集う逸材たち
三五進一が11歳にならないまま10歳で死んだのは9月末だった。
その数日後に発売された月刊誌の記事はファーストアルバムが好調な美坂ミオの特集であり、その中で特に取り上げられていたのがそのジャケット画の出来の高さだった。
『シンイチ・ミゴ』
がイラストレーターとして大きく紹介されたのだ。
ジャケット画に採用された横顔以外にも美坂ミオをデッサンした正面画や空を見上げる姿などの別作品も紹介され、一躍人気イラストレーターの仲間入りをさせた記事となっていた。
世間に広まる前に業界ではケラウズランブラ所属のアーティストとしてシンイチ・ミゴはすでに紹介されており、仕事の依頼が殺到していた。
ケラウズランブラには毎日問い合わせがあり、少しばかり面倒な事になっていた。
◆
「社長、どうしてミゴ先生は仕事を受けてくれないんです」
「どうしてと言われたら、簡単だ、福田、おまえ翔から言われたんだろう、ミオクラス十組をうちの事務所からここデビューさせると。ミゴさんはその連中の仕事しか受けないんだよ」
「ええ、言われましたよ。ですけど、あれは少なくとも十年は、」
「三年以内だそうだ」
「なんですって!そんなの無理ですよ。社長、思い出してくださいよ。ここを作る時のコンセプトを」
「数より質で勝負するか。その通りで、そのコンセプトになんらずれはないぞ」
「翔は美坂ミオクラスだと言ったんですよ。野間君は合格ですけど、あのクラスをそれも三年以内にあと九組ですか、無理です」
「福田、すまんが、おまえ今から横須賀に行ってこの三人組に会ってきてくれないか」
鳴門さんから渡されたのは薄いとはいえ書類の束だった。
「誰なんです」
「中学生の女の子三人組だ」
「アイドル候補ですか」
書類のトップにある三人が笑顔で並んだカラー画像からそう言ったのは、着飾ったその姿が美しかったからだ。だが、同時に、別に珍しくもないレベルだとも思った。
「違う、翔がスカウトした本格的なボーカル&ダンスユニットだそうだ。そのレッスン風景を見てきてくれ」
「デビュー希望者でしたら来させたらいいじゃないですか」
「なぁ福田、俺が行ってもいいんだぞ」
「どういう意味です」
「野間秀介の時と同じなんだよ。翔が他所に取られる前に確保しろと言っているんだよ」
「それほどの逸材だと社長は言いたいですね」
「期待していいぞ、なんせ翔の太鼓判だからな」
「わかりました、横須賀に行って彼女たちの様子を見てきます」
「翔が命名したんだが、その三人組のユニット名はVILLAIN DAUGHTERだそうだ」
「悪役令嬢ですか・・・そんなイメージではなさそうでうが」
「この先に流行るんだそうだ、そういったキャラが。その先駆けにしたいとの思惑だそうだ」
まただった。翔さんは、野間秀介にしたってどうやって発掘したのか不明のままで、明かしやしないし、先方が、
「どうして僕を知ったんですか?」
そう驚くぐらい野間君の情報は何もないに等しかった。
ただ彼が中学生の時に文化祭でバンドをやった音源だけはあって、それを翔は聴いたと言うのだが、その音源を確認したわけではない。
あの時も、全く無名な野間秀介を訪ねて鳴門さんと後町さんが函館にまで出向き、その日のうちに両親にあってデビューを決めてしまったのだ。
彼は東京にやってきて披露してくれたのは、圧倒的なロックなボーカルパフォーマンスであり、髪を整え少しばかりメイクした姿は硬派なアイドルといった感があり、翔の慧眼に皆が感服したのだった。
「なんだこれは・・・」
僕は横須賀で自宅を改装したスタジオで踊る三人組を見て、驚く以上に唖然とした。
完成されたとは言い難いが、魅力あるダンスパフォーマンスにそのテクノなサウンドから繰り出される本格的なボーカルは、
(カッコイイ)
そう思わせるもので、すぐにでも東京に連れて帰りたいと思わせるものだった。
「凄いですよ、あれは何なんです、すぐに契約をしたいと思います」
僕は鳴門さんにまだパフォーマンス中であったにもかかわらず、慌ててそう報告電話をしていた。
彼女達三人の親にも同時に会って、契約を前提にした東京でのオーディションを約束したのだ。
この情報は後町さんにもすぐに伝わり、僕が撮影してきたハンディーカムを見て、
「福田君も俺達と同じ経験をしたんだな」
どうやら野間秀介の時と同じで無名の優良新人をこうも簡単に見つけ出してきた感動をそんな表現をしてきた。
そして僕は翔の事が本当に怖いと思うほどの出会いをする事になる。
プロジェクト名『猫伯爵とメイドたち』の発動に伴うメンバー集めに指定された北は岩手から南は大分までの各地を翔指定の住所を訪ねてボーカルユニット男性四人、ダンスユニット女性メンバー四人を集めてきたのだ。
(どうやってこんな情報を)
もうそんな疑問なんてどうでもよかった。あまりにもダンスも歌唱力も完成されたこの人材達のユニットが翔の頭には明確にあるらしく、シンイチ・ミゴによるコンセプト画と翔による曲まで完成していて緊急デビューが決まりその準備に奔走する事になったのだ。
本来ならこれだけの大きなプロジェクト、そのデビューまでの準備期間は少なくとも一年はかかるというのに、
「年明けにはデビューさせるからな」
鳴門さんの指示は明確で、三カ月しかない期間も、できあがっていた翔による曲のレコーディング前のボイストレーニングとダンスレッスンに時間を割き、同時にシンイチ・ミゴによるコンセプト画を参考に衣装まで制作に入ったのだ。
「福田さん、まだまだですからね」
とは翔の電話での発言で、新たにまた『宮内葵』なる中学生の資料まで郵送されてきたのだった。
◆
息子の死を一番痛んでくれたのは加羅君でした。
あの子の葬式の時の振舞は、その死を受けいれる事ができない加羅君にとっては当然だったのかもしれませんし、
「あの時はごめんなさい、茶番に思えてしまって」
すぐに謝罪に来てくれましたけど、夫も私も加羅君の手を取って逆に感謝したものでした。
進一の短い人生には友人なんてものはいませんでしたから、五年生になっての加羅君との出会いは本当に親としてこの上なくありがたい事だと思いました。
幼年期より病弱で幼稚園からして休みがちで小学生になってからもそうでした。
でも、最後になってできた友達は数多く、加羅君同様に髪を剃ってくれた友達は十人以上もいましたし、お葬式ではあの子の為に泣いてくれた子たちが沢山いたんです。
それが本当に嬉しく思っております。
私はもう随分前から覚悟はしていたんです。
(進一は短命であろうと)
そしてここまで頑張ってくれるとは正直思ってはいませんでした。そしてあの子の葬式でこうも悲しんでくれる友達がいる事も想像外でした。
(きっと友もなく孤独に死んでいくんだ)
そんな想いばかりが胸を占めていましたのに、本当に加羅君のお陰で救われた気持ちです。
そんな加羅君が初七日の日に一冊の雑誌を手渡してくれました。
『シンイチ・ミゴ』
と紹介されたイラストレーターの作品が載ったもので、進一が生前聴いていました美坂ミオさんのアルバムのジャケットを手掛けた人だそうです。
「進一と同じ名前じゃない」
私は驚きましたし、夫もさっそく美坂ミオさんのCDを買って聴きながら、ジャケットを見つめています。
「偶然なんだろうが、ミゴまで同じなんて縁を感じるな」
そんな事を言っておりました。
確かに三五姓は珍しいもので、このイラストレーターの方と同姓同名なんて偶然では考えられないような気がしました。
「でも、あなた、なんだか進一が生きて活躍しているみたいで、私は嬉しいわ」
そう言うと、夫も同意見のようで、
「この人に会ってみたいものだ」
とか言って久々に笑顔を見せてくれました。
そして私たちは、このシンイチ・ミゴの活躍が想像以上に凄い事になるのを見ることになるのです。




