7.B組のフゼット (2)
入学式も無事に終わり、B組の教室に向かう途中でフゼットは、見るからに高位貴族と思しき令嬢に呼び止められた。
「あなたが『ひろいん』ですわね!しかも『てんせいしゃ』!」
「はい?」
見ず知らずの令嬢に聞いたこともない言葉を投げつけられて混乱するフゼットに構わず、令嬢はつづける。
「あなたがどなたを攻略するおつもりかは存じませんが、殿下だけはおやめくださるかしら」
攻略?殿下?この人はいったい何を言ってるんだろう…よくわからない、怖い。
令嬢の有無を言わせぬ態度にフゼットは固まる。
「わたくしがお伝えしたいのはただそれだけですわ。よろしいですわね!」
それだけ言って令嬢は満足したのか、固まったままのフゼットをその場に残して立ち去った。
「なんだったんだろう、いったい…」
令嬢の背中を見送りながらぽつんとたたずむフゼットだったが、突如鳴り響いた予鈴にふと我に返る。
「いけない!教室に向かわなくちゃ!」
思いがけず現れた令嬢に捕まったせいで、かなりの時間を取られてしまったことにフゼットは焦った。入寮時に下見をさせてもらっていたので教室のおおよその位置は分かっていたが、入学式が行われていた講堂からB組のある一般校舎までの正規ルートはというと、どうやら校舎内をぐるっと大回りしなければならないようだった。
「中庭を突っ切ったら近道できるかも」
そんなふとした思いつきを、フゼットは直ちに行動に移した。
そんなフゼットの頭上から「ミィー」という声がしたのは、中庭の中央にある噴水脇を駆け抜けようとした瞬間だった。声のしたほうに視線をやると、一匹の子猫が樹の上にいるのが見えたが、フゼットは足を止めることなく進もうとした。その瞬間だった。
「待ちたまえ!」
フゼットの右手から声が聞こえた。フゼットが思わず足を止めると、声の主と思しき貴公子然とした男子生徒が現れた。
「きみは樹の上の子猫に気づいていたよね?」
「えぇ、まぁ」
「それならば、なぜそのまま走り去ろうとしたんだね」
「はい?」
「樹に登ったはいいが、降りられなくなったかわいそうな子猫を助けようという気持ちはないのかな?」
「気持ちがないというか…」
「言い訳は聞きたくないな。この学校の生徒であるならば、生きとし生ける者に慈愛の精神を持ってだな…」
「はぁ…」
さっきの令嬢にしろこの貴公子にしろ、いったいなんなんだろう?わたし急いでるんだけどな…。
フゼットのうんざりしたようすに気づくことなく、貴公子はなおもつづける。
「きみが助けようとしないのなら、この僕が助けるとしようか」
「あのぅ…」
「なんだね?助けようという気になったかね?」
「いえ。これくらいの高さだったら、わざわざ助けなくてもじぶんで降りてくると思いますよ?」
「なんだって?」
「ほら」
貴公子がフゼットの指さす方を振り向くと、ちょうど子猫が樹上からジャンプして軽やかに地面に降り立つところだった。
「もういいですね?」
「……」
貴公子にとっては全く予想外の展開だったようだ。
「ほかにお話がないようでしたら失礼します。わたし急いでますんで」
あっけにとられたようすの貴公子にかまわず、フゼットはふたたび駆け出した。貴公子は、そんなフゼットを呆然と見送るほかなかった。
中庭を走り抜けたフゼットが、B組の教室に駆け込んだのとほぼ同時に本鈴が鳴った。どうやらギリギリ間に合ったようだ。
さすがに座席表を見るだけの余裕はなかったので、ひとまず空いているところに着席した。空席はその1カ所だけだったのでたぶんじぶんの席に間違いないだろう、とフゼットは安堵のため息をついた。
「ギリギリだったけど、間に合ってよかったねー」
隣の席からふんわりとした声で優しく言葉をかけてきたのは、小ざっぱりした身なりの品の良い女子生徒だった。
「入学式当日から遅刻なんて、シャレにならないもんねー」
にっこりとしたその表情につられて、フゼットの頬もゆるむ。
「ほんとだね。2回も足止めされて間に合わないかと思った」
「2回もー?なんでー?」
「分かんない」
ふたりは顔を見合わせて、噴き出す。
「あ、そうだー。わたしはシーラっていうんだー。よろしくねー」
「わたしはフゼット。こちらこそよろしくね」
自己紹介をし終えたタイミングで担任の教師が入室する。
ふたりはもういちど顔を見合わせてくすり、と笑いあった。