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雨森村の怪異変

作者: 高木 拓田

 外では私の眠りを妨げる程の激しい雨に見舞われている。共に暮らしている十間は大きな寝息を立てながら布団に潜り、眠りについている。彼のイビキが五月蝿いせいでこんな真夜中に起き、外の様子をぼんやり眺めているわけであるが、夜の雨を見ていると、十間と共に体験したあの不思議な山村の旅館を思い出す。それはある嵐の夜のことであった。


 私と十間は山の幸を味わおうと仕事を一旦休み、ネットでも有名であった旅館に泊まる為、山道に車を走らせていた。だが、暗い夜道に視界を奪う雨のカーテンは私達の行く手を阻み続けた。地面の土も泥に化け、タイヤは悲鳴をあげていた。

「せっかくの休みだって言うのにツイてねぇな。本当なら今頃、旅館に着いて美味い飯食って温かい布団にくるまっているハズなのによぉ」と十間が口に出す。

私も合槌を入れながらハンドルを握り運転に集中する。

しかし、右も左もわからない状況で無闇に山道を走るのは危険であると考え、一旦車をわきに寄せ停車させた。

「おい十間、今日はどうもうまくいかない。今夜はここで一夜を明かすことにしないか?」と私は提案した。

「ここで野宿か?」十間は笑いながら応えた。

「確かに雨音を聞きながら車の中で眠るのは悪くねぇだろうが、すぐそばにある村に泊めてもらうのはどうだ」

「村?」と私が言うと、十間は左を指さした。

目を凝らして十間が指さす方向を見ると、灯火がゆらゆらと2つほど浮かんでいるのがわかった。しかしそれだけである。念のために十間に聞き返したが、彼は村だと言い張る。

二人で一緒に車を降りて灯火に続く林道を進んでみることにした。

 

 数分間の自然のシャワーに濡らされると、粗末な建物がちらほらと姿を現し始めたのだった。

「見てみろよ西郷」と背の低い看板に手を乗せながら十間が言った。

看板にはこう記されている。"ようこそ!雨森村へ"

「どうだ、俺の言ったとうりだったろ」

「へえ、確かに村のようだね」

村であることは間違いない。だが見た様子、人が住んでいるようには思えない。さっき見た粗末な家がいい例だ。そしてもう一つ疑問に思っていたことがある。いくら十間といえども、この暗闇の中で林の奥にあるこの村を見つけることは不可能なはずだ。しかも灯火2つだけで村だと断定して言い張るのも可笑しな話である。このことを十間に聞いてみたが目を逸らし、曖昧な返事しかしなかった。追求しても十間は黙秘を続けるだけであったので、これ以上は無駄だと確信した私は口を閉じることにした。


 そこからもう少しだけ村内中心部に進み、ひらけた所に出た。

「十間よ、もうこの村は誰も住んでいないんじゃないか?」

いくら建物があるといえど、窓は割れ、屋根は崩れ落ち、もはや人が住める家と言えるものではなかったのだ。

「お前も見たろ、西郷」

「何をだい」

「灯火をよ。灯火があるってことはよぉ、人が住んでいるという意味でもあるんだぜ」

村のことに気を持っていかれていて、灯火のことを忘れかけていた。その灯火はというと、村のメインストリートであったであろうと思われる道の奥に、赤く、そして不気味に蠢いている。

「奥の方だぜ。ついて来いよ西郷、俺が先行してやるからよ」

そう言った彼は灯火の方に足を運んでいく。遅れずについて行こうとするが、豪雨のせいで土がぬかるみ、中々進むことができない。十間のやつはというと、私のことを気にもかけずに益々奥へと進んでいく。雨や泥なんて屁でもないようだった。

「おい待ってくれよ」と私が十間に言葉を投げる。

私の言葉を受け取った彼は、ついて来ていない私に気づき、笑いながら近寄って来て

「何を遊んでんだよ西郷、こんな所で泥んこ遊びしている場合かよ」

「これが泥遊びに見えるかい?」

「見えるねぇ、子供のようだぜ。俺は昔から慣れっこだからな。見ろよこの動き、達人だぜ」

彼は左へ右へと跳ね飛び、上手に泥道を進んでいく。彼が足を置いていく場所をよく見てみると石の上や、木の葉で雨をしのいで固さを保っていた所などであった。

「確かに達人だな」と呟いた私は、彼が通った跡に続いて十間を追いかけ始めた。


 数分間道なりを進んでいくと灯火の明かりが大きくなり、次第に鮮明となっていった。灯火は大きな屋敷から漏れていたものである。私と十間はその大きな屋敷の目の前までやってくると

「でかい家だなぁ」と十間が言ったので私もそれに応える為にうなずいた。屋敷の玄関入り口の屋根には古い看板が掲げられていた。

 『森旅館』

看板は朽ち果てかけ、字は消えかかっていたので読み取ることができたのはその3文字だけだった。

「旅館・・・?」私がそう呟いていると、十間は玄関に入り込んで中をまじまじと眺めているのだった。私も中に入り

「ごめんください」と声をかける。

声は奥まで響いていたが返事もなく、また誰もやってくる気配はなかった。もう一度声をかけようとすると、後ろから少ししわかれた声が聞こえた。

「お客さんかね」

 突然後ろから声がしたのでギョッとしてしまった。額から流れる汗を拭き恐る恐る振り返ると顔の良さそうな老婆が立っていた。その顔を見ると、私は内心ほっとすることができた。この廃れた村に人はいないという疑念が晴れたからである。

「突然すみません、道に迷ってしまいましてね。今夜一晩だけ泊めて頂きたいのですが」

腰を曲げてゲタを鳴らしながら私たちの前を通り過ぎ、

「部屋ならどこでも空いているよ。どこでも好きな部屋を選びな。ただし飯は炊けねぇから我慢しな」

「それはいいんですが、どこでも空いているのですか?」

「2人組のカップルが2階の一角で寝泊まりしているけど、他の部屋は全部空いてんだよ」

と言って老婆、いや女将が懐からかなり古めの宿泊者のリストを取り出して見せてくれた。昭和からの物であろうか、長年愛用しているのだろうか、紙は茶色に染まり、少し赤みのあるシミが日付を記す部分を邪魔し、見えなくしている。最後に宿泊者の名前が書かれているページが開かれると、女将はある2人の人物の名前を指した。

「この2人組だよ」

女将が言った所をよくみてみると、字がかなり崩れていて読みづらかったが、確かに名前が記されていた。

「大井川好男と庄内明美・・・・・・」と私が口に言うと、今まで黙っていた十間が急に横から声を上げた。

「大井川好男と庄内明美だとぉ!?」といきなり荒げた声を出したので、私は一瞬、体を震わせてしまった。

「どうしたんだ十間」

「えっ、いや、なにもだ」

 考え込むように黙り込んでしまったが、何か決断したのか私の耳元にこう囁いた。

「少し話がある。部屋が決まったらそこで話そう」

私には訳がわからなかったが、とりあえずそのカップル達がいる2階の一室に泊まることに決めた。

「はいよ、ここの部屋だね。爺さんや、爺さんや」

と女将が廊下の奥に声をかける。すると、床を擦り付ける音が聞こえ、人影が現れた。


 ゆっくり近づいてくるその人影は玄関の灯火により鮮明となる。法被を着た骸骨・・・、ではなく肉があまりついていないだけで、ほっそりとした体つきに、頬は固くシワだらけな老爺であった。

 「呼んだかえ?婆さんや」

「お客さんだよ。案内してやってくれ。あぁ、後お客さん、うちには裏に露天ぶろがあるから好きな時に入ってくれても構わないよ」

「露天風呂かぁ、雨に濡れながら入るのも一興かなぁ。部屋に入った後にすぐに入りに行こうぜ西郷」

 女将に礼を言い、老爺に案内されるがままについて行く。

少し廊下を進むと2階へと続く階段が現れ、老爺、十間、私の順に階段を登って行く。階段を登る時、階段が腐食していたせいか、一段一段足をかける度に足場が崩れそうな音が聞こえたのだ。そして私の足音と十間の足音が重なることで、私をより一層不安にさせる。2階につき、蝋燭が続く廊下を進んで、奥から2番目の一室に通された。

 「こちらです」と老爺が言うので、私は襖を開けた。

中にはテーブルの上に置かれた一本の明かり、床一面に敷き詰められたボロボロな畳、外を一望できる大きな窓に加え、お世辞にも良いとは言えない粗悪な布団。今の我々にとっては泊まれること自体が有難く、文句も言ってられないのだ。

 「では、おふたり様、ごゆっくりとおくつろぎください」

そう言って老爺は生まれたての子鹿の様な足取りで来た道を引き返して行った。すると十間は険しい顔をして、廊下に誰もいないかを確認してピシャリと襖を閉じて俯き

 「お前、幽霊とか信じるヤツか?」と言った。

訳のわからないことを突然言い始めたので、私は首を傾げた。返答に困っていた私に、再び十間が問いかけてきた。

「幽霊がいる、と信じるかと聞いているんだ!」

「幽霊?あの死者の魂のことかい?」

「そうだ」

「私は信じていないのだが」

「なら、今日から信じることになるだろうなぁ」

そう言いながら振り返る彼の顔には不気味な笑いが浮かんでいたのだった。

「いいか友よ、これから話すのは今から10年前の話だ」

私は唾を飲み、2人で明かりが灯っているテーブルを囲んで座る。そして十間は語り始めたのである。




 十年前と言えば今よりも数多くの犯罪が起き、我々警察は寝る間も惜しんで正義の為に働いていた時期なのである。大金が銀行から盗まれた強盗事件、時価数十億の宝石が盗まれ危うく海外へ密輸されそうになる事件など、我が国の犯罪史上に名を残す大事件が多々発生した。この頃、若き十間も様々な事件を解決したり数多の犯罪者(主に詐欺やひったくりをした者達)を検挙するなど、数々の功績を挙げた。そして、彼の働きが上に認められ、遂に警部にまで昇進していったのだ。警部になって初めて担当した事件、それこそが今回の肝となるのである。


 山中にある小さな町からかかってきた一本の電話から事件が始まった。黒い頭巾を被り、茶色いサングラス、口を覆うマスクを身につけ、全身を隠すように体型に似合わないレンチコートを着た者が町一番の富豪の屋敷に押し入ったそうだ。泥棒は屋敷のあらゆる金になるもの、絵、宝石、貴金属を奪い盗った。しかし、屋敷を荒らしている最中、その泥棒は屋敷の主に見つかった途端に殺人鬼へと変貌したのである。犯人自らが用意していた刃物で無防備の主人をメッタ刺しにし、後から駆けつけてきた妻子の命までも奪い、死者2人が出た悲劇の舞台を作り出した怪人は盗んだ財宝を手にして姿をくらませたのである。その悲劇が演じられた2時間後に、十間率いる警察隊が到着したのだった。

 壁に飛び散った血痕に散乱した小物、横たわる二人の遺体、その現場を見た十間は目が眩むほど悲惨だった。十間が率いてきた部下数十名がかりで検証を行なったが、犯人に繋がる証拠や指紋も一切見つかることは無かったのである。現場検証も一区切りにし、引き上げを考えていた頃、何やら外が騒がしい。十間は外の様子を伺っていた警官に何事かと問い質した。

『なんだ騒がしいぞ、何があったのだ』

『何やら息子と名乗るものが現れたそうで』

『息子か、どこにいる?ム、アイツか』

そう言った十間は進入を阻んでいる警官と揉めていた男の姿を確認した。その男は警官を跳ね除け、屋敷内へと走り込んできた。

『父さん!母さん!』青年はそう叫びながらあの悲惨な現場に踏み込み、倒れた2人を見て、ただただ涙を流すしかなかったのだ。

『大井川 好男さんですね』

十間がその青年に尋ねると、彼は十間の方を見向きもせずに無言で頷いた。

『えー、そうですね。お話を少し伺いたいのですが、よろしいでしょうか』

『アンタ誰なんだ?』

『申し遅れました。わたくしは県警の十間平三と申します』

『警部さん?』

『そうです』十間がそう応えると、大井川は十間を睨みつける。同時に顔は怒りで歪み、目には涙を溜めていたのだった。

『犯人は、僕の両親を殺したのは誰なんだ!』

そう怒鳴った彼をなだめるように十間は

『落ち着いてください。残念ながら犯人に繋がる証拠も情報も一向に掴めないのですよ。あなたの両親を恨んでいた人物に心当たりはございませんか?』

無論、今回の事件は金品目当ての犯行であり、犯人を見た彼の両親は口封じに殺されたと考えるのが妥当であるのだが、十間にはあることが引っかかっていて、本当にその考えが合っているかどうか迷っていたのだ。

『両親が恨まれている話なんて聞いたこともない』

『そのようですね。我々の方も近隣の住民に聞き込みをしたのですが、皆さん愚痴を揃えて言うのですよ。大井川夫妻はとても優しく、誰にでも親切で、彼らを恨みそうな人物など知らないと』

『じゃあ何故そんなことを一々聞くんだ!』

『実はですね、犯人は堂々と玄関なら侵入し、犯行後再び玄関から出ていっている形跡があるんです。しかも、金庫はこじ開けられているのに中身にあった大金には手もつけられていないんですよねぇ』

『・・・何が言いたいんです?警部さん』

さっきまで涙を流していた人とは思えない程、彼は怒りをあらわにしていた。

『私が言いたいのはですねぇ、目の前にある金を盗まずに、うれば金になる品物ばかり盗んでいるのは変なのです。市場に出回ればすぐに足がついてしまうのに。犯人は裏社会に繋がっている者か、それとも・・・』

十間が言い切る前に大井川が口をはさんだ。

『僕が犯人だと言いたいんですか!』

突然の唸り声に、十間は一瞬たじろいでしまった。

『いやいや、そこまで言おうとはしてません。内部犯の可能性を否定できないと言いたいだけですよ』

弁明するつもりでそう話したのだが、彼には聞こえなかったようだった。彼は復讐心にかられて、彼の両親の言葉以外、彼に届くことはなかっただろう。

『もういい!自分で犯人を探し出してやる』

大井川はそう吐き捨て、何か小言を呟きながら屋敷を飛び出していってしまった。彼の後ろ姿を見送った十間は、近くにいた部下に大井川の身辺調査を命じ、今回の調査報告を行う為に県警に戻っていった。


 一週間後のことである。一向に犯人の目星がつかず、途方に暮れて大井川の身辺調査の報告書を煙草を吹かせながら眺めていると唐突に刑事総務課の扉が大きな音と共に開かれ、

『し、失礼します!十間警部、た、大変なことが起こりました』

慌てながら入って来た部下がそう言った。

『落ち着け、何があったんだ』

『大井川好男が姿をくらませたんです。大井川の彼女、庄内明美と共に行方をくらませたのです!』

『何だと!?』

 

 もはや一目瞭然であった。十間はすぐに大井川好男と庄内明美の捜索を命令し、しらみ潰しに町中を探した。されど、大井川らを見つけることができない日が続き、捜査範囲拡大を考えていたが、山に放っていた別働隊から一報が入ってきた。山中の川辺にて大井川好男のものと見られる衣服と靴が見つかったのだ。連絡を受けた十間は全捜査員を集め、山狩りを行ったが一週間経っても大井川と庄内を発見するに至らなかった。

 

 事件発生から約半年後、上から捜査打ち切りの命令が出され、十間の警部人生初めての事件は迷宮入りとなったのだった。その数ヶ月後に庄内明美の服が町の河原に流れ着いていたのが発見された為、検察は2人は溺死したのであろうと考え報告書には2人は死亡と断定、と記されたのであった。




 以上の話を机に肘を乗せて聞いていた私は黙していた自らの口を開いた。

「わからんね、結局2人の遺体はまだ見つかっていないんだろ。ならヤツらがまだ生きていてもおかしくはないのではないか?」

「確かにその通りなんだよ。2人が死んだという証拠はない。しかしだぜ、10年前に姿を消した人間がまだ生きていると思うか?」

「俺は思うぞ」

呆れながら私が言ったのを見た十間は少しムッとした表情で

「じゃあ、ヤツらが泊まっている部屋に乗り込んで真偽を確かめてみようじゃねぇか」

と提案してきた。無論、私はこの提案を飲み、隣室の敵の寝ぐらの前まで2人でやってきた。

「失礼する」と十間が声をかけ、勢いよく襖を開けてみると部屋の中は暗く、何者も潜んではいなかった。

「お、おい西郷!よく見てみろよ!」と十間が声を荒げた。

部屋の真ん中に置かれた机の上には一人前の弁当の空箱、隅にはまだ新しいゴミ袋が積まれていた。

 「ふむ、どうやら幽霊は留守のようだね」

私は勝ち誇ったように言ってやった。十間は安心したような気持ちを表したが、私の言葉を聞いて腹が立ったようだった。

「ここに生活感が残っているということは、ヤツらは生きているということだ。10年ぶりの再会といこうじゃねぇか。ぬ、誰だアイツは」と十間が階段の方を指さした。そこにはこちらの様子を覗き見している黒い影があった。

「大井川にちげえねぇ。あ、待て!逃すか!」

こちらが近寄ってくるのを恐れたのか、雲のように消えてしまった。

「追うぞ!ついて来い」と十間が叫び、駆け出した。

急いで黒い影の後を追ったが、時すでに遅しで、ヤツを見失ってしまったのである。

階段を下って一階を捜索するも大井川は見つからない。廊下で出会った女将に聞いてみても、見てないと一点張り。

「まあ、旅館に泊まっていれば大井川達と鉢合わせれるだろう。とりあえず風呂に入ろう。体を洗って気分転換さ」


 大井川探しに熱中する十間をなだめながら、一階の廊下の突き当たりにある扉を通り、露天風呂に続く道に出た。大井川を見つけることができなかった十間は不貞腐れながら、私の隣を歩いている。何度も愚痴をこぼしながら。

「この道・・・、一応通れるが、手入れは全くされていないな」

 落ち葉が積もり、階段の石段は崩れ落ちているのを見ながら続ける

「客がまったくこないのかな?」

「まあ寂れた村に、片田舎の山奥にあるぐらいだからなぁ。

人も寄り付かねぇだろうよ」

 十間はどこか寂しそうな気持ちで呟いた。霧雨のシャワーを浴びながら数分ほど道なりを進むと、水が激しく流れる音が耳にはいり、目には温泉の湯気を照らす一つの明かりが写り始めたのだった。

「ついたぞ、温泉だ。さっさと体を流して大井川をとっ捕まえるぞ」

意気揚々に言って目にまとまらぬ早さで服を脱ぎ捨て、豪快に飛び込んだ十間。大きな水飛沫と波が私を襲う。

「お前も入れよ。気持ち良いぜ」

腕を伸ばして気持ちよさそうに湯に身を任せる十間を見て、私も服を脱いでゆっくりとお湯につかる。体を優しく包み込み、温めてくれるお湯に思わず感嘆をもらす。

「あぁ、極楽だ」

「眺めもまあまあ。お、見ろよあの川」

十間が指差す方向に一瞥をやる。

「あの川がどうしたんだ?」

そこには激しい音の正体であった少し大きめの川があったのだ。

「ほら、さっき話しただろ。二人の衣服が川周辺で見つかったとさぁ。あの川だぜ、二人の服を運んできたのは」

「あの川がねぇ」

 十間にはあまり興味のない言い方をしておいたが、私の心の中では妙に引っかかるのであった。偶然にも、かつて十間が担当した最初の事件につながるものが集まっている。自分の思考を働かせながら顎に手を当てていると、十間が突然立ち上がり

「もうゆっくりしていられねぇ。さっさと行くぞ!」と叫んだ。

どうやら、私がゆっくりできる休暇はまだお預けのようである。


 

 勢いよく湯場を飛び出した十間はすぐに見えなくなった。

暗闇の中でも山道を動くことに慣れているだろう十間に追いつけないのは目に見えているので、私はゆっくりと旅館に向かう。

 十間を見失ってから数分が過ぎた。山中の真ん中辺りについた頃、私を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

「西郷・・・、西郷・・・」

低く重苦しいその声に驚き、背筋に冷や汗が流れたが、よくよく耳を澄ましてみると聞き慣れた人物の声であった。

「十間か?どこにいる?」

大声で叫んで十間を呼ぶと返事が返ってきたのであった。

「おーい、ここだ」

声の主は道を外れた急坂の下に転がっていたのである。

「そこで何してんだ」私は質ねた。

「流石の俺も足を滑らせてしまったのよ」と土にまみれた顔を拭いながら答える。

「それより、こっちに来てみろよ。興味深いものを偶然見つけたんだぜ」

 私に手招きしながらも、彼の視線はその興味深いものに奪われていた。十間は何を見つけたのか?彼が見つけたものを私も見たいという衝動を抑えられず、急坂を滑り降りる。

「何を見つけたんだい?」私は興味津々に言った。

「これだよ」と彼はいつも懐に入れてある携帯懐中電灯をつける。すると同時に土に埋もれていた何かが目の前に姿を現した。

 それはあまりにも予想外なものであったのだ。驚きのあまりに声も出ないほどに。

「何故こんなものがこの辺境にあるんだ⁈」

「逆さ、辺境だからこそあるもんだ。俺が人殺しなら間違いなく人気のない場所に死体を隠すぞ」

 我々の話を聞いていれば何が発見されたかは見当がつくだろう。

「埋められてから約10年ぐらいだな」

「わかるのか?」

「あぁ、こういうことは少し詳しくてな」

 十間はしゃがみ込み、横たわる人骨を触り始めたのであった。人骨の服はすでに剥ぎ取られた後で、残っていた装飾品や靴、そして下着などを物色していた十間は何かに気づいたようで、驚きと疑問が混ざり合った声を張り上げたのだ。

「どういうことだ一体!」

十間は人骨から一部の装飾品を引きちぎり、まじまじと見つめる。それでも何かが納得できないようで人骨が身に着けているものを再び物色する。

 一通り調べ終わると考え込むようにしゃがみ込み、人差し指を額に当てて小言をぶつぶつと呟き始めたのだ。

「どうしたんだよ」

私が聞いても返事もせず、人骨を見つめ続けている。そして急に立ち上がり、

「そうか!全てアイツがやったことか!とすると・・・、

旅館に急ぐぞ西郷!」


旅館に着くまで十間は終始沈黙を貫き通していた。廊下で偶然鉢合わせた女将と老婆に会釈し、部屋へとたどり着く。

「今日は早く寝るぞ」

「教えてくれよ、何がわかったんだ?」

「明日の早朝が勝負だ。それで全てがわかる」そう言い残して、彼は雑魚寝をするのだった。

「なあ、十間」

 聞いても返事はない。すでに寝入ってしまっているようである。何もわからないまま私はボロボロで埃まみれの布団に潜り込んだ。今にも崩れ落ちそうな天井を眺めながら思考を巡らしていく。大井川と関係がある事、そして十間が見つけた謎の人骨。私の中ではある仮説が浮かび上がるのであるが、確証のないただの机上の空論でしかない。何度も考え直していくうちに頭が痛くなってしまったのであった。

 

 遠くから鐘の音が微かに聞こえ始めた頃、廊下の方から床がきしむ音が聞こえたのであった。私は驚いて飛び起き、襖に耳を当てる。大井川が自室に戻るのだろう。その音は一度大きくなった後、すぐに小さくなり、やがて私の鼓動以外は聞こえなくなってしまった。そして隣の室の襖が擦れる音が2回ほど聞こえた。これは好機ではないか。十間の念願であった大井川確保が叶う時が訪れたのである。自分の鼓動が早くなっていくのを感じ、思い切って部屋から飛び出ようとすると

「まだ行くな」

今まで寝ていたはずの十間は私の手を掴み、鋭い目つきで睨んでいた。

「起きていたのか?」

「まあな、明日の早朝と言っただろ」

「だけどチャンスだぞ。大井川を捕まえることができるんだぞ」

「焦る気持ちはわかるが今は待て。そして息を潜めておくんだ。なぁに、奴はまだ逃げやしないさ。今にみてなって、明日に俺たちが大魚を捕らえる妄想でも膨らましてさっさと寝ろ。わかったな?」



 雨も止んだ雨漏村の早朝。鳥も鳴かぬこの辺境の地である人物が旅館から立ち去ろうとしている姿があった。その人物こそ十間が追い求めていた大井川なのだろうか。

 茂みに隠れていた私達は十間の合図で獲物に襲いかかった。

「今だ!取り押さえろ」

大井川らしい人物は我々が待ち伏せていたことに驚き、尻餅をついた。しかしヤツは意外に俊敏な動きを見せ、我々2人の追撃を次々とかわしていったのだ。

「まずい!逃げられるぞ!」私は悲痛の声を漏らした。

一方、十間は余裕の表情を浮かべている。

「安心しろ。運は俺たちに味方しているようだぜ」

ヤツの逃げていく先にはなんと大勢の人々が待ち構えていたのであった。あまりにも突然現れた群衆に呆気にとられていると、ヤツはすぐにその中に飲み込まれてしまった。

 その様子を唖然として見ていると、青い服を着た見慣れた顔が走ってきたのである。

「西郷警部!十間警部!」といって敬礼する青い服の正体は、2人が事件の見聞するときなどに必ず現場にいる竹川巡査長であったのだ。

「十間が呼んだのか?」

「いや、俺は呼んでないぞ。そもそも携帯電話なんて物は車に置いて来た」

私も携帯電話を持ち合わせておらず、連絡なんて不可能であったのだ。

「実は、十間警部が至急来て欲しいと老人の声で連絡が入りましたので」

「老人・・・」

それでピンときた人物。この旅館の女将、もしくは老爺である。旅館に振り返り、女将に礼を告げに行こうとしたが

「西郷、行くんじゃない!」

と十間は怒鳴るように私を呼び止めたのだ。

「どうしてさ?」

「それは・・・、とにかく今は犯人の正体を確かめようぜ。なぁ?」

十間は私の腕を掴み、強引に引きずって行く。まるで旅館から遠ざけたいかのように。

「御苦労さまです。西郷警部、十間警部」

犯人を取り押さえている警官達が2人に気づき一斉に敬礼をした。

「年貢の納め時のようですね。あなたが犯人だと気づくのに約10年もかかりましたよ。大井川邸の夫妻を殺し、そして大井川好男までも亡き者にした。あなた自身も死んだかのように見せかけて、姿をくらました」

一息ついた後、彼は再び口を開き

「庄内明美さん!あなたを大井川一家殺害容疑で逮捕します」

 十間の冷たい目はその場に居た全員を震えあがらせたが、最も十間を怖がっていたのは庄内明美だったのであろう。彼女は口を開けたまま、何も発することはなかった。小柄で少し太っている彼女の目に映った十間に、死んだはずの大井川の姿でも見たのか、突然

「ごめんなさい。ごめんなさい、大井川さん」

と涙を流して額を地面につけて謝り始めた。

 そんな様子を見ても顔色ひとつ変えず、いつもの十間とは思えない程の低い声で

「署に連れて行け」と叫んだ。

震える庄内を警官2人が拘束し、村の入り口に停まっている警ら車まで連れて行こうとする。

「西郷、お前はこのまま本来行くはずだった旅館に先に向かえ。俺はこのまま署に行ってくる」

別の警察官に何かを命令し、無言で庄内らの後に続く。なぜだろうか、その背中姿は少し寂しそうな様子に見えたのであった。



 昨晩とは違い、和風感が満ち溢れる客室です羽根を伸ばしてくつろぐ。美味い料理を腹一杯に食べ、幸福の渦中にいるような心地よさである。一人その至福の時間を過ごしていると、事件の結末を報せる運命の扉が開かれた。

「よお、幸せそうでなによりだな」

「帰ってきたか。意外に早かったな」

「まあな」

首を曲げたり、回したりしてだるそうに席につく。

「それで、どうだったんだい?」

「知りたいのか?」

「そりゃあ勿論」

彼はポケットの中に手を突っ込み、何かを取り出して私に放った。慌ててそれを掴み取り、手に収めた物をよく見てみる。

「こいつは?」

私がそう尋ねると、彼は少し小馬鹿にしたような笑いを見せた。

「これはあの死人から頂いた物だよ。もっとも、10年ほど前のものだがね」

十間がはため息を吐き、続ける。

「当時失踪した大井川が身につけていたものだ。それをあの人骨が身につけていた。ここまでは言えばわかるだろう」

私は息を呑んだ。

「気づいたようだな。大方、お前も勘づいていたんじゃないか?」

十間はポケットから煙草を取り出し、口に咥える

「俺も詳しいことは庄内明美から聞き出させなかった」

彼は煙を吹かせて続ける。

「女心てのはわからねぇ。何故あんな事をしでかしたかもなぁ。彼女が十年前、強盗を装って大井川夫妻を殺害し、彼氏である大井川好男も殺すなんてなぁ。奪った品は何処かに捨てて、そして自分も死んだように見せかけ十年も身を隠していたと・・・」

天井を見つめる十間は哀れみの目を浮かべていた。沈黙が訪れ、私も十間もお互いを牽制し合うように何の言葉も発しない。机に置かれていた和菓子を口に頬張る。

「まあ、十年前の未解決事件を解決できたんだ。良かったじゃないか。今度、あの旅館の女将さん達に礼を言いに行かないとな」と私は笑って呟いた。

十間は真顔でキョトンとしていたが、すぐに理解した表情をしてみせたのだった。

「・・・まあ、そうだな。今度お礼にいかないとな。花束二つに、まんじゅうとかをな」

彼は目を逸らし、旅館の外にある枯れ木を見つめた。その枯れ木には二つの木の葉がついていたのだったが、風に煽られている木の葉はやがて故郷を離れ、空へと旅立っていった。

私が十間の言いたかった事を理解したのは今この時である。

  十間の手記より


 幼き頃に訪れた雨森村の活気は見る影もなかった。友人らと共に故郷から雨森村をたびたび訪れては、村の人たちの優しさに触れ合ったものである。特に雨森村の名物でもあった旅館の主人らとは仲が良く、遊びに来るといつも無料で露天風呂に入れてもらうのだった。風呂から一望できる大自然の数々を、川が奏でる濁音を聴きながら眺めると、人の手がかからない世界を肌身に感じることができるのである。それがなによりも幸福な時間でもあったのだ。

 それから時が経ち、私は故郷を離れて都会で暮らすこととなったのだ。

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