【短編】神を自称する女の子が現れて、ラブコメが始まる件について
石段を駆け上がると、白い砂利が敷き詰められている。
早朝の神社は薄暗く、木々が少し冷たい風に煽られた。その風に呼応するように枝葉同士がぶつかり、青々とする葉がゆらゆらと舞い落ちた。
富山大地は先ほどまで登ってきた石段を振り返り、疲労を感じた。その疲れを誤魔化すように少し癖のついた前髪をかきあげ、汗ばんだ額をシャツの裾でぬぐった。
呼吸を整えて、大地は赤い鳥居の前で一礼し、神社の境内へと足を踏み入れた。
賽銭箱の前までゆっくりと近づくと、いつものように白い猫が賽銭箱の上に座っていた。猫と視線があったが、それを無視して大地は手を合わせた。
しばらくして、白い猫が賽銭箱から飛び降りた。そして白い猫はいつものように大地の左足に近づきマーキングするように頬ずりし始めた。
(相変わらず人懐っこい猫だよな)
その時ーー大地は背中越しから声を掛けられた。少し甘い声色で発せられた言葉は大地の脳内に響いた。
「そこのあなた……毎日、お祈りをしているとはなんと心神深い方なのでしょうか」
「……?」
大地が振り向くと、巫女の衣装を着た高校生くらいの女の子が立っていた。その巫女は口元に小さく笑みを浮かべてから、一度浅くお辞儀をした。黒い髪をハーフアップのように結っている。
特徴的な大きな瞳が大地を捉えた。
大地は一瞬以前どこかでこの巫女と会ったことがあっただろうかと思案した。
が、何も脳裏に浮かばなかった。
「私はあなたがこの3ヶ月間、毎日早朝このようにお祈りを捧げに来ていることを知っています」
「え、ストーカーですか?」
「なっ、ち、違いますよ!?」
巫女は心外ですと言うように声を荒げた。そしてすぐに調子を戻すように「こほん」とわざとらしい咳をした後で言った。
「私は、神なのです」
「……」
大地はどや顔をした巫女から無言で背を向けた。すると、間髪入れずに「ちょっと、話を聞いてください!?」と焦ったように上擦った声が聞こえた。
しかし大地は手を合わせて、また黙想した。
(朝から頭のおかしい人と遭遇してしまったが、集中力を鍛えるための鍛錬なんだろうかーー)
「そ、そこのあなた!神である私の話を聞かないと、大いなる禍が訪れますよっ!」
大地は浅く息を吐き出してから、渋々と言った感じで不審者へと振り返った。
決して普段から占いが好きで、「禍」という単語に反応してしまい、「どんな禍なのか」と気になったわけではないが、大地はジトーっと目を細めた。
「それで……俺に何か用ですか?」
「コホン、ですから私は神なのです……」と巫女は先程までのあわあわとした態度をあらためるように静かに言った。わざとらしく数秒ほど間を開けてから言葉を続けた。
「あなたを襲う禍を避けるためには、必要なことが一つあります。それはーー私と友達になるしかないのですっ!」
「……ふざけているのか?」
「ふ、ふざけてなどいません。心神深いあなたの元へと神である私が顕現したのです。普段、話すのが苦手なあなたと違い、私が寛大さと慈悲深さからお友達になって差し上げます」と何故か照れるように頬を朱色に染めた。
「いや、照れるタイミングもおかしいし、それよりも意味がわからないのだが……」
大地は困惑した。
今年の4月からこの天神宮市に転校して来て以来の最大級の事件に、どのように対処して良いのか判然としなかった。
いや、そもそもたかだか16年ほどしか生きていないしがない高校生の手に余る出来事に違いない。
(巫女のコスプレしている人が急に現れて、神を自称するとは、世も末だな……いや、そもそも友達になるだと?意味がわからん。もしかしたら、自分のことを本当に神だと認識しているやばい人なのかもしれない……)
「焦らなくても良いのですよ?私のような美少女が急に顕現したからといって、焦ることは何もありません。心を沈めてください」
巫女は何故か駄々をこねる幼い子供をあやすような優しい声色で話し続ける。
何故か神に祈りを捧げるかのように、色白い両手を胸の前で組んだ。
「いや、俺はただ誰だか知らない巫女が神だと自称している状況に困惑しているだけだからな?」
「照れなくも良いのです。うちなる心の声に従いなさい」
「いや、照れては全くいないから安心しろ。だがしかし……」と大地は一瞬思案し「そうだな、うちなる声に従うという助言はよくわかった」と言った。
「はい、心を静めることが大切なのです」と巫女はうんうんと首肯した。
大地は言われた通り心を静めるふりをし、一呼吸した後で数秒ほど瞳を閉じた。
(こういう時はーー通報した方がいいんだよな……)
大地はポケットからスマホを取り出した。
チラッと巫女を見ると、巫女は目を点にし、キョトンと小さく首を傾げた。そしてすぐに「な、何をなさっているのですか?」と焦りの声をあげた。
大地はニヤリと口元に嫌な笑みを浮かべて、「110」と押した。
「あ、もしもし警察ですか。早朝にすみません。神社の境内に不審者がーー」
「え、ち、ちょっと、富山くん!?ま、待ってーー」
「冗談だ」と大地は画面に何も表示されていないことを目の前の巫女に見せた。
巫女は安堵したように息を吐いてから、すぐにぷくっと頬をふぐのように膨らました。
そして、今までの距離感を壊すように「洒落にならないんですけどー」と言った。
(とりあえず会話をした方がいいよな……いや、そもそもーー)
大地は率直に言った。
「……誰?」
「え!?私のことわからないの!?」
「知らん。俺の名字を知っているということは、もしかして……マジでストーカーか?」
「違いますよ!?なんでそうなるのですか!?一番に思い浮かぶことがあるでしょ?」
「えっと……同じ高校?」と大地は探るように言った。
「うん、選択授業の美術で同じですー」
「……」
「ほら、天神宮高校の女神と言われているーー」
「あー佐藤さんだよね」
「いや、全然名字が違うからね?というか、『思い出せないし、とりあえず、適当な名字を言っておけばいいか』みたいな雰囲気で答え出すのやめてくれないかな?普通に失礼だからね?」
「すまん」
「ほんと『やべーこの美少女の名前わからん!?誰なんだこの美少女は!?』みたいな反応やめてくれるかな」
「おい、どさくさに紛れて俺の内心を代弁するかのように『美少女』を連発するのはやめろ、加賀玲奈」
「ふふふ、やっぱり私の名前知っているんじゃないですかー」
巫女ーー加賀玲奈は大地の内心を見透かしたように微笑んだ。大地は「いや、今、たまたま思い出しただけだ」と玲奈の視線から逃れるようにして、足元を見た。
白い猫は飽きたのか、賽銭箱の上へと戻ろうとジャンプした。
「それで、加賀は早朝から趣味のコスプレを嗜んでいる最中なのか?」
「違いますよ!?」
「ああなるほど、お気に入りの私服か。まあ、服の好みは人それぞれだから、その……隠す必要はないんじゃないか?」
「いや、全然違いますからね!?なんで1人で勝手に納得して、あたかも私が『巫女の姿をしたいけど、恥ずかしいし、誰にも見られたくないから早朝に着るしかない』みたいな葛藤を抱いているかのような解釈をしているんですか……」と玲奈は何故かやれやれと言ったようにため息をついた。そして、「この神社を管理しています、加賀家の次女、加賀玲奈と申します」とペコリとお辞儀をした。
「へーそうなんだ」
「反応薄くないですかね。普通『朝からお勤めご苦労さま』とか、心優しい言葉がけは無いんですかーー」
「……」
「『何この美少女、チョー面倒くさいけど、チョー美少女だな』っていう視線を向けるのやめてくれないかなー」と玲奈は桜色の唇を小さく動かした。
「いやだから、先ほどからあたかも俺が内心『美少女』を連呼しているかのように表現するのやめろ?一度しか思わなかったからな?」
「あれ……今ーー」と玲奈はあっけに取られた。大地は失言を誤魔化すように「そんなことよりも、び、美術の課題だ!」と若干上擦った声で言い切った。
玲奈はにやにやとしてしまう頬をなんとか落ち着かせ、何も聞いていない風を装って「美術ですか?」と聞き返した。
「そうだ、美術だ。確か来週提出する課題があったよな?」
「はい、風景画と人物のデッサンでしたよね」
「そのことだが……終わったか?」
「風景画は終えましたが、人物画はまだーーはっ、もしかして美少女であるこの私を描きたい、ということですか!?」と玲奈は大袈裟に息を呑んだ。
大地は面倒くさそうに「ああ」とだけ答えた。
「もう、照れちゃってーーあれ、今なんと言いましたか?」
「だから、人物画の被写体になってくれないか?」
「な、なんでさっきから素直になるかな……もうーー」と玲奈は小さな声で何かを言った。大地は「すまん、聞こえなかった。今なんて言った?」と聞き返した。
「なんでもないです!ただ、これまでの流れから、ツッコミを入れるところでしょ、と思っただけです!」
「そうか……それで、引き受けてくれるのか?」
「ふふ、仕方ない人ですねー。美少女である私を描くからには、中途半端な完成度では許しませんから、覚悟してくださいね?」
「善処する」
「はい!」と玲奈は勢いよく返事をした。
それから2人の間にいささか沈黙が続いた後、大地が気まずい雰囲気を壊すように言った。
「そういえば、いつもいる白い猫のことだけど、人懐っこいよな」
「……?」
「ほら、足元に近づいてきて頬ずりするのとか、愛くるしいしとでもいえばいいのか?意外に癒しになるよな。躾とかしているのか?」
「えっと……すみません。私はそのような猫を一度も見たことがありません」
「おいおい、流石にその冗談はないだろ。現に今だってそこにーー」と大地は賽銭箱の上へと視線を向けた。しかし、白い猫の姿はなかった。初めからいなかったかのように忽然と姿が消えていた。
大地はキョロキョロと周囲を見渡したが、猫の姿を捉えることはできなかった。
「もしかしたら、猫神様かもしれません」と玲奈は意味深につぶやいた。
「猫神様?」
「はい。ここら辺一体に伝わる伝承ですね。なんでも真っ白い毛並みの猫の姿をしているそうです。その猫に頬ずりされると、瞬く間に運命の人と出会い結ばれると言われています。縁結びの神様として数々の良縁を結んできた伝説です……」
「な、なるほど」
「は、はい……私の祖父も白い猫に懐かれた後から祖母と話すようになったそうです」とつぶやいた玲奈の頬は少し赤くなっていた。
「……ちなみに俺、付き合っている彼女がいるんだよね」
「え!?」
「あ、嘘です」
玲奈は黙って大地へ近づくと、ぽかぽかと弱く胸元を叩いた。
いつの間にか東の空に太陽の姿が現れ始めた。
眩しいほどの朝日が雲の隙間から差し込み2人を包んだ。