第41話 正義の定理
第三位階中位
なんだアレは、何が起きた……?
惚けたのも困惑したのも悩んだのも一瞬。俺は大声で叫んだ。
「西へ! プランBだッ!」
そう、元から取り決めていた。
無いと思うが、万が一バンムオンが生き残ったら、そこに如何なる事情があろうと、コアの元へ帰還すると。
バンムオンに鎧が出たり、酷く弱って見えたりなんかは関係ない。
ただ生きているだけで、十分逃げるに値するのだから。
良いんだ。例え追って来なくても。弱める事が出来たなら、翌日再度襲えば良い。
合図と共にルー先生が現れて穴へと飛び降り、影纏う皆が音を気にせず最高速で離脱する。
背後で轟く咆哮から逃げる様に、俺達は闇を駆けた。
◇
『マスター!』
「Bだ!」
『はいっ、そこから山を登りつつ左手側へ向かってください!』
「人数はっ?」
『確認が取れ次第報告します!』
山エリアへ入ると同時にコアとやり取りし、指示通り移動する。
暫く走って辿り着いたのは、山の少し奥にある、緩い斜面の草原だ。
『全員の無事が確認されました。マスターは風上へ移動してください!』
「OK! ゴブリンの戦士達を召喚してくれ!」
『転送、開始します!』
焦燥は恐怖故に。
とても長く感じられる僅か数秒の末、地面に魔法陣が現れた。
最初に現れたのは、予想通り小柄な奴。
「バンムオーン、ギィガ! ……?」
「バンムオンギィガ」
辺りをキョロキョロしてる奴へ、挨拶程度に奴を殺すぞと声を掛ける。
念の為、弱っちい配下は俺の後ろの山側に。ゴブリン達は森側だ。
続々と転送されて来るゴブリン達を見下ろし、暫し待つ。
程なくして、非戦闘員等を除くゴブリン戦士団300名が転送されて来た。
此方を見上げるそれらへ、武器を掲げて見せる。
「バンムオン、ギィガ!」
それしか言えねぇ俺に対し、ゴブリン達は再配布された錆びた金属武器や棍棒を空へ向け、咆哮した。
騒がしく喚き散らす事で、バンムオンに居場所を教えるのも目的の一つだ。
差し当たって小柄な奴を手招きする。無警戒にすたこらやって来たそいつに背を向け、配下の方を見た。
手信号で指示を出し、合体ハイカー100体を解除、300体のハイカーに戻って貰う。
ぐにゃりと歪んで3つに分かれたそれらを見て、叫んでいたゴブリン達が俄に黙り、違う騒めきが始まる。
分かれた内の1体を呼び出し、小柄な奴と相対させた。
「ん」
ハイカーが憑いた腕を示して見せると、小柄な奴は手を差し出し、そこへハイカーが手を伸ばす。
接触と同時にぐにゃりと歪んだハイカーは、俺のと同じ様にゴブリンの腕に纏わりつく。
『お、お? お? おぉ!』
小柄な奴は首を傾げたが、暫く腕を振り回した後、自前の獲物を持つや、楽しそうに振り回し始めた。
『凄い、黒い、凄い!』
「凄いだろ?」
努めてフレンドリーに、小柄な奴の肩をぽんぽんと叩き、ゴブリン達へと視線を向けた。
それらを指差し、ハイカー達へ一声掛ける。
「ゴブリン達に憑け、各員戦闘準備!」
指示は既に通達済み。これは単なる演出だ。
俺の指示でぞろぞろと動き出した様に見えるハイカー達がそれぞれのゴブリンの前に立つ。
ゴブリン達は、恐る恐る伸ばされた手を取り、ハイカー達を装備した。
びびっちゃいるが、リーダーが平気そうにしているから大丈夫だろうとの判断だろう。
その為の演出の数々だ。小柄な奴が素直に突撃してくれるのが実にありがたいね。
そうこうやってる内に、森の中から咆哮が響き渡った。
——Gruaaa!!!!
天を割く様に響き渡る咆哮、ビリビリと大気が揺れる。
震えは体に伝播し、拭いきれない恐怖にゴブリン達の顔が歪む。
俺は剣を掲げた。
「全員、戦闘配備に付け!」
『戦う、準備!』
真横で上がった声に少し驚きながらも、その無邪気な闘志に勇気を貰う。
急ぎ布陣を整えるゴブリンに合わせ、此方も陣を敷いた。
彼等は、棍棒持ちの中に金属武器持ちを混ぜた、おおよそ5〜6人毎の集団を形成している。
多分普段の狩りの布陣なんだろう。
棍棒持ちが囮や壁、追い込み役となって、金属武器持ちが攻撃するって所か。
小柄な奴が金属武器持ちのみのパーティーを形成しているのは、一パーティーで対処仕切れない大物を狩る為だろう。
対する此方は、単純な戦闘力と言う点では、全員が精々棍棒持ちゴブリン程度の力しかない。
利点は体が小さい点。ゴブリン1匹分のスペースで5体は取り付く事が出来る…………状況によっては犠牲も厭わず一気呵成に攻撃させる事になるだろう。
程なくして、森からそれは現れた。
静まり返るその場に、ガサリと奴は顔を出し——
「……?」
——俺は首を傾げた。
顔を出したそれは、あまりに小さい。
こいつはバンムオンじゃなくて、ただの熊——
「——っ」
刹那、森が騒めいた。
戦場が静まり返った事で、ようやく気付けた。
——群れがいる。
熊の群れだ。
ガサガサと草叢を掻き分け、次々と熊が森から顔を出す。
……猪のボスみたいに、奴には同種を使役する力があるのか……?
いや、それなら嫌がらせの時点でそれを使って、自分を温存出来た筈だ。
……まさか……猪の力を得た……!?
「ちっ! コア、火破石だ! 森を焼き払えッ!」
『マスター、どうか冷静に。先ずは100個程度で様子を見ましょう』
「……おう、頼む」
そうだな。落ち着け、俺。
……此処に来て標的が爆発的に強くなった可能性がある? 冗談キツイぞ。
くそっ……鎧が付いただけだと油断した。鎧が付いて尚、その脅威を凌ぐ程弱っていると思い込んだ。倒せると思い込んだ……! それでコアに報告をしなかったんだ!
くそったれ!! 俺だけで判断出来る事じゃ無かっただろうがッ!!
「……コア、すまん」
『……何か懸念が?』
「……バンムオンが進化した可能性がある」
『っ……プランAで生き残った時点でその可能性は考慮していました』
「マジか、流石コア」
『見た目で分かるほどの変化が?』
「猪の鎧と似た物が出た」
『成る程……であれば、鎧に加えて同種の支配能力を獲得した可能性は高いですね……』
最もパワーのある合体シャドーハイカー達が破石を森へ投げ込み、爆発して森が焼ける。
炙り出された熊達が血走った目で此方へ駆け込んで来た。
『総数30。全て小型個体なのでゴブリンでも対処出来るかと。またこの事からバンムオンの支配能力はそう高くない物と考えられます』
「よし、念の為シャドーウォーカー部隊を参戦。ハイカーは待機、それ以外で戦場を半包囲しろ!」
『伝達しました。破石の追撃を提案します』
「実行だ!」
散発的に森へ破石が投げ込まれ、木々が焼けて熊が炙り出される。
ゴブリンや合体シャドーウォーカーが熊を迎え撃ち、血の飛沫が舞った。
ゴブリンの怪我は初級ポーションや下級ポーションで都度治す。その為のポーションは購入済みだ。
火が弾け、血が舞って、空と大地が赤く染まる。
次また次とやってくる熊達とゴブリン達の戦いは激化。悲鳴が響き、怒号が轟き、狂気が戦場に満ちていく。
しかし——
「……なんで来ない……!」
——バンムオンが一向に姿を現さない……!
『……熊の襲撃がある事から付近の森に潜んでいる事は間違いありません。此方が疲弊するのを待っているのかと思われます』
「……ありえるな」
獲得した力を試しているとか、少しでも休憩して力を取り戻しているとか。
最悪支配能力も猪に劣っている訳じゃなく、大熊を食らって力を回復させてるとかも……考えられるんじゃないか……? 隷属下にある熊を使い捨てにしてるのは間違いないし、熊の共食いは稀にあるらしいから有り得ない話では無い。
『ルーセントソードを送り出しましょう。場所を割り、爆石を打ち込む事で炙り出せるかもしれません』
「……ルー先生なら行けるか? よし、実行!」
余りのルーセントソードを起動し、現れた光の剣が瞬く間に焼ける森へと飛び込んだ。
……ルー先生のAI、ほんとどうなってんだろうな? 何の説明もしてないんだが……。
「……位置を割るってのはどうやってだ?」
『光、または咆哮、或いはその両方で、ある程度の位置を割り出す事は可能です。マスターは銃を構えておいてください』
「分かった」
戦場を見下ろしながら銃口を森へ向ける。
果たして——破裂する様に、光が夜空を切り裂いた。
然程遠くない森の中、響き渡るのは怒りの咆哮。
『銃口を左上へ。ストップ。もう少し左です……そこ!』
「くらえ!」
コアの指示で照準を合わせ、火爆石は放たれた。
赤い尾を引く球体は空へ向かい、弧を描いて森へと落ちる。
爆発——
——閃光。
破石でも直撃すれば、人の四肢を捥ぎ取るには十分な威力だった。
弾けた爆石の威力は、人を木っ端微塵にして余りあるだろう。
轟音は此方にまで響き、パラパラと小石や木片が降って来た。
だが……悲鳴は聞こえない。
「……当たったと思うか?」
『多数の情報から位置を推測しましたが、直撃したかは不明です。しかし当たらずとも付近に落ちたのは間違いないかと。差し当たりルーセントソードを送り込みましょう』
「分かった」
ルー先生を再度送り込み……後出来る事は待つだけ。
「……奴は来ると思うか?」
『普通ならば逃げるでしょうね』
だろうな。俺も逃げる。安全な場所が有れば、だが。
『度重なる襲撃から、自分の居場所が割れる事は理解したでしょう。同時に、支配能力を持つが故に数による安全性の確保が可能だとも分かっているでしょう。回復までの時間稼ぎが出来ると理解していれば、逃げに徹するのが普通です』
そうだな。逃げられたら不味い。
数を揃えれば体制を整えるのには十分だ。増してや今は北西部の熊しか支配下に置かれていないが、半日でも時間を与えればこの森全体の熊が奴の軍門に下るだろう。
今逃げられれば、おいそれと手は出せなくなる。
奴が回復すれば最後だ。
今から追撃をするしか無いか? ……やらざるを得ないだろう。
死者を出さざるを得ない状況に無意味な苦慮を重ねていると、コアは暫し思考した後、話を続けた。
『……ですが、普通であれば、自らの命を危険に晒してまで、外敵への攻撃を優先する事はありえません。ここまでの知力を見せつけておいて、瀕死のまま迷宮へ攻撃を仕掛けたからには……』
「……奴には普通ではいられない事情があるって事か……?」
『逃げずに攻撃を優先する可能性は高いかと私は考えます』
「そうか……」
バンムオンの事情。
外敵を滅ぼし尽くさなければならない事情。
己の命を平気でベットし戦わなければならない事情。
それはきっと、単なる欲望や怒りではない。
——内に覚悟を擁する使命に他ならない。
奴は奴の正義で戦っているのだ。
対して俺はどうだろう? 世界征服だ。
邪女神様の事情は分からないが、少なくとも俺は、第二の生を得るために、世界征服に加担している。
これは悪逆なのかもしれない。
……だが、どうだ? 例え詐欺紛いの血盟であったとしても、生きる為に戦う事は悪逆なのだろうか?
自らの生の為に他者を犠牲にする事は非道なのだろうか?
……今更の話だ。
凡ゆる者は生きる為に他者を犠牲にしている。凡ゆる命は強者の物だ。
生きる事に正義も悪もない。
戦場は正義を問う場ではない。
俺は俺の正義が見えていないが、生きようとしている以上、俺にも正義があるのだろう。
——この戦いは登竜門。
この先俺がやっていけるかどうか、神が定めた篩、乗り越えなければならない試練に相違あるまい。
そう。本当はあの時、神の誘いに俺が首を縦に振った、その瞬間——賽は投げられていたんだ。
木立を砕き、血濡れの赤は、現れる。




