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あいつは俺の仇!  作者: 方結奈矢
第一部 四年生編
5/58

爺ちゃん

 

 (あの子が急に変わってしまった・・・)


 私の大事な息子、翔介が急に変わってしまったのは、4月6日の朝、四年生になる始業式の日からでした。


 それまで苦手だったのに突然早起きをしてきたと思ったら、我家にやってきたばかりの子犬の散歩を始めるじゃありませんか。


 あれには驚きましたけど、最初は犬珍しさからの気まぐれだと思っておりました。


 ですが、その日に娘たちの様々な意見で決めかねておりましたメスの子犬に「ノッコ」と名前を付けて戻ってくると、それからは毎日欠かさずの散歩に始まり、ブラッシング、歯磨きにエサやりからトイレの世話まで本当に()()()に世話をするのです。


 姉二人、特に長姉の寛美は、最初こそ自分の犬という思いもあり、「ノッコ」名に反発しておりましたが、子犬が翔介に懐いて離れない事もあり、いつしか翔介の部屋がノッコの住いとなった事や名前も含めて認めたではありませんか。


 仲が悪いとは申しませんが、それまでよく対立をしていた姉たちとも翔介は、子犬の事で急に仲良くするようになりました。


 そうそう、近所に引っ越してきたばかりの宇津伏さんご夫婦が、翔介の事で突然我家を訪ねてまいりました。


 「うちの子が、何かいたしましたでしょうか」

 以前、翔介の悪戯が原因でクラスメイトの親御さんから抗議の電話をいただいた事があり、それが脳裏をかすめ開口一番にそう問うたのです。ですがお二人は、いきなり深々と頭を下げてこられました。


 「うちの娘が本当に息子さんにお世話になっています」

 そう言ってくるので事情をお聞きしたら、最近毎日のように我家にやってくるようになった宇津伏リクちゃんは、その高身長から大変なイジメにあってカウンセリングを受けなければならいほどのダメージを受けていたとか・・・


 それが原因で、東京から広島にやってきたそうで、新天地でも不安ばかりが先行して部屋に引き籠って学校には行きたがらなかったそうです。


 ですが、翔介のおかげで、今では、毎日笑顔で通っているそうです。


 よくよく聞けば、リクちゃんは広島でもやはりイジメがあったそうですが、それを片っ端から翔介が介入して、時には暴力沙汰になってでもリクちゃんを守っているそうです。


 そういえば翔介が家に帰るとすぐに洗濯機を使っているのをよく目にするようになりました。あれはきっと喧嘩か何かで服が汚れたのを隠すためだと私は気が付きました。


 服といえば、その趣味も変わったのです。


 それまでは子供ぽい短パンばかりの服装で、私の勧める服など、「こがぁなん嫌じゃ」の一言でタンスの奥にしまい込んでいました。


 それがあの始業式の日からそれらを引っ張り出して着ています。

 

 まぁ、私好みの服装をしてくれるようになったというわけで文句はありませんが、やはり驚くべき事でした。


 あの子の部屋の様変わりは驚く以上に事件でした。


 「ノッコのスペースを作らないとね」

 それまで大事にしていたマンガや模型やゲーム機までも、余すことなく全てをどこで覚えたのか夫のパソコンを使って売り払い、そのお金を私の口座に振り込ませたのです。


 「無駄遣いばかりしてごめんね」

 謝ってもきました。


 テレビも見なくなりました。


 それまでは夜になるとテレビの前から動かない子供たちにあって特にその執着心は翔介が一番強かったように思っておりましたが、あの日を境にニュース番組を時々見るぐらいでもうテレビに近寄る事もなくなり、代わりに幼少から、かろうじて続けておりましたピアノの稽古に打ち込むようになりました。


 それに読書です。


 私や夫の本棚から、


 「これ貸してね」

 気軽に言っては間違っても子供が読めるようなものでないものを取り出して読んでいるじゃありませんか。


 そればかりか遠く市立図書館まで足を延ばして借りてくる本の内容にも驚きです。


 歴史書から古典文学に音楽の専門書など幅広い分野で正直、夫や私に理解が及ぶものではない物までありました。


 4月20日の10歳の誕生日プレゼントにも要望を聞きましたら、例年なら迷いなく、「ゲーム」と言うところを、「図書券」と言ってきたのも驚きでした。


 理由を問いましたら、「もうゲーム機ないもん」との事です。


 そうそう、よく私の手伝いをするようにもなったんです。


 お買い物から掃除洗濯と娘たちとは違い毎日毎日それこそ気まぐれではなく本当によく手伝いをしてくれるようになりました。


 自宅には、茶室があって生徒さんが稽古日に通っておいでになりますが、その茶道教室にも翔介は興味を示し、気まぐれでなく本気で取り組みはじめ、お手伝いは月謝代わりだそうです。


 それだけではありませんでした。


 それまで夫が勧めておりましたそろばん教室や、「これからはグローバルよ」なんて訳の分からない事を言って勧めていた英会話スクールにも通い始め、自らは、書道教室に通いたいなんて言って自分で教室を調べて通うようになりました。


 私はそんな急変を遂げた息子の事を悩み、夫に相談すると、


 「ええ子になったんじゃけぇ、ええじゃないか、もっと自慢せんねぇ」

 笑って取り合ってはくれません。


 自慢と言えば、翔介には姉たちよりもきれいな長い髪がありますけど、それさえも最近は、「うっとしい」と言って私が反対しているのに切ろうとしています。


 もう一つの自慢があります。画材道具はコンクールの賞品で賄えるほど絵がうまくいつも写生大会では金賞をもらっていた事です。


 本人に自覚はないのですが、大胆なタッチで描く絵は色彩豊かで私も好きでしたので、「先生についてみない」と勧めてみたところ、「母さんが望むなら」大人びた事を言って近所の絵画教室に通うようになりました。


 「母さん」この呼び方も急に変わった事の一つでした。


 それまでは、「私の事は、おかあさんで、夫はおとうさんでした。姉二人も、おねえちゃんでしたのに、母さん、父さん、姉さんと、ごく自然に変えてしまったのです。


 何の前ぶれもなく。


 このような様々な事を踏まえ、私は真剣に翔介が別人になったのではないかと思い悩むようになり、夫が頼りにならないうえはと京都の実家の父に相談したところ驚く事を聞かされました。


 「翔介からは最近よく便りが届くようになった」

 それまでは、「海原雄山みたい」とか言ってあまり父を好きではなかった翔介でしたのに、四年生になってから便りが再々届くようになったそうでございます。


 「翔ちゃん、どうしてお爺ちゃんとお婆ちゃんに便りを出しているの、何かねだるつもり?」

 私の問いに翔介は、


 「爺ちゃんも婆ちゃんも孫の中で一番僕を可愛がってくれているのに、僕が勝手に怖がって京都に行きたがらないなんておかしいよね。だから便りを出してるだけだよ。習字の練習にもなるしね」


 そう言ったかと思えば、どうやら夏休みはノッコとリクちゃんを連れて京都に行く事を父から承諾をもらっているようで、夫に車で連れて行くようにせがんでいました。


 夫は、「テストで百点取ったら、連れとっちゃるよ」なんて気軽に約束しておりましたが、全教科百点を並べられて、


 「京都のお爺ちゃんの所にノッコと宇津伏リクちゃんを送って、二週間後に迎えに来てね」


 翔介の要望に頷くしかなかったようです。


 どうやら父が、翔介からの依頼で京都滞在中の習い事の先生まで手配したようで、茶道と書道に関しては自ら教えるようでそれを楽しみにしておりました。


 翔介曰く、「爺ちゃんに相談があるんだ」とはおねだりかと思いましたが、問い詰めると「将来展望」またも子供らしからぬ事を言うのです。


 「お父さんやお母さんじゃダメなの」

 と問えば、


 「ここは大学教授の爺ちゃん頼りなんだ」


 と言って笑いました。


 本当にだんだん理解ができなくなるわが子の事でしたが、私はひょんなことからあの子の秘密を知ってしまうのです。


 ◆


 退屈すぎるぞ、走馬灯ワールド・・・


 まずは授業だ。小学四年生の授業なんて退屈極まりなく面白くもなんともない。


 ゲームにしてもつまらん。散々やり尽くしたものばかりだ。今更プレーステⅡやN64では長時間は無理だ。そういえばキューブも持っていたけどもういい。


 マンガにしろNARUTO、HUNTER×HUNTER、テニスの王子様、BLEACH、ONE PIECE、ヒカルの碁どれもこれも先を知っている。即処分だ。


 テレビ番組も同じだが、学園戦記ムリョウだけは再放送見た記憶がないし懐かしいな・・・


 俺は、この走馬灯ライフを有意義かつ快適に過ごすために、あまりにガラクタばかりの自分の部屋の改造、模様替えを始めた。


 まずは、ベッドに貼られたビックリマンシールなど様々な物をきれいに壁ポスター類同様に剥がした。


 続けて父さんのパソコンからバッタもん行き交う規制ゆるゆるのヤフオクでマンガからゲーム関連を全部売り払った。代わりの暇つぶしは、読書にピアノの稽古だ。


 読書は高校時代のカノジョ川村美穂のおかげで好きだった。

 

 同じクラスの隣席だった美穂は、文学少女でお勧め上手でもあり俺は彼女の好み、万葉集にどっぷり浸かったもんだ。


 木村慎太郎の著書に出会うきっかけも彼女がくれ、俺は新聞記者を目指す事になる。


 その高校時代にバンドを組んで俺がキーボードだったが、あまりに下手すぎて他のメンバーの足を引っ張った記憶はあまりに苦い。


 (こうなれば暇に任せて猛練習だ!)


 四年生にもなって黄バイエルンの後半で手こずっていてソナチネを少しかじった程度とは恥ずかしく、毎週水曜日の放課後のレッスンに向けてツェルニーまで買い込んで進歩した大人のテクニックで猛特訓を始めた。


 俺は、スィラブでのモテアイテムの一つピアノの稽古に学生時代に引き続き社会人になってもジム同様に励んでいたのだ。


 それでも暇時間は潰れない。


 《なんとも子供ライフとは豊富に時間があるもんだ。無駄にするなよ俺ヨ》


 との内なる声が、俺を駆り立てる。


 未来のリクに負けないスキルを身に付ける為に時間が割けるとの思いもあるが、リクに自分が何かを伝えられないものかとの焦りが知識欲を旺盛にさせたのだ。


 大学時代に憧れた先輩、小磯美津子さんは茶道の若き師範だった。なんとか物にできないものかと茶会に誘われてよく日曜日の朝に一緒に出掛けたが、「加羅君は、何も知らないのね」笑われてばかりだったのも苦い思い出だ。


 (そうだ、母さんに今のうちに稽古をしてもらおう)


 咄嗟的な思い付きから始めた茶道は面白く、袱紗(ふくさ)さばきから教えてもらい盆略点前から平点前の流れですぐにハマってしまったけど、正座はやばすぎる。


 (そういえば美津子さんは、正座ができなくて痺れた俺の足を突っついて喚く姿を見て笑っていたな)


 苦い思い出は、俺を様々な事に興味をもたせる原動力になった。


 ここで俺は、美津子さんの台詞を思い出す。あれは俺が美津子さんの着物姿の美しさに感動して、

 

 「先輩の弟子にしてください」

 気軽な気持ちで入門を希望したときに、


 「月謝はもらうわよ」


 と言われた事だ。

 

 美津子さん曰く、


 「プロとして月謝をもらうのは当然なのよ。教える側と習う側の双方の気構えの為にもね。もし月謝なしで友情だけで教えたとしたら本気になれないし、そんなのつまらないじゃない。逆で考えてごらんなさい、加羅君が本気で取り組み自分のライフワークにしっかり根付いたものを人に教えるのにタダで教えられる?」

 この問いに俺は、自分にそんな本気で取り組んだ物がスィラブ以外に何一つない事に気が付かされ、苦くも美津子さんから撤退したのだ。


 否、逃げ出したのだ。


 あまりに情けなくて・・・


 俺は、そんな苦い思い出を茶の味と一緒に記憶している事から、


 (母さんにも月謝を支払わないとならない)


 そこへ考えが至り、お手伝いを率先してする事にした。いわば内弟子として本気で母さんからそのスキルを得ようと考えたのだ。


 (見てろよ、美津子さん。再会したときこそ堕としてやる)

 

 そんな思いも励みになった。


 師となった母の要望で俺は、肩まであと一歩の長い髪が切れなくなった。それでしかたがなくポニーテールにして少しは動きやすくしたが、


 「先生についてごらんなさい。月謝は出してあげる」

 絵画教室に通う事への要望は少し考えてしまった。


 まぁ結局、退屈な授業中に落書きとして稽古できる事から俺は、母さんの願いを受け入れた。


 毎週木曜日の絵画教室通いを了承した俺だったが、その際に(かあ)さんから指摘されたのが、その呼び方だ。


 俺自身自覚していなかったが、母を、「かあさん」と呼んでいるし「とうさん」に「ねえさん」確かに「お」がいつのまにか消えていた。


 「あっ、ただの気分転換だよ」

 どうにもならない台詞を理由説明にした。


 そのついでに京都の爺ちゃんの事も追及された。


 これには特別な思いがあったが、それを語る事を母さんにはできなかった。


 これまで俺は、多くの著作があり京都大学で哲学を教えている京都の爺ちゃんをそのいかつい顔つきと鋭い目つきから、「海原雄山」と呼んで恐れていたのだ。


 誤解が解けたのは俺が新聞記者になってからだったが、長くは付き合えなかった。ノッコと同じで後悔ばかりが残る付き合い方しかできなかったのだ。


 俺は、爺ちゃんの葬式の日に後悔で泣いたのを思い出し部屋の整理中に出て来た爺ちゃんからのハガキの住所宛てに習字を始めた事を報告したのに始まり、いろいろ便りを筆字で出すようになった。


 返事もすぐに来たし、夏休みの俺プラン『友達のリクちゃんと愛犬ノッコも一緒に京都に連れていきたい』を快く承諾してくれた。


 もちろん根回しも忘れない。


 ノッコも一緒に京都に行くため運転手父の手助けが必要だった事から、


 「テストで百点を取ったら車で京都に」

 を約束にして文句があとから出ないように全教科で百点を取ってやったのだ。


 リクの両親の説得も同じ方法を取らせた。


 国語や社会もありオールクリアではなかったが複数教科で百点を獲得でき、俺の説得もあり二週間の京都滞在を認めさせたのだ。


 だが、爺ちゃんとの再会が楽しみな夏休みを前に俺の重大な秘密が母さんにばれてしまうことになった。



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