第31話 それは戦争
第三位階中位
『マス——』
コアの悲鳴が途切れた。
崖上にいる巨大な猪は、E級の奴よりもデカい。
偶然じゃない。光ったから突撃したんだろうな。
下までの高さは優に20か30くらいはあったな、助からん。ワンチャン足から行けば行けるか? ポーションならある。中級追加しといて良かった。即死しなければ行ける。
あぁくそ、これで死んだら死んでも死にきれん。コアとあいつらを残して死ねるか。もうちょっと支配範囲を広げておけば良かったか? 後悔してるに決まってる。決めたのは俺もだぞ。死んでたまるか。何か、何かない——
ズザザッと凄まじい音。数度の各所への衝撃。幾らかの鋭い痛みが頬や首に走り、ガードした手が切り裂かれる。
どっちが上でどっちが下かも分からない一瞬の混沌は、足への強い衝撃とその後に続く転倒で終わりを迎えた。
「……」
どうにか、ごろりと仰向けに転がる。
見えたのは、パラパラと落ちてくる枝葉の雨。何らかの衝撃によってへし折れた幹。
何か起きる前に、即座に中級ポーションを取り出して飲み込んだ。
「はぁ……ごふっ」
飲んだ物全部出す勢いの吐血。
刺す様な全身の痛みに、それらを吹き飛ばす様に一際痛い両足。
中級ポーションのおかげでそれらの痛みはかなりの速度で引いていくが、汗はブワッと広がった。
「はぁ……はぁ…………」
描いた冷や汗も服のお陰で引いていき、寝転んだまま一息つく。
「……はぁぁ〜……死んだかとおもた」
いや、マジで。少ない人生の走馬灯でカニダンスするシャドーウォーカー達とむにょむにょ動くイモムシの姿が浮かんだわ。そりゃ死にきれんわ。
正直じっとしてたい気持ちのが強いが、そうも言ってられない。ぺっぺっと血と苦い緑を吐き、立ち上がる。
先ずは逃げる。理由は2つ。
俺を突き飛ばした巨大猪が追い掛けて来る可能性がある事と、結構な音が鳴ったからその他の猛獣が来る可能性があるからだ。
北は巨大猪。西はおそらくエリアボスの縄張り。東はゴブリンの巣。
逃げ場は南しかない。
幸い落っこちた角度的に南は分かるし、各方向の危険度を考えると、南南東へ向かうのが良いだろう。
日が暮れる前には戻らないと。夜は昼にも増して猛獣達が活発化する。
◇
暖かな木漏れ日の隙間をすり抜け、草陰を滑る様に進み、極力音を立てない様に辺りを注視する。
1度目の失敗を踏まえ、森の様々な音に注意しつつ、何らかの痕跡が無いか探しながら南下を続けている。
はっきりと分からないだけで、生物の付けた痕跡は多い。
足跡は勿論の事、道がなだらかで妙に草や枝が無い場所は獣道。
乾いた泥の付いた木はイノシシかなんかが擦り付けた跡。
大型の獣の通り道である事は分かるが、いつ使われたかは分からない。
念の為それらを避けつつ進んでいると、その光景が見えて来た。
「……」
マヂかよ……。
草むらの先に見えるのは、ちょっとした開けた土地。いや拓かれた土地。
木が薙ぎ倒されたその場所で、西から東へ沢山の猪が進行している。
比較的小型のものが多い様に見えるが、その数はざっと……見える範囲で100は行ってるか?
多分ゴブリンの巣へ攻撃を仕掛けている猪の群れだろう。
細長く隊列を組む様に進むそれらは、群れと言うよりもはや軍団だ。
総数となるとその3倍はあるかもしれない。
……どうする。
東はダメだ。このまま行けば、ゴブリンと猪の戦場にぶち当たる。
なら西は? 未知数だ。ただ見える範囲では西には猪の列が延々と続いている。
落ち着け。冷静になれ。未だ慌てる時じゃない。そうだな。戦闘になるのは極力避けるべきだ。よって多少リスキーだが、西から迂回するのが——
そこまで考えた所で、西の遠くにいた一際大きな個体が吼え、猪の群れが一斉に此方を向いた。
「はーい、わかってましたー! 畜生!!」
威嚇も込めて大声で飛び出し、一番手前の猪の横っ腹へ蹴りをかます。
同時にスクロールを取り出して、キーワードを唱えた。
「ルーセントソード!」
刹那、閃光は走り抜け、猪の断末魔と共に血の飛沫が宙を舞った。
それを横目に目前の猪を蹴り倒し、光と赤が乱舞する道を駆け抜ける。
僅か数体程度の猪の壁を越えて南へ抜け、木立へ飛び込む。
これで逃げられる。逃げられるんだ。逃げられるさ。逃げ——
「——られる訳ねぇんだわっ」
ドンっと逃げようとする足で地面を踏みしめ、振り返る。
そうだ。逃げられる訳がない。
敵にとって、俺はゴブリンの一派も同じ。
人の逃げる速度より猪の方が早いし、ここは森の中だ。アドバンテージは敵にある。
少し追い掛けて潰せるなら、群れの幾らかを此方に差し向けるだろう。
つまり、逃げ切れる訳がない。
耐久走や疾駆なんてスキルを持っちゃいるが、それは所詮付け焼き刃。
とても森の住人から逃げ切れるもんじゃない。
ならどうする?
……倒すしかない。
全てを倒す必要はないと思う。ビビらせて、追うのを躊躇させる。それだけで良い筈だ。
これだけの軍を率いるんだ。大将にはビビる脳くらいあるだろう。
「ルー先生っ、長期戦だっ!」
威嚇を兼ねた大声を上げ、ナイフを抜いて踊り掛かる。
蹴り倒した感覚だが、どうもこいつら、特徴的な甲殻が脆いと言うか……軽い。
多分群れを増やしすぎたんだ。甲殻を形成するミネラルを確保する為に、今まで襲っていなかったゴブリンの巣穴へ攻勢に出た。
増やした理由は、エリアボスに対抗する為に違いない!
突進してきた猪を避け、横っ面を蹴り飛ばす。
もんどり打って倒れた猪複数体へ飛び掛かり、何度も練習した逆手の一撃で甲殻毎額を砕いて倒す。
奴ら、同士討ちを恐れてるのか、積極的な攻撃をしてこない。
つまり、体制を立て直すまでがチャンス!
チラリと確認したルー先生は、それはもう見事に小型猪の甲殻の隙間を突き、足だけを切ってはすり抜け、最も危険なおそらくE級と見られる大型猪の方へ突撃している。
背後を任せられる相手がいないのは不安だが、これが最善。
E級を止めないと死は免れない。
幸い、ルー先生のお陰で、負傷兵と言う壁が出来ている。
ルー先生が消えてしまうまでに、少しでも多くの猪を撃ち減らすっ。
それだけが唯一生存への活路だっ!
◇
視線は一点へ集中している様でいて、しかし周囲は良く見渡せる。
群を相手にする時、恐るべきは死角からの攻撃であり、その真の脅威は手数にある。
それを防ぐ手立ては一つ。動きを止めず、避け続ける事。
しかしそれではいつまで経っても攻撃に移れない。
求められているのは、攻撃を織り交ぜた回避だ。
思考を忘れる訳にはいかない。しかし状況は思考を待ってくれない。
直感的に動かなければ、生存ルートは途絶える。
しかしそう、知識は大前提。直感は思考の最適解。
——論理的行動と直感的行動は矛盾しない。
地に伏す壁を背に、突進を避ける。
転がり込む様にしたその先にいる猪の足を、立ち上がりざまに切り上げ、深く抉った。
——小型は甲殻が脆い。
血が地面に落ち切る前に、目前の標的へ蹴りをかまして転がす。
——蹴りは威力が高い。
混沌とする戦場の最中、攻撃を戸惑う群れへ飛び込み、初手回し蹴りで脳を揺さぶる。
——戦闘不能には十分な一手。
勢いそのまま次手、別の個体の腿へナイフを突き立てる。
直ぐ様引き抜き次へ。
——敵の動きが鈍い。
理由は、なまじ知性があるから。指揮個体が討たれた結果だ。
赤が舞い、鈍い打撃音が響き、本能的に動く者だけが森へ逃げ去る。
もちろん此方も無傷ではない。
時に突進が掠め、時に直撃する。その度に500万の服のありがたみを感じながら、疲労を感じ始める毎に初級ポーションを呷る。
既にルー先生はいない。E級と思わしき巨大な猪を3匹。その他の猪を数十程度倒し、何十匹もの猪の足のみを切断して消えた。
ルー先生が築いてくれた壁のおかげで、どうにか戦いになっている。
後もう少し、もう少し敵の勢いが削げれば。此方へ向かって来る敵を減らせれば。逃げられる。筈!
果たして、その時は唐突に訪れた。
ふと、敵の攻勢が緩んだ。
ひっきりなしに掛かって来ていた猪が疎らになり、余裕が生まれる。
総数自体が減ったかビビったか分からん。分からんが、これなら行ける! 周囲の数体をやれば十分逃げ切れる筈だ!
そう思考した刹那、その声は背後から聞こえて来た。
「ギィガ!」
「グギァ」
「グァガ!」
振り返ったそこに見えたのは、燻んだ緑色の肌の小人。
尖った耳と小さな2本の角、得物は殆どが細い棍棒で、毛皮の様な物を纏っている。
——ゴブリンだ。
それらが倒れているものやそうでない猪へ攻撃し、どんどん此方へ進行している。
敵の圧力が減ったのは敵の敵が増えたからか。
どうする? 強引に突破するか……?
出来ない事もない。ルー先生を放って逃げ出せば成功する。
だが、逃げた先に更に脅威がいる可能性は否定出来ない。ルー先生は最悪まで温存したい。
なら破石か? 破石もまた温存するべきだ。
最悪の仮想敵は、D級なのだから。
……ただし、脅威を履き違えちゃいけない。
あくまでもD級の脅威に対抗する為で、D級の個に対抗する為ではないのだから。
いつでもスクロールを使える様意識して、邪魔な猪を攻撃する。
しかし、予想通り、殲滅し切るよりもゴブリンの接近の方が早い。
僅か1分にも満たない戦いの末、俺はゴブリンと接敵した。
「ギィ?」
「……」
最前線を進んでいた剣持ちだ。
見た所、金属武器を持つ者は複数いるが、この剣だけ錆びがない。
木漏れ日を反射し、血を纏う刃は怪しく輝いている。
コアが言っていた魔剣とは、これの事だろう。
ただし、それを振るうゴブリンは、他の金属武器を振るうゴブリンと比べて一回り以上小さい。
棍棒を振るう奴等よりも小さいが……身のこなしや即座の判断が他と比べてダンチだった。
その実力はおそらくFを超えている。魔剣がどんなもんか分からんが、俺と互角かそれ以上の脅威に違いない。
いつでも攻撃出来る様に、しかし刺激しない様にナイフをあらぬ方向に構える。
果たして——
「ゲラ……?」
「……ゲラ」
……なんて? いや、なんか疑問系だったしワンに対してワンみたいなノリで返しちゃったけど、何か聞かれてたの?
瞬時にあれこれ思考が駆け抜けた次の瞬間、小柄なゴブリンは周囲へ呼び掛ける様に大声を上げた。
「ゲラ、ゲラッ!!」
「ゲラ?」
「ゲラィオ?」
「ゲラ……? ゲラ!?」
小柄なゴブリンの声に困惑が広がったが、それも束の間、小柄なゴブリンは俺を指差し、続けてナイフを差した。
「ゲラ、ギィンオー!」
「ギィンオー!」
「ゲラ!」
「ゲラ!!」
なんかめちゃくちゃ会話してるが、全く分からん。
ただ何かとても喜んでいるのだけが分かる。武器を上に向けてブンブン振ったりジャンプしてるからな。
小柄なゴブリンは暫し喜ぶと直ぐに周囲へ剣を向けた。
「ギィ、ギィグァガ!」
「グァガ!」
「ギィガ!」
何やら指示を出した様で、周囲のゴブリン達は猪の殲滅を再開した。
改めて此方へ振り返ったゴブリンは、剣で周囲の猪を指し示す。
「ゲラ、ルオーギィガィオ?」
今のは何となく分かった。これをやったのはお前か? みたいな感じだろう。
頷くと、ゴブリンは目を輝かせて小躍りし始めた。
「ゲラ、グァガルオー!」
「ゲラ、グァガルオーィオ!?」
「ギィガ!? ゲラ、グォン!」
「ゲラ、グォン!」
鬨の声の様な咆哮が上がり、あちこちで猪の血飛沫が上がる。
今のはアレか? コレをやったのはコイツみたいな? 訳分からんよ? 誰か訳して。こんにゃく出して! 助けてコアえもん!!
いい加減に頭がバグって来た所で、ゴブリン達の鬨の声を打ち消す様に、ソレは響いた。
——BuGiooooo!!!!
「ッッ!」
「!?」
咆哮。怒気を孕む雄叫び。
木々を薙ぎ倒す轟音が響き渡る。
「バンムッ!」
「バンムオォーン!」
「ギィグァガ!!」
ゴブリン達が慌てる中、ソレは森を突き破って現れた。
太い牙、金属の輝きを纏う甲殻、見上げる程の巨躯。
——想定E級をも凌ぐ、巨大な猪。