われた土壌に、俺たちは根ざしている樹だ。そうやって育った末の凝縮体が樹に生る「林檎」ってことだよ。
……いや、これは単に今パッと考えついただけだから。あながち間違ってないんだけど、ぶっちゃけ俺の好きな果物がリンゴで、かつ、こういう……象徴的に扱えそうな果物っていうと林檎がそれっぽくていいよなぁって。ホントそういう厨二病思考の産物だよ、「林檎」っていうネーミングは。
いや、そんなことはどうでもいいんだよな~。
「林檎」はツギハギだらけだと思う。
無縫でキズひとつ無い「林檎」なんて、ありえないと思う。
なぜならば、「林檎」とはいろんな出来事から得た、学びや教訓の集合体だからだ。
【神】に踊らされる人形でもない限り、その人の行動には何かしらの理由があるはずだ。
イライラしてる人は、なにかイライラさせられることがあったはずだよ。
そんな調子で、その人の過去の経験からくる集合知「林檎」が、その人を動かすのだ。
だから、「林檎」の味は、とても美しく○い。
美しいのは確実だ。でなきゃ大切に抱えないだろう。
それが甘美か、苦美か……。この味は、時間や、さらに積み重なる情報が、変化させていくだろう。そう、初めっから全部美しい「林檎」に仕上がるわけでもないんだな。でもいつかは美しくなる。だって「林檎」は自分自身なんだから。
醜い「林檎」に突き動かされる人間を想像してみよう。死んだほうが良いんじゃないか、そんな奴?
俺の「林檎」の味は、積み木のように積まれた角砂糖の味、かも。いや、俺自身の表現とするためには、やっぱり積み木にする必要は無いしあってはならないかな。
まぁでも、とりあえず甘くしときたいよね。でもたまにピリッと来る苦味辛味はあって損じゃない。コーヒーと唐辛子くらいは美味しいもんでしょ。
苦汁と辛酸のミックスジュースが「林檎」の果汁になるレベルは流石に遠慮したいけど。それどんなストレスマッハ環境だよ。ミルクでも足してくれ。
……具体的な中身? それはこの部屋を隅々まで見てってくれたら、なんとなく解るんじゃない?
ただしコレは、俺にとっての味で、俺の「林檎」を差し出しても、アンタには違う味かもな。
実際、俺はとある別人の「林檎」を齧ってみたとき、腹立って仕方なくなったことがある。他の味が挿し挟まる隙間もない、そんな窮屈な味醂の味がした。ソイツにはそれがたまらなく美味しく感じてるんでしょうけど、俺にとってはそれは、常食するものとしては勘弁願いたい味わいだったね。
ま、良くも悪くも俺は浮世離れした足取りで生きてると、その味が教えてくれたから、それも拒絶せずに、今こうしてここで書けるくらいには俺の「林檎」に加えられてるけど。
逆に、この(俺にとっては)クッソマズイ味醂味の「林檎」の持ち主が、俺の「林檎」を食べたら、「砂を噛むような味」つって吐き捨てるんでしょうね。
たまにゃあ他人の「林檎」に齧り付いてみるのも必要だろう。けどそれは、お互いに勇気の要る行為だ。「林檎」を差し出す勇気、「林檎」に齧り付く勇気。
あ、でもやっぱり、果汁くらいはよく観察すれば見ることができるだろうね。
そして知りたいと思えるような、そんなステキな相手に勇気を持って、「林檎」の差し出し合いを持ち掛ける。これがきっと、心通わすってことだ。
俺はそんなこと、したのかなぁ。でも露出狂の「林檎」は、いつでも試食コーナーに切り分けられて、この部屋で陳列されてるわけだ。否、もうこの部屋自体が「俺の林檎」と言っても差支えは無いでしょうね。
そうつまり、何かしらの創作物を味わうことは、その人の「林檎」の断片を齧るのと同じなんだ。
いろんな人の頭の中を見て回るのも、善い。
……なんて、ずっと当然とされてそうなことばかり書いてる。
でもこれが、誰かの、【観測者】の、新しい「林檎」の一部になることを夢見て、こうやって「林檎」を遺していくよ。
サクサクと味わってくださいな。
シャクシャクって。
余裕綽綽でしょ?