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Title:とある三歳児だった者の独白

Title:とある三歳児だった者の独白

Theme:黄色いアゲハ

Type1:ノンフィクション

Type2:モノローグ

夏。八月真っ盛りのこと。






小窓を空けてのぞきこむ。

ひんやりとした、嗅いだことの無い匂いがあふれてくる。



頬に触れた感触を覚えている。

右手の指先に、ありありと思い出せる。



冷たい。


冷たい、けれど決してそれは

金属的なものではなく、

確かにそうであったと感じられる、

有機的、しかし絶対的な冷たさ。

かさり、とした蒼白(あおじろ)さ。


眠っているようだった。

でもその瞼が永遠に開かないことも幼いなりに判っていた。

皴なんてなかった。

その顔に死の気配なんて感じられなかった。



幼かった自分にとって、

存在が大きくなかったからか、

悲しさはまるで無かった。

その時いつも履いていた銀と橙の子供靴のせいで、

カーレンのように罰されるのではないか? とか、

そんなことを考えてすらいた。

理解もしないまま、事実を受け入れていた。






遺影の前。悲壮な顔で、母が言った。

「後を追っていい?」


私はなんて返しただろう?

「やめて」だっただろうか。

「そうすれば」だったような気もする。



代わりに、確実に言ったとわかっている言葉がある。

「なんで おはかに おさめないの?」


遺骨は墓に収めるもの。その知識はあったらしい。

しかしまぁ、三歳児に斯様なことを問うた母に対して、

かなりの追い打ちだっただろうか。

と、逡巡できるのも追想ならではだ。






それから何日か経った朝。まだ夏だったんだろう。


家の門扉に張り付いていた蛹から

黄色のアゲハが顕れた。


あやふやな三歳児の頭のなかで、

それが「魂」と結び付くことは

ごく自然なことだった。



だから私は想う。

黄色いアゲハへ、懐かしさと一抹の鬱陶しさを。

だから私は想う。

愛しき人らへ、まだ蛹にならないで。






それからの私は、

無意識に、その跡を追うような

選択をするようになっていたかもしれない。


だから興味もなかったサッカークラブに入ったのだ。

まったく熱意も才覚も無かったのに。


当然だ。私は私だ。

そんな簡単なことに気付くまでに、

時間が掛かってしまった。

気付けば、年齢を追い越していた。






夫婦喧嘩の後だったか、父が言った。

「昔の母さんはあんなじゃなかった」

「亡くしてからおかしくなった」


ただ無神経な野郎だと思っていた父のことを

このときはじめて見直した。

今更、母に刷り込まれた評価は覆りようもないが。

ただ、夫婦仲の不和には、

どちらにも落ち度があると、

このときようやく確かに理解した。


それから私は、

「どっちもどっちだ」と、

より公平な判断を下しているつもりだ。






私は、後を追おうと思ったことは無い。


私が死にたいと思う理由は、

常に自分のことだ。誰かの為ではない。



私は、その分長生きしなければ、と思うこともやめた。


私が生きたいと願うのは、

私が愛したい人の為だ。自分の為ではない。






私にあなたの事はほとんど記憶に無い。


ただ、三歳児と遊んでくれたという

やさしい記憶があったりするだけだ。


人伝てに聞くあなたの姿は、

私よりもはるかに立派だ。


しかしそのことは私に関係ない。



ただ、黄色いアゲハが、

夏になれば必ず私の目に映る。

今は、これだけが(よすが)だ。


そしてこの縁も、私が勝手に感じているだけ。

あなたは、もういないのだから。


なら私は、勝手に生きよう。

黄色いアゲハを、縁と感じて。






これでいいでしょ?

にーちゃん。

ほら、こうやって自分のことを晒すどころか、

他の人のことまで晒してる。


これが責められるべきことなら、受け入れます。


ただ、ここに遺しておきたいと思ったから、

ここに遺しているだけです。

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