プロローグ
第三位階中位
ふっと気が付くと、そこは仄白い不可思議な空間だった。
何と思う前に、ストンと理解が降ってくる。
あぁ、俺……死んだのか。
ぼんやりとした意識で辺りを見回す。
俺はなにやら白い雲の様な淡く光る長椅子に座っている様だ。
握ろうとするとふわりと溶け、しかし触ろうとすると柔らかな布の様な肌触り。
なんじゃこりゃ?
場所は少し高い所。
見下ろした先にも、果てない仄白い世界が広がっている。
川があった。
大きな川だ。
流れているのは色褪せた薄色の玉。
赤や青、緑、黄色。様々あるが、ほとんどが薄く、褪せている。
それらの玉は、半透明の白いヴェールで何重にも覆われた球体から流れ出し、何処かへ流れて行く。
ふと、透明な何かが動いた。
そうかと思えば、川の中から濃い青の玉が浮かび、ふわふわと此方へ飛んで来て、俺の横で止まった。
じわりと染み出す様に青が広がり、気付くと玉は女に変わっていた。
金髪に青い目。ハーフっぽい顔付きで、正に美少女と言って良い。
心ここに在らずと言った様子で、ぼーっとしている顔も可愛らしい。歳下だろうか?
……ん? ……んん? 俺、何歳だ……?
疑問を感じた瞬間、急に意識がはっきりとし始めた。
ここはどこだ……? 俺、死んだんだよな……?
なんで死んだんだっけ……? 本当に死んだのか? ここは天国かなんかなのか?
俺は何歳……いや、俺は……俺は誰だ?
確か高校生だったか? 家はどこにあったっけ? 家族は……思い出せな——
決壊したダムの様に止めどなく疑問が溢れ、ぐるぐると世界が歪んで行く中、唐突に声が聞こえた。
「——お目覚めですね? どうぞ此方へ」
「んえ?」
妙に心地の良い女性の声。そうと感じた次の瞬間、目の前に美女がいた。
先の美少女と比べて更に美しい、銀髪の美女だ。
修道服の様な白い服を着込み、儚い笑みを浮かべている。
澄んだ青の瞳が、やけに鮮やかに映る。
それは然ながら天上の美。
しかし、美しいと思う以上に、まるで空に輝く星を見上げている様な、想像も出来ない程に巨大な何かを前にしている様な、不可思議で漠然とした感覚が上回っている。
これは……畏れ……?
「あなたは……?」
自然と敬語になる。言った後でさえ何の疑問も抱かず、俺にはそうするのが当然の様に感じられた。
美女はニコリと微笑む。
「貴方の予想通り、私は神の様な物です。貴方が住んでいた星くらいなら、指先一つで滅ぼせるくらいの力がある、ね」
やっぱりか。
身長こそ俺の方が大きい様に見えるが、そんな物は関係ない。存在の圧力の様な物が違い過ぎる。
目前の人型のソレからは、雄大な山や広大な海、満点の星空すら劣ると言える程の、高密の力と言うべき何かを感じた。
ずっと見ていると引き込まれてしまいそうだ。
「貴方がこの場に留まっていられる時間はそう長い物ではありません。多々疑問もあるでしょうが、有意義な話をしましょう」
「はぁ……あ、はい」
はたと意識を引き戻され、心此処にあらずな返事を慌てて仕切り直す。
神は俺の生返事を叱るでもなく、優しく微笑んだ。
「知っての通り、貴方は亡くなりました」
「やっぱり、そうなんですね」
喚くとか悲しむとか、そう言う感情は驚く程無い。
思考はフラットで、ただただ納得があった。
惜しむべき、悔やむべき、或いは嘆くべき記憶が無いからだろう。
「記憶の欠損は、死後時間が経っているからでしょう。貴方は心残りがあって地上に残り、想いはその後満たされ、こうして私の前に流れ着いた。それは祝福すべき事です」
ただ優しく、穏やかな声音が漠然とした不安を打ち消す。
どうやら記憶の欠損は自然な事らしい。そして俺は、なんか成仏したっぽいな。
「本来であれば、貴方の魂は他の魂同様に世界の狭間へ至り、その全てを浄化されて次の生へと進む筈でした」
神の視線を追うと、さっき見えた玉の川があった。
あの玉が魂で、川の行く先は世界の狭間なのだろう。
「貴方が私の前にいるのは、偏に貴方に特別な才能があったからです」
「特別な才能……?」
「今はこれと言った形はありませんが、やがてその才は芽生える事でしょう。我々はその才を買い、貴方に機会を与えます」
さっきの美少女も俺と同じ理由なんだろう。
そこで神は一転、悪戯っぽく微笑んだ。
「我々も万能ではありませんからね。貴方の様な人材に体の良い言葉を並べ立て、雑用に使うと言う事です」
……急に俗っぽくなったな。
不思議と、あまりに遠く感じていた彼女が、視覚の通り目の前にいる様に感じられた。
……そう言うのもお見通しなのかね?
ニコニコと等身大の笑みを浮かべていた女神サマは更に一転、先と同じ様に優しく、超越的な笑みへと変わる。
「しかし貴方にも選択肢はあります。このまま眠りに付くか、我々の手足となるか……それは貴方の選ぶ事です」
事実上一択だ。
どうしますか? と首を傾げて微笑む女神サマに俺は頭を下げつつ一言。
「後者でお願いします」
ほんと、マジで。こんなチャンス二度と無いだろうし。
0か100かを選べるなら100を選ぶに決まってる。
大往生でしたって言う記憶があるならともかく……無いからな。そりゃ後者ですわ。
それに……雑用係とは言われているが、神様直々に才を買うとか言われると……必要とされてるみたいで、日本人としてはニコニコうんうんしちゃうわな。
これはサガという物である。
神様はまた悪戯っぽく微笑んだ。
「それは良かったです。それで、貴方の仕事ですが……」
「……ゴクリ」
態々溜めを作る演技派の神様に、緊張を強いられ、意図せずして喉を鳴らしてしまう。
神が任せる、俺のやる仕事とは、一体どれ程の——
「——世界征服です」
…………あれ? 邪神だったかな? ちょっと考えさせて貰っても良いですかね?
神様はニコニコ微笑み、指でバッテンを作る。
「駄目です」
「駄目ですか」
「場合によっては殺人もあり得ます」
「……場合によっては、ですか」
つまり人と争うかどうかは俺の裁量と言う事ですね? そして現時点の俺に選択肢は無いと。
「具体的な業務内容ですが……貴方には迷宮主となり、魔物を率いて世界を支配して貰います」
「ダンジョンと魔物ですか」
ゲームっぽい話ですね。ぶっちゃけ嫌いじゃないです。
モロ邪神サイドじゃなければなっ!
「貴方の才能に応じた世界を幾つかピックアップしますので、その中から支配する世界を選んでください」
「そう言う所は自由なんですね?」
「特に不自由を強いるつもりはありませんので」
微笑みながら世界征服を進めてくる、見た目だけは聖なる感じのする邪女神サマから、4枚の紙を渡された。
……どっから出したとかは愚問なのだろう。
1枚目を見る。
「えーっと……人がいない世界……?」
・人がいない世界。
《規模:中》《魔力濃度:低》
備考:ローリスクで大きなリターンを期待できる。
※一度放たれた探査迷宮が全て失われており、ほぼ全てが未開地。
・人がいない世界。
《規模:極小》《魔力濃度:中》
備考:世界の最小単位。基本的にはローリスクローリターン。
※極小世界は旧時代の大分裂で閉じ込められた高位魔獣が潜んでいる可能性あり。
・人がいる世界。
《規模:大。魔界含む》《魔力濃度:高》
備考:人と悪魔、魔物が対立する世界。支配難度は高いがリターンが大きい。
※人と争いが起きる可能性が高い為、素人におすすめしない様に。
・人がいる世界。
《規模:中》《魔力濃度:中》
備考:海が多い世界。海魔が多く、人の安住地が少ない。大海魔と対立する可能性がある為ハイリスクだが、リターンは多め。
「魔力濃度の観測値から見て、一つ目の世界がおすすめです」
「そうですか」
なんか3枚目がどう見ても地雷なんだが……それに2枚目も酷い博打だ。
「一度世界に入れば、支配が終わるまでは我々が関わる事は殆どありません。慎重に選んでくださいね」
……3枚目と2枚目は無しだな。死んだらもう一度此処に来れるか分からないし、そもそも死にたくないし。
と言うかこれ……邪神案件と言うより、どっちかって言うと開拓っぽいな。
大分裂がどうのとか言う所を見た感じ、バラバラになった世界を繋ぎ直す。みたいな感じか?
邪神の諸行と言う訳ではなさそうだ。
なんならやり甲斐もありそうだし、そもそも命掛けは開拓の常だ。
やるとしたら……海ばかりなのは不安が大きいし、1枚目が妥当かな。
人と争いにならなさそうなのもポイントだ。
「それでは一つ目の世界に送ります。サポートを付けますので、詳しくはサポートから説明を受けてください」
「あぁ、はい」
「御安心ください。貴方なら出来ると私は確信していますから」
「そ、そうですか」
ぐっと握り拳を作る神。根拠が俺なのがいまいち安心出来ない原因だが……要は自信を持てって事だよな。
なんか期待されてるみたいで照れる。
自分で選んだ以上、しっかりやり切るかね。
覚悟を決めると、神はそれを見透かし、穏やかに微笑んで——
「では、御武運を」
刹那、神は溶ける様に消滅した。
急激な浮遊感に襲われ、世界を覆う様に光が爆発し——
——はっと気付くと、薄暗い洞窟の天井があった。