3.A組のマークス (1)
アーヴァインの記憶が確かなら、初めてマークスとまともに言葉を交わしたのは、王立学校の2年次に進級した直後のことだったはずだ。
おなじA組で学んでいながら、最初の会話までに入学から1年もの時間が経ってしまったのは、ただ単純に子爵家の子女であるアーヴァインと平民のマークスとの間に接点がなかったからにすぎない。
A組には第二王子殿下と、その兄王子である王太子の婚約者でもあった公爵家令嬢、時の宰相の三男といったもともと知名度のある生徒が在籍していたが、Aクラスの測定結果に裏付けられた強い魔力にものを言わせて派手な魔法をぶっ放した挙句、ときおり暴発させては事件を巻き起こす問題児アーヴァイン、そして平民でありながらBクラスの測定結果を持ち、入学前の実技試験で好成績を収めてA組に振り分けられたマークスも彼らに負けず劣らずの知名度であったから、アーヴァインとマークスがお互いの存在を知らないということはおおよそありえなかった。
王立学校は身分にかかわらずみな平等に扱うことを標榜してはいたが、実際のところは第二王子殿下を中心とする王族、高位貴族子女のグループに中位貴族子女のグループ、下位貴族子女のグループ、そして平民のグループに分かれて行動することが多く、A組唯一の平民であるマークスが多くの場面で単独行動をとることを余儀なくされたことも、ふたりに接点ができない一因となった。
そんな中、アーヴァインとマークスが言葉を交わすようになったのは、ふたりが席替えで隣同士になり、もともとマークスの課題の選び方に興味を持っていたアーヴァインが声をかけたことがきっかけだった。
王立学校の課題は、各科目の単元ごとに難易度の異なるものが複数設定され、その中から生徒が自由に選択してこなしていくという仕組みだ。達成時には難易度の高いものほど高い評価値が与えられるが、選択できる課題は単元ごとにひとつのみのため、失敗するとその単元での評価値はゼロとなってしまう。この評価値の総合数が成績の重要な要素となるため、みずからの実力に合った課題を見極める力が求められてもいる。
16歳かそこらの生徒たちだから、高い難易度の課題にばかり挑戦して失敗を重ねる者や、一度の失敗に臆して低い難易度の課題ばかりをこなして総合評価値が伸び悩む者などさまざまで、ほとんどの生徒が一定数の失敗を重ねる中、1年間すべての単元の課題を達成した数少ない生徒のひとりがマークスだった。しかも、その数少ない生徒の中でも、単元ごとに課題の難易度を細かく変えて取り組み、どの課題も過不足なくほぼぴったりと達成していたのはマークスただひとりだった。
「マークスはさ、今回はどの課題を選択するんだい?」
アーヴァインが初めてマークスにかけた言葉はこんな質問だった。いきなり声をかけられたマークスは怪訝そうな表情を浮かべて訊き返す。
「いきなりなんですか?」
「おっと、クラスメイト同士なんだし、敬語はやめようか」
「そういうわけにはいきませんよ」
「ここでは身分不問。貴族も平民もみな平等、ってことらしいぞ。それに私なんか父親がたかだか子爵ってだけで、しかも上にきょうだいが2人もいるから自力で爵位を得られなければ将来は平民だぞ」
マークスはあきらめたようにふーっ、と息をひとつついて応じる。
「それならまぁ…いきなりなんだよ?」
「クラスメイトのコミュニケーション?みたいな感じ?」
「なぜ疑問形?」
「なんでだろな。あ、ちなみに私は『15分以内に裏庭の廃材を焼却して消火』にするつもりだ」
「あぁ、廃棄物処理を生徒にやらせる代わりに、評価値が高めに設定されているっていう」
「ちまちました課題って苦手なんだよ。ぱっと火をつけて燃やしてさっさと消火すればいいんだろ?」
「勢いまかせなきみらしいね」
「勢いまかせだけ余計だぞ。で、お前は?」
強引に話を進めるアーヴァインに、マークスは苦笑いを浮かべつつ、
「僕は、この『70度のお湯を教室の水槽1杯ぶん、30分以内に生成すること』にするつもりだよ」
と答えた。
「すごいな!最高難度の課題じゃないか!なぜ今回はそれを?」
アーヴァインは驚きの声をあげた。今回の課題は水魔法と火魔法の複合使用の単元の終了後に出されたものであり、相当量の水を生成しつつ、その温度を上げるのはなかなかに困難な課題に思われた。
しかし、そんなアーヴァインのようすにマークスはさしたる興味もなさそうに答えた。
「別に…確実に達成できそうだから、というだけだよ」
「そうか…ま、健闘を祈るよ」
「ありがとう」
数日後、全生徒が課題に取り組んだあとの教師たちの判定会議は紛糾した。なぜなら、マークスは課題開始後に学校内の噴水から水槽に1杯ぶんの水を移し、火魔法を用いてきっかり30分で70度のお湯に仕上げたからだ。
「水魔法と火魔法の複合使用の単元の成果を見るのだから、当然水も魔法で生成すべきではないか」
「課題に水魔法で水を生成して、と記載していない以上、もともとある水を利用しても問題ないのではないか」
「それなら魔法を一切用いずに、事前に物理的に沸かしたお湯を持ってきても達成ということになってしまうではないか」
教師たちの間でさまざまな議論がなされたが、水を噴水から水槽に移す際に水移動の魔法が使われていたことやすでにある水を利用するという発想力、きっかり30分で課題を達成させたことを考慮して、マークスの課題は難易度をひとつ落としたランクの達成として扱われることに落ち着いた。
「残念だったな。ほんとなら最高難度の課題達成だったのに」
放課後に結果を知らされたマークスをアーヴァインは労わったが、本人は意外とけろっとしていた。
「いや、ランクひとつ下がるだけですむのなら御の字だよ。課題設定の抜け穴を突いたところもあるし。それに、もとからひとつ下のランクの課題のほうは達成できそうになかったしね」
「マークスがそれでいいならいいけどさ」
自分のことのように口をとがらせるアーヴァインの肩を、マークスはポンポンと叩く。
「まあまあ、細かいことを気にするなよ」
「それ、こっちのセリフじゃね?」
「そうかも」
ふたりは顔を見合わせて思わず笑いだした。
ひとしきり笑ったあと、アーヴァインが口を開く。
「前から気になってたんだけどさ、なんでいつもギリギリで課題を達成させてんのさ。能力的にはもっと楽に達成できるんだろ?」
「あー…やっぱり分かるやつには一目瞭然か。僕の魔力量はたいしたことないから、必要最小限の消費で抑えないとすべての課題を達成することができないんだよ」
「魔力量?」
「魔力測定の結果は知ってるよね?アーヴァインはたしかAクラス」
「そうだけど?」
「僕はBクラスだ」
「でも、それって魔力のランクだろ?魔力量ってなんだ?」
「なんだ、きみも気づいていないのか」
疑問を浮かべるアーヴァインに、マークスは意外そうな表情をして尋ねる。
「魔力測定で測定されるのは何だと思う?」
「その名のとおり魔力、じゃないのか?」
「それじゃあ、魔力って何だろう?」
「魔力の強さとか、魔法能力の高さ、だろう?」
「一般的にはそう言われているよね。でも、おかしいと思わないか」
「おかしい?」
「魔力の強さはともかく、魔法能力の高さだとするなら、魔力Bの僕が1年間一度も課題を失敗せずにこなしたのに、魔力Aのきみが魔法を暴発させて何度も失敗したことの説明がつかない」
「悪かったな。でもそれは魔法制御の問題だろ?」
「そう。魔法制御の問題だよね。じゃあ、魔法制御って具体的にはどうやるのさ?」
「それは…のど元に魔力を集める感じで、あとは集中力。要は気合だろ?」
「って教わるよね。だけど、それって経験だったり感覚に左右されるから個人差があるじゃないか」
「それは、まぁ…そうだな」
「先生たちは自らの持つ魔力を適切に制御して魔法を発動させろ、と言うけれど、きみも言ったように集中力とか気合いとか、個人の感覚に任される部分が多くて、普遍的ではないよね」
「いま教わっている魔法発動のための理論は、全然論理的ではないってことか?」
「そういうこと。たぶんもっと論理的に説明できる普遍的なメカニズムがあるんじゃないかと思うんだ」
「でも、それをどうやったら証明できるんだい?」
「いま時間はあるかい?こういうのは口で説明するより実際にやって見せたほうが早いと思うんだ」
「ああ、私は別に構わないけど」
「それじゃ、行こうか」
そう言うとマークスは席を立った。
そしてアーヴァインは教室を出るマークスのあとを追いかけた。